佐藤康行(幼少期)

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

佐藤康行の本は80冊以上あるのだけれど、不思議に佐藤の「自伝」が無い。
かねてから、不思議に思っていたのですが、多分、自伝を出すには時期があるのでしょう。

古い音声の中に、佐藤康行自らが幼少期からの話を語っている音声がありました。
これは、4時間テープが7本、約28時間に渡り、佐藤が語っています。

ドラマチックな佐藤康行の人生。
本当にどのエピソードひとつとっても、ドラマチック尚且つ人生の参考になるエピソード満載です。

いやいや、エピソード満載というより佐藤康行の人生そのものが、すでに、多くの人に生きる勇気を、希望を、いのちを与えています。
佐藤康行という人は、私たちのために沢山の経験をしてくれたようにさえ感じてしまいます。

その佐藤康行の人生を、今日から少しずつ、の記憶に残っている分を、皆さまにお話したいと思います。

1951年3月、佐藤康行は北海道美唄の炭鉱の村に生まれます。
家は坂を上がったところにあったと言います。

北海道の冬は厳しい寒さで、小さい佐藤は遊びから帰ってくる途中、あまりの寒さに手が痛くて、泣きながら帰ってくると、お母さんが自分の懐に佐藤の手を入れて温めてくれ、そしてすぐにお湯を沸かしてくれてくれた、そんな愛情で育てられます。

お父さんが戦地から帰ってきたのが遅かったため、当時、家は貧しくお母さんは働きづめだったと言います。
夏は草むしり、春と秋は近所の田んぼや畑の手伝い。冬は近くのボタ山で石炭を拾ってきて、それを燃料にしていたと言います。

家族は仲良く、末っ子の佐藤は、一番上のお姉さんが、毎晩布団の中で話してくれる創造の話が面白くて楽しみで、先にお姉さんの布団の中で「姉さん、早くこないかな・・・」と、待っていたほどだったようです。

小学校4年生の時、佐藤はひとりで考えて、自分手製のくじ引きを作るというような、創造的な子供だったようです。
当たりや外れの景品をひとりで作り、糸にくじをくっつけた物だったようですが、すでに幼少時から商才があったようです。
これが友人には好評で、一回5円のくじ引きは、好評だったようでした。

小学校時代の佐藤は、勉強をしなくて、遊んでばかりいたと言ってますが、どうも、その頃からインプットの勉強は受け付けられなかったようで、先ほどのくじ引きのような自分から創造するものに夢中になるような子供でした。

厳しく叱ってくれる先生に強い愛情を感じたり、「康行はやればできる」と言ってくれた先生の言葉に感激したり・・・・。
佐藤康行は感情豊かな、心が感じやすいそんな子供でした。



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