※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです
佐藤康行の人生の中では、宝石の営業時代とレストランの時代のことが多く語られています。
何故、その時代が多く語られているのか・・・?
何故、その時代の佐藤の経験が、私達ににとって、参考になることが多いのか・・・・・?
佐藤はテープの中で、こう語っています。
宝石の仕事は一番難しい仕事だった。
宝石は信用が一番。しかし、この仕事を通して、 「信用を越した世界で仕事をする」ということを知った。
「信用を越して、相手に仕事をさせる」という神技的なこともやってきた。
しかし、とうとう最後まで分からなかったことがたった一つだけある
それは、なんであんな小さくて、指にはめるだけのものに、女性が目の色を変えるのか・・・とうとう、わからないままだった。
しかし、その「わからない」ということが、良かったんです
また、レストラン時代の事も、こう語っています。
レストランの仕事は人を疑わなければならない仕事だった。
店が増えれば増えるほど、人を疑うことも増えていく。
しかし、毎月、店をどんどんと増やしていく事をやっていかなければならない。
自分は本当は嫌だった。
そして、こうも語っています。
宝石を扱った4年間にも、レストランをやってきた事にも意味がある。
その時その時を真剣にやってきたことが、後々のバックボーンになっている。
難しかっただけに力がついた
それは人間知を越した世界。
今の地点から見れば、何故、佐藤がそのように生きてきたのか。
なぜ、佐藤の目の前に、人間知を越えなければ乗り越えられないような壁が次から次へと顕れてきたのか。
今の私だったら、少しは理解できる気がします。
佐藤康行が私達に会うためだったのですよね。
私達が佐藤康行に会うためだったのですよね。
これからいよいよ起こる事のためなんですよね。