佐藤康行、圧巻の巻

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

昨日、有志の皆さんで佐藤康行を囲んで「真我と宗教の違いを明確にする」という質問会を開催しました。
今日は皆さんにその内容をお伝えしたいと思います。

参加者は長い間、宗教を命がけでやってきた人です。
皆さん、始まる前から大変盛り上がっていて「やるぞぉ !」エネルギーに満ち溢れていました。

冒頭、宗教のいう「修業」という言葉がでました。

佐藤は「神の子は神」
「もともと神なんだから、修業して神になると思うことが違う」
「最初からあらゆるものが神の顕れ。だから全てのものの中に神そのもの、宇宙そのものがある。」
「修業してなるものではない」
と、ズバリと切りこんできました。

しかし、「神のそのものということは、何もしなくていいということではない」
「カルマの自分のままでいいと言ってるわけではない」
「本当のあなた、真我を開いたその気持ちで生き切る努力は必要」とも言いました。

そして、何度も何度も
 今日が出発。本物のダイヤである証明をしていく。真理の前には人数は関係ない。 
と、熱く話していました。

参加者の中から「真我は体感しました。でも、いつの間にか日常にまぎれてしまっている。どうしたら、真我の心を継続できるのか?」と、切実な質問が出ました。

佐藤はその人に聞きました「○○さん、真我の心で生きたいですか?」
「はい」

真我で生きることは「真理」を何よりも一番にすること。
真我が一番だと知っているのなら、何ものよりこれを一番にしていくこと。
私はずっとそうやって生きてきた。

3時間に及ぶ熱い熱い質問会でした。

まだまだたくさんのお話がありましたが、ここでは、ほんの一部しかご紹介できない事が残念です。

私はますます「真我」と自分がやってきた「宗教」の違いが明確になってきました。

真我を体感すれば、自分は神であり、愛であり、素晴らしい存在であった。もともと、そうだったんだ!このままの自分で良かったんだ。何も不足しているものはないんだ!と、至福の幸福感にあふれます。これこそが、人類が求めに求めてきた悟りの瞬間です。

しかし、宗教は自分という存在は未熟な存在であり、まだまだ不足していて悟るためには長い道のりが必要だということになっています。

これを見ただけでも、真逆だということが良く分かります。

宗教をやっている人は、基本的に真面目で本質を求めている人だと思います。
本当に求めているものは、実は道のりの果ての遠くにあるのではなく、それはここにある。ということが、1日も早く多くの人に届くことを願ってやみません。

 

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