久しぶりに会った息子は、逞しく変化していました。
立ち上げた会社も順調なようで、忙しく遣り甲斐があるようでした。
息子はその時こんな内容の話をしてくれました。
「僕は僕として生きていかなければならないんだよ。お母さん。
僕は小さいときから、お母さんの言うとおりに生きてきていた。
しかし、結婚をし、お嫁さんを守らなければならなくなった僕には、もうお母さんの人生を歩む事はできないんだよ。」
私は、「お母さんは一度として、お母さんの人生を歩んで欲しいなんて考えたこともないし、言ったことも無いはずだよ」と言いました。
息子は、「お母さんが決して悪いわけじゃないんだ。僕は小さい時から、お母さんが離婚をして、ひとりで僕たちを一生懸命育ててくれた。だから知らず知らずのうちに、勝手にお母さんが喜ぶことやお母さんが望むことを、先に先にあたかも自分が考えているかのようにやってしまっていたんだよ。
その結果、知らない間にお母さんの望み通りの事を、まるで自分が考えていたかのように、言われなくても出来てしまう、そんな、自分になってしまっていたんだ。
でも、真我を受講し、本当は自分には自分の道があるということに気がついたんだ。」
「これは一番お母さんが望むことをやっているんだよ。
お母さんは、今は僕の言っている事がわからないかも知れないけれど、いずれわかったら、きっとお母さんが一番望んでいる事をやっていると、きっと喜んでくれると思うよ。」
「お母さんが大切だと言う気持ちには何の変わりも無い」
「本当に自分として生きていくためには、お母さんに会わないという時間が必要だったんだ。これからも、必要な時にしか会わないと思うよ」
「お母さんはお母さんの思うような人生を歩んでいけばいいと思うよ。」
などなど・・・・・
たくさんの息子の本音を始めて聞きました。
佐藤学長がおっしゃった「極めてまとも」、本当にその通りでした。
息子は極めてまともでした。
ただ、私がわからなかった、息子の本当の姿が見えていないだけでした。
私の人生を歩んでいただなんて・・・・・。
全く気がつきませんでした。
いったい、長い間、息子のどこを見てきたんだろう。
どこまで、息子を理解していたんだろう。
一番近くにいて、一番長い間の時間を共にしてきて・・・・
本当に息子を愛してきたんだろうか。本当は愛してほしかっただけではなかったのか。
目の前にいる、成長した息子の姿に、安心と少しの寂しさと、そんな気持ちになりました。
息子はある意味、私からの洗脳が抜けて、自立の道を歩み始めたんだと思います。
このことで、私は「洗脳」とは決して宗教だけではないのだということを知ることが出来ました。
それは、誰にでもどこにでも起こりえることで、洗脳されている側もしている側も気がつかずにいる可能性があると思いました。
洗脳が解けるということ。
それは、自主自立の道を歩みだしたときからかもしれないと思います。
私もそうでしたが、ある特定の人から強い洗脳(影響)を受けると、そこから抜け出したつもりでいても、新しい洗脳先を知らず知らず求めてしまうのです。
宗教団体の人が、ある宗教を辞めてもまた、違う新しい宗教に属していくと言うこともよく見聞きすることです。
スピリッチャルなことや心の本などを読みながら、いろいろ探していた時の私がまさにそうだったのかも知れません。
洗脳が抜けたつもりでも、抜けきってなかったと思うのです。
現在の日本の宗教人口は、日本の総人口より多いと聞きます。
それは、いくつもの団体をあちこち訪ね歩いている人がたくさんいると言うことです。
いわゆる、宗教ジプシーの方がいると言うことです。
ビジネスにおいても、同じような事は見聞きします。
同じような思想性の高い商品を扱う会社を、ビジネスジプシーのようにされる方もいます。
ある意味、あらゆることに、実はそうした現象がおきているのかもしれません。
それに気がつくのは、結構難しいことかも知れません。
私にとってこれは大変大きな転機となった出来事でした。
「足元が全て」まさにその通りでした。
もし、私が元の宗教で息子のことを見ていたら、「息子に魔が入ってしまった」となり、息子を直そうとして、どんどんトンチンカンな事をやり、息子の事は永遠にわからなかったかもしれません。
本当のことが判っていない「善意」こそが、人を傷つけてしまっているのです。
これは、かつての宗教でよく見てきた親子関係です。
でも、真我(本当の自分)から見れば「極めてまとも」と見え、全く逆の判断をするわけですから、対処の仕方も当然真逆で、どうしてそうするのかを理解すれば良いだけで、する事は聴くことだけでいいわけです。
つくづく宗教で真逆のことをしてきていたんだとも息子を通して教えられた出来事でした。
このことを通して、自分自身の自立ということと向き合うことになりますが、これがなかなかわからず、私は迷路に落ち込んで行くのです。
その話はまた、いずれ、お話致しますが、次回は良くある話として「仮面夫婦」の話をしたいと思います。