「真我真理研究会」11月度

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

「神を出発点とする」

何故なら、私たちの本質は神そのものであり、真我そのものだからです。
即ち、「神を出発点とする」という事は、本当の自分のまま生きるということなのです。

昨日の「真我真理研究会」は、佐藤康行がその一点からあらゆる質問に対して、自由自在に答えていました。
しかし、それはただ一点から一つの事を言っているのでした。

お金について。
異性について。
真理について。

一見、いろいろな事を話していたかに見えますが、佐藤康行の話す事はただ一つ
神を出発点とし、神の意志を人間の脳で考えた事より優先させるという、この一つにつきました。

この一点から見た時、あらゆる質問に対して、いかようにもアイデアが出て来るものだという事を、昨日の真我真理研究会の佐藤康行の柔軟さとその質問に対して答えている内容の深さ、そして、定位置から一切動かないという、その姿に、私は大きな感銘と気づきを貰ったのでした。

昨日は「お金」に対しての話が多かったかと思います。
「お金」は人間とって、恐怖心をもたらすものです。

「お金」に対する恐怖心から逃れようと、多くの人が自殺します。
佐藤はい言います。
「お金が無くて死ぬのではなく、今の生活を保つ事ができない、今の生活を守ろうとするから苦しくなるのです」
「お金が無い事と、死ぬ事は本来関係ないはず」

冷静に考えてみたら、本当にその通りなのです。

「たとえ収入が減ったとしても、その中で生活する決意。」
「最悪を受け入れる。
たとえ、段ボールの中からでも、生きていこうこうとする決意」

その決意をするだけでも、心は楽になるのです。
そして、その決意をしてみるだけでも、死のうとまでの恐怖心に振り回される事は無くなるのです。

佐藤康行は常に言います。
「どんな状況でも、今、この瞬間から幸せになれる。
こういう状況にならなければ、幸せになれないと考えているとしたら、ずっと、それまで不幸だと言っているのと同じなのです」

「もし、私が自分の身体が治ったら幸せだと考えたら、一生幸せにはなれません。
でも、私はこの身体で幸せなのです。
そして、健康な体の皆さんをこんなにも励ますこともできるのです」

本当にその通りなのです。
そして、そのように私たちにも出来るという事を言ってくれているのです。

極めてまとも。
極めてその通りなのです。

そもそも、私たちはそのように生きられるのです。
なのに、何かが阻害しているとしたら、その阻害しているものを捨て、本来の姿で生きていくことで、幸せそのものになれるという事なのです。

改めて、このシンプルな事に気づかされた、昨日の真我真理研究会でした。

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