私の息子の体験談(長男編)

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

感謝の心が溢れ出てきた息子は、今までと全く世界が違って見えてきたようで、利用者さんや職場のスタッフにも感謝の心が出てきたと言っていました。

そうすると、職場の人間関係も利用者さんとの関係もどんどんうまくいくようで、仕事に対する思いも劇的に変わってきたようです。
その気持ちで仕事をしていると、毎日のように思わぬ感動的な出来事が起き、感動と感謝の日々を過ごしていたようです。

そんな中の息子から聞いたエピソードをひとつご紹介したいと思います。

90歳代のおじいさんと80歳代後半のおばあさんのご夫婦の話です。

おばあさんは重症の認知症です。
そのおばあさんを介護しながらおじいさんは暮らしていたようですが、ある日、おばあさんの徘徊を追っかけて、おじいさんは転んでしまい、骨折で寝たきりになりました。

やむなく、おばあさんを施設に預け、おじいさんも入院するようお医者さんから言われるのですが、おじいさんは頑として聞き入れず、自宅にいるといいます。

自宅介護が可能かどうかということになり、息子は遠方で暮らしている子供さん3人に来てもらい、今後のことを話し合ってもらったそうです。

事情を説明するやいなや、早速、おじいさんの枕元で三人の子供の口げんかが始まったそうです。
「親父は昔からこうして勝手がいい。自分のやりたいようにやって、人の迷惑を考えない人だ」「そんなことを言っても、家にいたいもの仕方がないでしょう?」「・・・」「・・・。」

要は、このおじいさんは子供たちとはうまくいってなかったおじいさんだったのです。

子供たちはおじいさんの枕元で、子供のころのうっぷんや恨みを話し始め、延々と続く、子供たちの自分への怒りや口げんかをじっと目を瞑って何も言わず、おじいさんは聞いていたようです。

息子は子供たちの話を聞きながら、なぜか、子供さんの口げんかは「おじいさんのことを心配している」「おじいさんを愛している」としか聞こえなくて、思わず「皆さんは、本当にお父さんのことを愛していらして、心配していらっしゃるんですね」と言ったそうです。

すると、三人ともがふっと口をつぐみ、表情が変わり、そこから急におじいさんの望む自宅介護をどうするか?という相談に変わっていったそうです。
三人で相談した結果、おじいさんの望む自宅介護を、三人で交代で当番制にして見守っていこうということに決まったそうです。

交代で子供体が来て、ヘルパーさんとみんなでの自宅介護が始まりました。

その中で、おじいさんが自宅を離れたくなかったのは、施設に預かってもらっているおばあさんの帰りを待っていたからだと判るのです。
「自分がここにいなくなったら、あいつは帰ってくるところがなくなる・・・」と、そう思っていたようです。

寝たきりのおじいさんの寿命が、そろそろ終わりに近づいてきた時、子供たちが相談して、おばあさんを施設から一時帰宅をさせ、おじいさんに会わせたそうです。

おじいさんとおばあさんのこの世での最後の面会です。

おばあさんはおじいさんのことが分からなかったようでしたが、おじいさんはじっとおばあさんを見つめ、心から満足そうだったと聞いています。

そして、12月31日大晦日の日に、その日来ていた娘さんに看取られながら、静かに旅立って行かれ、娘さんの連絡で駆けつけた息子と二人、おじいさんの最後の身を清めたそうです。

大晦日のその日、息子から電話をもらいました。

「おかあさん、ありがとう。本当にご家族も本人も納得できる良い介護ができたよ。俺は本当にこの仕事を選んで良かったよ。自分の一生の仕事だと心から思えるよ」と、泣きながら電話をくれました。

聞いた私も涙が出ました。
数か月前までは死にたいと思っていた息子が、今は生き生きと自分の仕事に遣り甲斐と誇りを持っていることに、心から良かったなと思いました。

おじいさんの葬式の数日後、新幹線に乗った息子は、隣の席に偶然おじいさんと一番葛藤があったご長男が座っていて、お互いびっくりしたそうです。

ご長男の方から、「渡辺さん。本当にありがとうございました。渡辺さんのおかげです。本当に親父の介護をして良かったです。」と、お礼を言われたという、不思議な偶然です。

その後、息子の環境はどんどん変化し、今は、私の実家(息子たちが育った私の両院の家)に、自分の家を建て、家族全員で引越してきています。

仕事は、なんと!
32年前に離婚した夫が、新しく介護の会社を作り、息子を呼び寄せ、息子は父親の新しい会社と仕事を任され、毎日を忙しくしています。

さて、その前に、息子家族は3.11東北大震災を体験してきたのですが、その体験談が以下です

2011年3月11日早朝、新しい会社の立ち上げで、単身岐阜で暮らしていた息子は、たまたまその日、仙台に残してきた家族の元に帰りました。
その時は、何故か新幹線が時間の都合がつかず、予定より一日早く夜行バスで岐阜を出て、11日早朝に仙台へ着きました。

久しぶりに子供たちの顔を見、小学校と保育園へ送り出し、息子夫婦は仙台空港近くの店で試着をしようとしたその時です。
突然、激しい揺れが起こり、店の陳列棚からはバラバラとあらゆるものが落ちてきて、あわてて台の下に潜り込んだそうです。
近くで買い物をしていた知らないおばさんも「ぎゃぁ !!」と叫んで息子にすがり付いてくるので、息子は妻と一緒におばさんも抱えて台の下に潜り込んだそうです。

死を覚悟したほどの強い揺れだったようです。
長く強い揺れが収まり、急いで車に乗って、子供たちを迎えに保育園と小学校に向かいました。

途中、海辺を通る道と山際を通る道とに分かれる所があったそうです。
常日頃は、どちらとも無く使っていた道です。どちらを使っても、目的地にいける道です。
息子夫婦は何も考えず、山側の道を走ったそうです。

しかし、後からわかったのですが、この時の海側の道はその後津波に襲われ、多くの方がなくなたのだそうです。もし、あの時、海側の道を選んでいたら・・・・。
何も考えず、選んだその時のその瞬間で、生死がわかれる・・・・。

このことを後から聞き、生きることも死ぬことも紙一重の中にいるということを身近に実感し、今、生きているということ。生きて残された私たちは、いったい、何をすべきなのかということを、改めて考える良いきっかけとなっています。

テレビもつかず、電気もつかないので、息子たちは自分たちの身近に何が起きているのかさっぱりわからなかったようです。やっと、電話が繋がった私との会話も、なんで、そんない騒ぐのかわからなかったといいます。
しかし、生活は大変だったようで、たまたまあった石油ストーブで暖を取り、飲み水の確保や食べるものの確保に走り回る毎日で、その時の混乱の様子を聞くと、いかに町全体が麻痺していたかがわかります。

しばらくして、落ち着いた時に近くを見に行ったそうです。
15分歩くと、突然、全てのものが完全に無くなっていて、その光景に呆然としたとのことです。
家も車も畑も道も・・・・全てのものが忽然と無くなっていて、全てが瓦礫の山になっていて、声も出ないくらいの衝撃と驚きで涙がほとばしり出たといいます。
そこにたたずむ人は皆、その故郷の姿に、ただただ泣いていたそうです。

ずっと見慣れた町。ずっと過ごしてきた町。多くの活気と多くの声が聞こえてきた町。
その町が一瞬で姿をなくし、声をなくし、ただそこに何も無い状態で残っていたそうです。

瓦礫の下を身内を探し、そこいらにある板切れで掘っている人。泣きながら海を眺めている人。
生き残った人も、死んだ人も、悲しみに包まれた光景は忘れる事は出来ないと思います。

息子の知り合いの利用者さんも多く亡くなったそうです。
誰も彼もが知り合いの誰かは死んでいる・・・という状況だったそうです。

3月11日、私は品川に向かう電車の中にいました。
川崎駅に着いたとたん、大きな揺れで電車が止まり、いつまでたっても収まらない揺れに危険を感じながら、何事が起こったのかわからなくていました。

しばらくして、構内アナウンスの誘導で、改札を出たその目の前のスクリーンに、家や木が流されているシーンが大写しに写っていました。
画面のスーパーの文字に「宮城県仙台市の様子・・」と、書いてあります。
一瞬、心臓が止まりそうになりました。

今朝、息子から「無事、仙台についたよ」と、連絡をもらったばかりです。
その大型スクリーンを見ていると、予想もつかないほどの被害の大きさ。かつて経験したことのない画面の風景。
映画ではないんだ。本当なんだ。

急ぎ、携帯電話で息子に連絡をしてみましたが、勿論、つながりません。
何度、連絡してもつながりません。
「もう、駄目かもしれない。家族みんな駄目かもしれないな。」と思いました。
息子の顔、お嫁さんの顔、可愛い二人の孫の顔・・・。
どうしよう、どうしよう・・・

その瞬間、思い掛けず心に浮かんだ事は、講座受講後、息子から「産んでくれてありがとう」と言う手紙の文字でした。
私も「私の息子に生まれてくれて本当にありがとう。苦労をさせて辛い思いをたくさんさせて、本当にごめんね。」と伝えてあります。
いつかくる別れの時。その時に言うべき事はもう言ってあったな・・・。
だったら、大丈夫だ。
そう思うと、涙がぽとぽと流れ「これが息子の道ならこれで良かったんだ」と思え、不思議に心が落ちついてきました。

数時間後、家族全員無事と聞いた時は、腰がふにゃふにゃと崩れそうになりました。

この経験を通し、私は今でも生かされていることの意味を考えます。
「私は、あの時亡くなった皆さんに、恥ずかしい生き方をしていないだろうか?
皆さんの死を無駄死にさせない生き方をしているのだろうか?」

こう自らに問いながら、日々生きられることが、息子からもらった大きなプレゼントだと思っています。



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