私たちの認識

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

はじめて佐藤康行から「認識」の話を聞いたとき。
それは、今から6年ほど前でしたが、驚愕した覚えがあります。

多くの難しい本も、宗教書もそれなりに読んできましたが、難しすぎて、さっぱりわからなかったのです。
はじめて、佐藤康行の話でおぼろげながら理解できたような気がした時、驚きと喜びで驚愕したことを忘れられません。

佐藤は私たちの認識は、認識だからどうにでもなるというのです。
「えっ・・!?」と、本当に驚きました。

絶対、変えることが出来ないと思っていた、私の目の前にあるもの、人、出来事・・・。
この自分が「現実」と認識しているもの。
それは変えられると、いとも簡単に佐藤康行がそういったとき、私はひっくりかえるほど驚きました。

佐藤康行は言います。
認識は自由自在に変えられるが、その経験がないとどう変えたらいいのいかが解らないだけだと・・・。

佐藤康行の凄いところは、言うだけではないのです。
現実にどれほど多くの事実実証を見せてくれたことでしょう。

いつでも誰でも、自分ひとりで簡単にそれが出来る方法を次から次へと編み出してくれるのです。
その数、1000は下りません。

誰かが天から奇跡を生みだすのではないのです。
誰でもが、簡単に出来るようにしてくれているのです。

これこそが現代の奇跡!
この奇跡の数は、そしてその体験者の数は「体験談」として、多くの数が残されています。

佐藤康行は言います。
絶対変わらない唯一の認識があるとしたら、それこそが「真我」であり、「愛」であり、「大調和そのもの」。

人間が追い求め、あこがれ続け、特別な聖人にしか到達できないと思っていた、その絶対変わらない唯一の認識。
神意識とも本当の自分とも表現できる、その夢のような意識になったとき、自分の身の回りで思いもよらぬような、想像もつかなかった大きな人生の変化が訪れるのです。

そして、自分が何者であるのか。
自分という存在の意味を深く知ることが出来るのです。

「有る」という世界ではなく、「在」という世界。
その世界が存在しているというその意味。
それを、始めて佐藤康行から聞いた時のことを、昨日のように覚えています。

今年もクリスマスがやってきました。
2000年以上前にキリストが言いたかったこと。
キリストが人類に伝えたかったことはいったい何だったのだろうか・・・・。

キリストが確かに存在したように、人類は今、それ以上の人物に会い、それ以上の時代にあったとしても、何ら不思議はないと思うのです。
キリストが起こした奇跡以上のことを、毎日のように見ている私は、これをどう伝えたらいいのか、伝えきれない自分が歯がゆく感じているのです。



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