佐藤康行(母の死)

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

その朝もいつもと変わらない朝でした。
「康行、起きなさい」そう言われ、いつものように学校へ出かけた佐藤康行でした。

しかし、その朝は佐藤の部屋の窓から見える電柱に、カラスが何羽も飛んで来て、朝からうるさく鳴いていました。
「今日はなんでこんないカラスがうるさいのか」そう思った佐藤でした。

いつも通りの変わらない母でした。
その母を背に、いつものように学校へ出かけました。

学校で先生から「家にすぐ帰りなさい」そう言われ、佐藤が家に着いた時には、母はすでに亡くなっていて、佐藤が呼びかけてももう答えることはありませんでした。

中学生とはいえ、まだまだ子供でした。
母の死を前に、佐藤はどうする事も出来ませんでした。

ただただ母の傍で泣くしかありませんでした。
母を葬ってからも、母の写真の前でひたすら泣き続けていました。

しかし、この母の死への悲しみが、佐藤康行をいち早い自立への道を踏み出させてくれたのでした。

野生の動物も、親子離れをするとき、子がどれほど泣いて近づいても親は唸り声をあげて追い払います。
子供は何度も何度も啼きながら、親の元へ行こうとしますが、親は唸り声を上げて近づけさせようとはしません。

動物ですから、どんな気持ちでやっているのか本当の所はわかりませんが、親も心で泣いているのでしょうか・・・・・。
毎日離れずにいた子供がいなくなる日というのは、どんな気持ちなのでしょうか。

命がけで守った子供の命。
その子供が何とかひとり立ちが出来る時期になると、命がけで親離れをさせる・・。

これが宇宙の愛の一つの形です。
この地球で種の存続を図るための愛は、包む愛と放つ愛・・・・。
どちらも愛そのものなのです。

佐藤は母の死以来、自身の将来を考えるようになります。
当時は地元を離れて就職をするとしても、札幌までの人がほとんどでした。

しかし、佐藤康行は東京へ出ることを決意します。
東京でコックさんになる事を決めました。

当時の佐藤の地元から考えたら、東京へ出るという事は、今の海外に行くということに等しい位の出来事です。
佐藤はまだ見ぬ東京への夢を膨らませます。

ボストンバックに荷物を詰め、毎日毎日「いっていまーーす!」そう言って、東京へ出かける練習をしました。
一年近く東京へ行く練習をしながら、旅立ちの日を待ち遠しい気持ちで待っていたのでした。

旅立ちの日が来ました。
家族みんなに送られて、丸刈りの幼い佐藤は、ひとり東京へ向かいます。

青函連絡船で海を渡り、電車に揺られ、そして東京の上野駅に着いたのでした。


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3.佐藤康行の逸話紹介
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