私の息子の体験談(次男編)

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

久しぶりに会った息子は、逞しく変化していました。
立ち上げた会社も順調なようで、忙しく遣り甲斐があるようでした。

息子はその時こんな内容の話をしてくれました。

「僕は僕として生きていかなければならないんだよ。お母さん。
僕は小さいときから、お母さんの言うとおりに生きてきていた。
しかし、結婚をし、お嫁さんを守らなければならなくなった僕には、もうお母さんの人生を歩む事はできないんだよ。」

私は、「お母さんは一度として、お母さんの人生を歩んで欲しいなんて考えたこともないし、言ったことも無いはずだよ」と言いました。

息子は、「お母さんが決して悪いわけじゃないんだ。僕は小さい時から、お母さんが大好きだったから、勝手にお母さんが喜ぶことやお母さんが望むことを、先に先にあたかも自分が考えているかのようにやってしまっていたんだよ。
その結果、知らない間にお母さんの望み通りの事を、まるで自分が考えていたかのように、言われなくても出来てしまう、そんな、自分に気がついたんだよ。
でも、本当は自分には自分の考えがあるということに気がついたんだ。
それを教えてくれたのは、お嫁さんだったんだよ。」

「これは一番お母さんが望むことをやっているんだよ。
お母さんは今、わからないかも知れないけれど、わかったら、きっとお母さんが一番喜んでくれると思うよ。」

「お母さんが大切だと言う気持ちには何の変わりも無いんだよ」

「本当に自分として生きていくためには、お母さんに会わないという時間が必要だったんだ。これからも、必要な時にしか会わないと思うよ」

「お母さんはお母さんの思うような人生を歩んでいけばいいと思うよ。」
などなど・・・・・
たくさんの息子の本音を始めて聞きました。

佐藤学長がおっしゃった「極めてまとも」、本当にその通りでした。
息子は極めてまともでした。
ただ、私がわからなかった、息子の本当の姿が見えていないだけでした。

私の人生を歩んでいただなんて・・・・・。
全く気がつきませんでした。
いったい、長い間、息子のどこを見てきたんだろう。
どこまで、息子を理解していたんだろう。
一番近くにいて、一番長い間の時間を共にしてきて・・・・
本当に息子を愛してきたんだろうか。本当は愛してほしかっただけではなかったのか。

目の前にいる、成長した息子の姿に、安心と少しの寂しさと、そんな気持ちになりました。
息子はある意味、私への洗脳から抜けて、自立の道を歩み始めたんだと思います。

このことで、私は「洗脳」とは決して宗教だけではないのだということを知ることが出来ました。
それは、誰にでもどこにでも起こりえることで、洗脳されている側もしている側も気がつかずにいる可能性があると思いました。

洗脳が解けるということ。
それは、自主自立の道を歩みだしたときからかもしれないと思います。

私もそうでしたが、ある特定の人から強い洗脳(影響)を受けると、そこから抜け出したつもりでいても、新しい洗脳先を知らず知らず求めてしまうのです。

宗教団体の人が、ある宗教を辞めてもまた、違う新しい宗教に属していくと言うこともよく見聞きすることです。
スピリッチャルなことや心の本などを読みながら、いろいろ探していた時の私がまさにそうだったのかも知れません。
洗脳が抜けたつもりでも、抜けきってなかったと思うのです。

現在の日本の宗教人口は、日本の総人口より多いと聞きます。
それは、いくつもの団体をあちこち訪ね歩いている人がたくさんいると言うことです。
いわゆる、宗教ジプシーの方がいると言うことです。

ビジネスにおいても、同じような事は見聞きします。
同じような思想性の高い商品を扱う会社を、ビジネスジプシーのようにされる方もいます。

ある意味、あらゆることに、実はそうした現象がおきているのかもしれません。
それに気がつくのは、結構難しいことかも知れません。

私にとってこれは大変大きな転機となった出来事でした。
「足元が全て」まさにその通りでした。

もし、私が元の宗教で息子のことを見ていたら、「息子に魔が入ってしまった」となり、息子を直そうとして、どんどんトンチンカンな事をやり、息子の事は永遠にわからなかったかもしれません。
本当のことが判っていない「善意」こそが、人を傷つけてしまっているのです。
これは、かつての宗教でよく見てきた親子関係です。

でも、真我(本当の自分)から見れば「極めてまとも」と見え、全く逆の判断をするわけですから、対処の仕方も当然真逆で、どうしてそうするのかを理解すれば良いだけで、する事は聴くことだけでいいわけです。

つくづく宗教で真逆のことをしてきていたんだとも息子を通して教えられた出来事でした。
このことを遠して、自分自身の自立ということと向き合うことになりますが、これがなかなかわからず、私は迷路に落ち込んで行くのです。

ここまでは奥さんが少しずつ本音を言えるようになった話をしました。
ここからは彼の話をします。

彼は、営業職ということもあるのか、誰にでも話を合わせてしまうタイプです。
意図的に話を合わせているのではなく、ほぼ、自動的に相手に合わせてしまいます。
Aさんが○と言えば、「そうですね。その通りだと思います」といい、直後にBさんが×だと言えば、同じように「そうですね。その通りですね」となる訳です。
本当はどちらだと思っているの?と尋ねても、「両方とも本当だと思う」と言いますが、やはり、○と×では矛盾が生じてしまう訳で、それを何とかつじつま合わせをしていたのです。
そのつじつま合わせとは、本音に蓋をして、表面だけ(自分の考えだけで)合わせていたのです。

実は、彼自身も人に合わせすぎていたため、自分の本音がわからなくなっていたのです。

「本当はどうしたいの?」と、簡単な事を聞いても、自分がどうしたいのかさえ解らないようで、何分でもじっと黙りこくります。

彼も奥さんと同じで、自分はどうしたいのかが解らなくなっていたのです。
だから、「本音は?」なんて聞かれても、人に合わせていることが本音だと思っているので、それ以外を答えるよういわれても困ってしまうのです。

二人とも、実は本来出てくるはずの感情に重いフタをガッチリし、綺麗な仮面をかぶって、よき夫、よき妻を演じていたのですが、そんなことにさえ全くお互い気づかずにいました。

何故なら、何年もの間そうして暮らしている間に、すっかり皮膚感覚を無くしてしまい、普通は皮膚をつねれば「痛い!」となるところで、痛いのかどうかさえも解らなくなってしまっていたのです。

結果、エネルギーの強い上司とかが「これが正しい」と言われると、すっかりそれをそのまま自分の考えのように受け入れてしまい、それが自分の考えと同じなのか違うのかさえ解らなくなっていたのです。

勿論、二人の性格もあったとは思いますが、多分に宗教の影響もあったと思います。
●●(某宗教団体)は価値観(教え)を植えつけます。
という事で、真面目な二人はすっかりその教えに合わせ、自分の本音にフタをして、仮面夫婦を演じてしまっていたわけです。

頭の中で本心とは違うものを作り出し、それを知らないうちに本心と思い込んでいる。
まさに、洗脳そのものでした。

佐藤学長は二人に本音を言うそのエネルギーで、仮面をぶち割るということをさせられたのでした。
まるで、氷の中に身動きが取れずにいる二人が、ノミかハンマーで自ら氷をぶち割り、中に閉じ込められていた本来の自分自身を自由にする、そんな感じです。

自分で自分を縛っていたものから自由になって、本来の自分を取り戻した二人は、劇的な変化をとげ、誰から見てもはっきりわかる位表情が生き生きとなり、人間らしさを取り戻してきました。

もし、二人がそのまま●●(某宗教団体)をやり続けていたら、仮面の自分を自分自身と思い込み、そのまま人生を終えていたに違いありません。

友人は昔からこんなことを良くいっていました。
「自分はどうしたいのか、何がしたいのか、どう生きたいのか解らない。やり甲斐もなければ、生き甲斐もない・・・・」と、そんな風に話していました。

今から思えば、無理も無い話しです。
仮面をかぶり、本当の自分で生きていない彼らにとって、人生はまさに「仮面舞踏会」そのものなのですから、人の(仮面の)人生を生きていた結果、むなしい人生を送っていたということなわけです。

仮面をはずしてからの二人は、普通の夫婦のように喧嘩も自己主張も出来るようになりました。本音も言えるようになりました。
血が通った夫婦になった訳です。

そして、彼は単身赴任を解消し、奥さんの元に帰り、二人できちんと向き合いながら暮らしています。
「喧嘩するほど仲がいい」とは、まさに彼らのことです。

今は、心から信頼し合い、心から愛し合っている二人を見ると、本当に良かったと思うのです。

昔の辛そうな彼と彼女の顔を思い出すと、今がいかに幸せそのものだということが解ります。

しかし、「仮面夫婦」は実はあなたの側にもいるかも知れません。
お互いにうわべだけ取り繕って、仮面をかぶって仲良し夫婦を演じているなんて、以外に身近にあることかも知れません。

もし、そんな夫婦や親子がいたら、是非、彼らのように心から本音を言い合える仲になっていただけたらいいと思います。

今は二人ともそんな体験をあちこちで話しているようです。
二人の体験が多くの皆さんの役に立つことを祈ってやみません。



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