焦点はどこか?(一年を振り返って)

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

「佐藤康行一点に焦点を合わす」
もう、これしかないと思いました。
テープを聞いていて、これ以外は無いのだという事を、思い知るに至りました。

私は、その昔、宗教をやっていたため、実はある意味他の人より、この点には細心の注意をしていました。

人間を教祖化する恐ろしさを、身をもって嫌というほど知っていたからです。
教祖化し崇めていく事にはトラウマがあり、「もう二度とあの失敗はしたくない」そう強く思っていました。

ですから、6年前に初めて「真我開発講座」を受講した時にも、当時の講師が講座開発者、佐藤康行の紹介をするとき、佐藤康行の凄さを紹介されればされるほど、違和感を感じてしまったりしていたのです。
これが、私の過去のトラウマでした。

しかし、本当の佐藤康行に会った時、私の知っている教租とは全く正反対のイメージに驚きました。
「この人なら大丈夫だ」
佐藤康行には、そう思わせてくれる安心感があったのです。

でも、佐藤康行一点に焦点を絞る事は考えていませんでした。
まだまだわかっていませんでした。

しかし、佐藤康行の講話、そして質疑応答の凄さ。
今まで、見たことも聞いたことも無い、あまりの凄さに驚いて、「佐藤康行という人物はいったい何者なんだろう・・・」と、強い興味をもったのです。

そして、古いテープの音声をパソコンに入れていく・・・・・。
その機会に恵まれたのでした。
佐藤の音声を毎日、毎日やっっているうちに、見えてくるものがあったのです。

「そうか・・・!佐藤康行に焦点を合わす、これしかないんだ」

テープの音声の中には、当時のスタッフとの踏み込んだやり取りもありました。
当然、佐藤康行の言っている事は、常に一貫しています。
その一貫した、佐藤とのやり取りの中で、「何か」が浮き彫りになってくるのです。

客観的にテープを聞いていると、そこに気づいてきます。

佐藤康行は一貫しています。
そして、勿論、いっさいずれません。

ずれないものの前には、ズレているもの、混ぜているものが浮き上がってくるのです。
自然に浮き上がってきてしまうのです。

お互いに変化する者同士の間では、そのズレがわからないのですが、一切、変化しない、佐藤康行の前には、明白です。
自然にそのズレや混ぜ具合が浮き彫りになってくるのです。

だから、私は、変わらないものを知りたければ、一切、変わらな人。
ズレたくなければ、一切ずれない人。
その人に合わせていくしかないということを思い知ったのです。

そして、とことん、佐藤康行を研究してみようと、そう思ったのでした。



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