佐藤康行「奇跡を語る」

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

佐藤康行「宇宙の真理」講座(IGA関西)2日目の昨日、朝一番の講話は「私が昨日、何をやったか」と言う話から始まりました。
勿論、昨日の受講生の顔は、全く別人のように変化し、体全体が軽い感じになっています。

さらに、受講生の話では、その受講生の父親とその父親(祖父)の命日だったという事がわかり、全員鳥肌ものでした。
一番「へぇーーー!」と、驚いていたのが、佐藤でしたから、勿論、佐藤も知らずにやったことです。

しかし、佐藤は、何故か「やらなければならない」という気持ちに、突然なったようです。
まさに、人間知を超えるとは、このことです。

佐藤はこうも言いました。
「私は、彼の真我と、父親の愛(真我)の代理になって、会話をしたのです」
「例えば、彼が暴れるのではないかとか、彼が殴りかかるのではないかとか・・。そんなことは、この絶対の愛、真我の前にはあり得ないのです。もし、あるとしたら、それはまだ、私の心が少しでもぶれているということなのです。」

「人間の法則と神が対話をしたら、人間の考えは瞬時に消えていきます。」
「真我にズバッといくと、人間の考えは消えていきます」
「私は皆さんに証拠をお見せしたのです」

佐藤は、真我の心に答えている。即ち「突き抜けた向こうに話をしていく」と説明します。
確かに新・神成瞑想図は、横の法則である人間の心を「神」が突き抜けています。

佐藤からは、今回の「宇宙の真理」において、「飛びこえた向こう側」とか、「突き抜けた向こう側」とか、「天地がひっくり変えろうが、誰が何と言おうがやり続ける」とか「絶対にブレないこと」とかという言葉が、頻繁に出てきた印象があります。
その言葉の意味はいかなることであるか・・・を、私達の目の前で見せてくれたのが、「真我との対話」だったのです。

私は佐藤に質問しました。
「佐藤康行のエネルギーのする仕事は、例え、私が同じ言葉、同じ行動をとったとしても、全くエネルギーの違う私では別物になると感じます。本当に私達が佐藤康行になれる日が来るのでしょうか」

佐藤は「身をなげうつという心」と、答えてくれました。
「脳を作った大いなるものの、あやつり人形になる。そろばん勘定をぬけば、バッタバッタと人が変わっていく」と答えてくれました。
「そろばん勘定とはへっぴり腰の事」とも言いました。
胸にズキッ!と、残った「佐藤康行のことば」です。

佐藤は「ある一点を極めていく」ということと、「現実に顕わす。真我をこの世に顕わしていく」という、両極端ともいえることを、同時にやっています。かつて、歴史上なったことであると、私は捉えています。

この二つの両極端ともいえる事をやれるという、この佐藤康行の凄さを、なかなか私の腕では表現しきれないもどかしさが、今の私のテーマでもあります。

 



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