佐藤康行の「神の通訳」は「神のレンズ」

神の言葉を語る人の事を「預ずかる人」と書いて「預言者(よげんしゃ)」と言う
未来を語る人の「予言者」とは分けているが、、いずれも神近い人という扱いをされている。

預言者は神の啓示を受けて、神の言葉を人間に伝える人とされていて、かつては一国の王さえもその言葉に従ったと言う。
ある意味、イエスも釈迦も「預言者」の一人であったとされている。

イエスも釈迦も、神のことば、仏の言葉を人間に伝え、そして、長い間、人間の精神の支えとなってきた。

 

では、佐藤康行は預言者なのか・・・?
研究員は「全く違う」と思っています。

それを佐藤康行は「碎啄同時」と言う表現をしています。

 

例えば、神の言葉を通訳するとして、
それはあたかも同時通訳している状態というか、、、、
いや、それよりももっともっと時間差のない通訳なのだと、研究員には感じられるのだ。

 

全く同時なのだ

 

神が言わんとすることを、空間も時間も同時に示すことが出来る
今だかつていない唯一の人なのだと感じる。

 

佐藤康行の事を「何でも見えているのではないか?」と思っている方も多い。
そうとしか思えない言動や出来事がある。

しかし、佐藤康行を研究していると、いわゆる人の考えている事や心を見ているのとは違う
全く違う視点。まさに神と碎啄同時で物事を見ているという事が感じられる。

 

まさに満月
まさに神のレンズ

スッと同時なのだ。

 

だから、その光を、私たちもレンズになってスッと通したときに、神の技かと思われるような、思わぬ出来事が起こってくる。

神との碎啄同時
その時、三日月は消える。

それを私たちにも意識的に出来るのだと、佐藤康行は言い続けてくれている。

だから、佐藤康行は「神と碎啄同時」の人なのだ。

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