※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです
昭和50年、宝石の営業が最盛の時、佐藤は営業を辞め、いよいよ念願の「ドミンゴ」というステーキの店をオープンすることになります。
ちょっと商売をした方ならわかることですが、これほど宝石を買ってくれる多くのお客さんも持ち、売るためのノウハウもあり、人を教育するノウハウもある佐藤が、宝石の仕事で独立したらかなりの利益があげられていたことだろうと思うのです。
しかし、そこをやらないのが佐藤です。
今でもいいます。 「絶対、誠心誠意。特に仕事を辞める時には大切なことです」
その言葉通り、佐藤の事ですから営業マンなら喉から手が出るほど欲しい、良いお客様も、ノウハウも、全てをお世話になった会社に置いてきての出発だったに違いありません。
相変わらずうそのない男です。
佐藤の独立は、小さな6坪のお店からのスタートでした。
しかも、その場所は代々うまくいかない場所です。
オープンしてもなかなかお客様が来ません。
営業の時は、どんなに困っても自分から飛び込んでいけました。
しかし、お店はお客様が来るのをじっと待つしかないのです。
多分、ここで佐藤は忍耐という苦しみの経験をしたことだと想像できます。
このお店を繁盛店までに持っていくには、営業の時より大変だったにちがいありません。
佐藤がお店の中でやったこと。それは、食事に来ている目の前のたった一人のお客様に、全力でサービスをします。
名前を覚え、好きなものを覚え、次に来たときには最高の笑顔で迎え・・・・・。
ひたすら、やり続けたのだと思います。
そして、ついに、お客様が「ドミンゴ会」というのを作ってくれるほどの佐藤のファンが出来たのです。
3周年の時には、お客様が記念パーティーを開催し、佐藤や従業員さんを招待してくれるまでの強力なファンになったのです。
この話は、現在の「佐藤康行講演会」の状況に似たものがあります。
真我開発講座を受講した受講生が、地方で講演会を催し、そして佐藤に来てもらって涙する。
そして、講演会を終えた佐藤の前には、感謝の人が列をなして並び、佐藤に感謝をする・・・・。
どちらがお客様で、どちらが主催側なのか・・・・。
そんなことが関係なくなる同時の世界がそこには顕れていたのです。