動かされている世界

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

佐藤康行の営業時代の話の前に、この「動かされている世界」について、お話したいと思います。
何故なら、佐藤康行の人生こそ、まさに「動かされている」人生そのものだからだと思えるからです。

さて、動かされている世界とはどんな世界なのか?
その一端を、私なりに体験を通してお話してみたいと思います。

私はブログの読者のみなさんに、よく聞かれる事があります。
「ブログはどのくらいの時間で書いているのですか?」とか「毎日、よく書かれますね」とか。

私も不思議なのですが、ブログを書くのに、さほどの労力や大変さを感じた事はありません。
何故なら、書いているというより、書かされているような感覚の方が強いのです。

毎朝、ある一定の時間になると必ず目が覚めます。
それは、前の晩がどれほど遅くても、どれほど疲れていても、それとは関係なく目が覚めます。

目が覚めてから、ブログ発信の1時間くらい前まで、ウトウトとベッドの中でしていると、そのウトウト・・・の間にその日の書く内容がほぼまとまります。
そして、起きたら、そのまとまった内容を一気に書く訳です。

書いている時間はそんなに長くありません。
一気に書き上げ、そして誤字脱字や文章の確認などをして、それから「今日の一言」を書きあげて、ほぼ、総ての作業は1時間位で終了します。

勿論、「今日の一言」も、本棚の前に行き、ピン!とくる本を手に持ち、パラパラとめくり、ピンと来たものを書きます。

ある時、この事が「動かされている」というものなんだろうか・・・・?そう思う時がありました。
「動かされている世界」を意識すればするほど、どんどんとブログを書くのに、全く力を使わないようになってきました。
時には、自分が書いているという感覚さえも、無くなる事さえあります。

佐藤康行は、自身の事を「操り人形」と言います。
操る人が操る事を止めたら、操り人形はパタッと動けなくなるというような表現をする事があります。

果たして佐藤康行はいつから「操り人形だったのか?」
その観点から、佐藤康行の人生を観てみると、明らかに見えてくるものがあるのです。

何故、コックの道で順調に将来が見え始めた時に、コックの道を辞めて営業の世界に入ったのか?
何故、営業の世界で成功できるのに、その成功をあっさり捨てて、先の見えない小さなレストランで苦労をするのか?
何故、レストランで経営者として成功したのに、もっと成功できるという絶頂期に、何故、そのすべて捨てるのか?
もっと言えば、定時制時代に何故、皆勤賞を貰えるというその成功を、わざわざ卒業式の日に休んで、その成功を捨てたのか?

その視点で見てくると、佐藤康行の人生そのものが、誰かの深い意志で動かされている、そのように観えてくるのは私だけであろうか・・・・・・・?

佐藤が経験した幼少時、そして若くして経験した母との別れ、家の火事で全てを失った時に佐藤のスイッチが入った事・・・・・・。
これらすべてが、ある一点のために、そう経験させられているように観えてくる。

佐藤康行の人生の経験が、総て現在の「真我に目覚める」という一点に集約されている。
言い方を変えれば、佐藤康行は私たちが「本当の自分に目覚める」ために、幼少時からあらゆる経験をしてくれていたとも言えるのではないかと、そう私には観えてきてしまうのです。



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