佐藤康行に焦点を合わせる(3/3)~研究員自身の受講体験~

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

 

真我一本にして生きていこう!と決めて、今の収入がゼロになることを想定し、まずは現在の生活の見直しから始めました。
当時、私は結構な家賃のマンションで暮らしていました。

このマンションで暮らすには、年間、かなりの水準の年収が無ければ暮らせません。
2年に一度、年収の証明書を提出する必要性がありました。

今までは、自分ひとりの会社なので、何とでも収入は決められます。
マンションの規定に合うような年収を設定していましたので、そのために毎月の税金などの支払いは、かなりの金額になっていました。

年収が無くなるということは、このマンションから引っ越しを考えなければなりませんでした。
しかし、自分の収入がなくなると、今度は引っ越しできるマンションがありません。

60歳を過ぎ、ひとり暮らしで収入もないとなると、どこのマンションにも入居できません。
インターネットであれこれ探しますが、探せば探すほど、自分の社会的立場が、客観的に見えてきます。

今までは会社を持ち、収入がそこそこあったからこそ可能だったことが、会社を辞め、収入がゼロになり、ただの年金生活者になることで、一気に変ってきます。

そこに私はすぐに振り回されました。
とても、暗い気持ちになり、不安感がよぎります。

何もまだ起こってもいないのに、既に自分は社会から疎外されたような気持ちになり、不安で一杯になります。
見事に「取り越し苦労不安症」にかかってしまっていたのです。

さらに、自分の貯蓄金額を調べてみると、見事に個人保証をつけている会社の借入金と自分の貯金とが同額だった。
・・・と、いうことは、万が一に備え、貯金は使えない・・・・・。

そのことにも気づき、通帳には現実にはお金はあるのに、一文無しになった気分で、さらに落ち込みます。

じゃあ、元に戻ればいいのか・・・・とも考えましたが、また、これも気持ち的に無理でした。
真我一本で人生を生き抜く・・・・!
「えいやっ!」と決めた時の、軽くなった気持ち。
やっと、一歩踏みだ出せた感じの、喜びの気持ちを味わった後では、元に戻ることもできません。

ひとりであれこれと考え、悶々とした暗い気持ちに苛まれていました。

今から思うと、本当に笑えるような話なのですが、あの時は、現実には何一つ起きていないのに、あれこれ検討をするだけで、眠れないほどの恐怖心が起きてきて、大海原にたったひとりっきり取り残されたような気がして、孤独と不安と恐怖で押しつぶされそうになっていました。

起きてもいない出来事を「これが現実だ・・・」などと思いこみ、ひとり落ち込んでいたときに、起こった出来事がありました。
それは、思ってもみない出来事でした。
その出来事で、一気に、何週間も悶々と苦しんだ妄想が、瞬時に消えてしまったのです。

一歩踏み出した私は、取り越し苦労、持ち越し苦労で、まだまだ腰が引けていました。
まるで、薄氷の上を歩くがごとく、へっぴり腰で恐る恐るの踏み込みだったのです。

しかし、佐藤康行への確信は自分の中で揺るぎないものがありました。

そして、その取り越し苦労、持ち越し苦労が一気にぶっ飛ぶ出来事が起こりました。
それは、佐藤康行のある講座の時でした。

この出来事は、まるでビデオを回すように、私にとって、絶対忘れられない、佐藤康行とのやり取りになったのでした。

講座の中での佐藤の講話で「恐怖心」と言うところに、質問をしたときです。
私の質問を全く聞いていなかったのかと思うような、佐藤からの逆質問を受けたのでした。

「渡辺さんは、何がそんなに怖いのですか?」
(えっ?そんなこと聞いていないんだけど・・・・、
でも取りあえず、答えなければ・・・・・)

「命が維持できないことです」
「それは、具体的に何かあるのですか?」

「えっ?」と思いもよらぬ質問に、思わず本音が口から出てしまったのでした。

「私は仕事も全てやめて、これ一本にしようとしていますが、収入のめどが立ちません。
どうやって食べていくか、それを思うと不安ですし、恐怖心がでます」

「なぜ、私や他の人に相談したり、頼ったりしないのですか?」
「そんなこと、迷惑をかけることになって出来ません」

「研究員さんが食べられなくなって、困っていたら、一晩くらい食べさせてもいいと思う人?」
「一晩くらい食べさせて、泊めてあげるくらい、迷惑じゃない人?」

受講していた全員が手を挙げてくれました。

「ほら!みんな一食くらいは食べさせてくれると言ってますよ。
これだけでも、一か月は食べて、寝泊まりもできますよ」

「しかし、渡辺さんは、なぜそんなに人に頼むことをしないのですか?
なぜ、それをそんなに迷惑をかけると思うのですか?」

そう、佐藤康行から問われ、改めて自分のことを思わず考え込みました。
「そうなんだ・・・・・。
私って、なぜ人に頼んだり、人を頼りにしたり出来ないのだろうか・・・・?」

思いがけず、当たり前にしてきた自分の性格に「なぜだろう・・・・」と、疑問を持ったのでした。

結婚時代、そして、離婚してからの日々。
子供を抱えて仕事を立ち上げ、食べるために死に物狂いで働いた時代。

宗教に入り、宗教を広めるために、死に物狂いで動き回った日々・・・・。

死ぬような苦しみの後、脱会して、その後食べられず、財布の中に数十円しかなく、今日ホームレスか、明日ホームレスかと
恐怖で心が締め付けれれた日々・・・・。

どの時代も、頑張るしかなかった。
誰かを頼ることが出来なかった。
自分ひとりで頑張らなければ・・・!

布団の中で悔し涙を流すことはあったとしても、人前で泣くということなど絶対なかった日々・・・・。
ずーと、頑張って頑張って生きてきた日々。

そして、真我開発講座を受講し、何十年振りかに人前で泣いた自分に驚いたあの時。
「自分も泣けるんだ・・・・。私って泣くこともできるんだ・・・・・」
そんなことに驚いた自分だった。

何かが心の中で、バチン!と、ほどけた気がしました。

佐藤康行は、さらに衝撃的な一言を私に与えてくれたのです。
その一言で、私は、思考が止まり、ポカン!としてしまったのでした。


「ホームレスになればいいじゃないですか」

そうなりたくないから「どうしたものか」と考えていた私は「えっ???」と、思考が停まりました。

「ここのマックの裏にでもいれば、食べ物が手に入るかもしれないし、段ボールの中で寝ても何とかなりますよ。
ホームレスになっても真我の追及には、何も困ることはありませんよ」

私は、ただ、佐藤の顔を見て「・・・・・・。・・・・・・。」
言葉がありませんでした。

佐藤の顔は、冗談を言ってるようには見えませんでした。
あたり前の事を、当たり前のごとく言っているようにしか見えませんでした。

「だって、渡辺さんが決めたことでしょ?
どんなことがあっても、真我で生きていくって・・・・。」

「これは、皆さんに言っている話ではないです。
渡辺さんだから、渡辺さんがご自分で決められたことに、あえて言っているのです」

そして、最後に、ボソッと誰に言うでもなくこう言いました。
「まぁ、そこまでの気持ちでやれば、食べられないということはないと思いますが・・・・。」
そして、私の質疑応答は終わり、次の質疑に入っていきました。

私は言葉がありませんでした。
本当にぐうの音も出ませんでした。

「ホームレスになればいいじゃないですか」と、その言葉が、耳から離れません。
そうならないためのことばかり考えていた私には、そこを受け入れることが出来れば、全て、取り越し苦労、持ち越し苦労は消えるのです。
しかし、そう簡単に、心から本気では思えません。

家に帰ってからも、佐藤の言葉がリフレインのように聞こえてきます。
「ホームレスになればいいじゃないですか」

私は自分に問いました。
「ホームレスになることでさらに真我を極められるとしたら、自分はホームレスに喜んでなれるのだろうか?
それとも、今までのまま、このままの生活のほうがいいのだろうか?

本当の自分の気持ちはどうなのだろう・・・・?」

答は明らかでした。
「たとえ、ホームレスになったとしても、真我を極めたい!
この神の真理を、命のある限り極めていきたい!」

自分の本当の気持ちが自分でわかったとたん、本当に楽になりました。
すーーーーっと、今までの心の中の葛藤がうそのように消えていきました。
霧が消えるように、すーーーと消えていきました。

ここでやっと、本当の意味で腹がくくれたのです。
もう、怖いものは無くなりました。
なぜなら、命より大切なものが何かが、はっきりしたからです。

佐藤康行は、人生の中であらゆることを体験してきています。
佐藤康行の名言の中に「借金取りから逃げるのではなく、借金取りを追いかける」という言葉があります。
追いかけた途端、追いかけられるのではないかという恐怖心が消える。

まさに私が体験したのは、それと同じことだったのでした。

佐藤康行、恐るべし!

この、たった一つの簡単なことも出来ない私だったのです。
佐藤康行の一言で、夢から目が覚めた私でした。
そして、心が定まった私は、真剣に命がけで、さらに佐藤康行に焦点を合わせることを決めたのです!

そして、夢中で佐藤康行を追っかけ、テープを聴き、ブログを書き、佐藤康行一色の生活をしていると、本当に思いもかけない出来事が、向こうからやってきたのです。
これは、本当に思いもかけない、考えもしなかった事でした。

 

 

まずは、早々に引っ越すマンションが決まりました。

実は、私の名義で購入していたマンションがあったのです。
しかし、そのマンションは次男夫婦にあげたつもりでいましたので、そこに戻ることは考えてもいませんでした。

次男はそこで会社を立ち上げ、それなりの規模の会社にしていて、その会社の業務の性格上、次男の引っ越しは不可能だと思っていたのです。
過去、次男も何度か引っ越しを考えたりしたのですが、不可能という結論に達していたのです。

私もそのマンションを、次男に生前贈与して、私は身を軽くする予定にしていたし、そのための書類などをきちんとしようとしていた矢先だったのです。
ですから、そのマンションに帰ることは、考えてもいませんでした。

ところが、急に、次男夫婦の引っ越しが決まったのでした。
次男夫婦の条件にぴったりの引っ越し先が、奇跡的に、それも急に見つかったのでした。

次男から「お母さん、僕たち引っ越しすることに決めたから、ここに戻ってきたら・・・?」そう言われたのでした。
思いもかけない電話に、引っ越し先を探していた私は、本当に驚きました。

自分のマンションなら、収入があろうが無かろうが、関係ありません。
ひとり暮らしであろうが、年をとろうが関係ありません。
保証人になってもらうとか、書類をそろえる必要もありません。

勿論、ローンは残っていますが、金額もこれまで暮らしていたマンションの何分の一の金額です。
その上、横浜駅から歩いて、10分も掛からない近さ・・・・。
駅からも雨にぬれずにマンションまで来られるように、駅と近くの商業施設とマンションをつないだ道で、以前より随分便利になっていました。

そして、何より、横浜から東京駅までは東海道で20数分でいけます。
八重洲まで、今まで暮らしていたところより近くて便利になっちゃったわけです。

さらには、そのマンションは、立地が良いため、私の知らない間に人気マンションとなっていて、購入した時の金額よりかなり高く売れるということもわかってきたのです。
横浜の中でも人気のエリアであり、人気のマンションなので、売りに出せばすぐに売れるということもわかってきました。
「いざとなれば、このマンションを売ればいいのだ・・・」

心の中に、大きな安心感が広がりました。
そして、心にゆとりが出たのです。

佐藤康行のおっかけをしていた私は、何としても佐藤康行を自由におっかけするためには、いざとなったら、マンションを売ろうと決めました。
何よりも佐藤康行のおっかけを最優先にして、何としても自分自身を極めていこうと決めていました。

しかし、まだ、毎月の収入をどうするかという問題が残っています。

だから、時には、ふとした瞬間に不安感が出たり、恐怖心が出たりしました。
そんな時こそ、さらに集中して踏み込んでいきました。

今から思えば、まるで、私の不安感や恐怖心が、私の真我への踏み込みを応援してくれているかのようでした。

ひたすら、佐藤康行のおっかけをしていると、さらに、さらに、思いがけないことがやってきたのです。
これこそ、本当にびっくりしました。
「これが真我の動き」というものなのか・・・!

これは、まさに佐藤康行のお陰としか言いようのない出来事だったのです。
これこそ、「黄金の雨」としか思えない出来事だったのです。


引っ越しをし、給与をなしにした事で、税金を支払わなくなったと言うこの二つのことだけで、私はひとり分の給与を軽く上回るほどの毎月の支払いが無くなったのでした。

そして、ここで、思いもかけない「黄金の雨」が降ったのでした。
それは、明らかに佐藤康行のお蔭なのです。

6年前、私に真我開発講座を紹介してくれた人がいます。
この人は、私の仕事仲間だった人です。
彼は若い時にインドで長く修行した経験があり、日本に帰ってきて、あるきっかけで「真我開発講座」を受講し、その内容の凄さにに驚いた人でした。

「インドでの6カ月に及ぶ修行、そして、聖者から悟りを得たと言われて帰国したけれど、ここの二日間には及びもつかない。
こんなものがあるなんて、本当に驚きました!
あらゆる所を見てきたけれど、ここ以上のものはない。
本物の道を求めるなら、佐藤康行先生のところしか無いですよ」

そう言って、私に真我開発講座を進めてくれた人でした。

その彼も以前から夫婦で、熱心に「真我開発講座」を受講し、会社も大きく発展していました。
YSコンサルタントの岡田社長にも企業講座に来てもらい、順風満帆だったある時です。

彼のちょっとした気の緩みから、会社もろとも取り返しがつかなくなるような出来事が起きました。
その時、佐藤康行のところに駆け込んでこられ、佐藤はすぐさま親身に対応したのでした。

そして、その出来事から2年ほどぶりに、彼らご夫婦と食事をする機会がありました。
改めて「真我開発講座」をご紹介いただいたことへの感謝。
佐藤康行との縁をつないでくださった、この縁に、改めて深く感謝をしました。

そして、私が仕事を辞めて真我一本で生きていくことを決意したこと。
今の私が、どれほど幸せなのかということ。
そして、彼らご夫婦に、どれほど感謝しているかということ。

それらのことを、ご夫婦に報告すると、お二人とも心から喜んでくださいました。
私も心から感謝を言うことが出来、心から幸せな気分になっていました。

その出来事からすぐに、彼の会社の結構な量の仕事が、私のやっていた会社へ発注がありました。
そして、その仕事の作業は、以前会社のスタッフだった真我仲間のTさんが、無償でやってくれるとのこと。

どういうことかと言うと、私は何にもしなくても、ただ真我をやっているだけで、会社が勝手に利益を生み、その給与がもらえるということです。
その作業も、全部Tさんが無償でやってくれ、私はただ真我をやっているだけで、何もせずとも給与が入ってくる仕組みになってしまったということなのです。
その金額も、丁度、佐藤康行をおっかけしたり、全国をあちこち飛び回ったり、真我で生きる生活を支えてくれるには十分な金額でした。

私にとっては、まるで天からお金が降ってきたような感じでした。

「目の前のことをやっていると、後ろからお蔭がくることもある」と、そう佐藤がいうこともあります。
私の場合、まさに、目の前の真我のことをやっていたら、後ろから黄金の雨が降ってきた感じです。

絶対思いもかけないことに本当に驚きました!
「こんなこともあるんだ・・・・!」と・・・。

それもこれも、全て佐藤康行の縁です。
仕事を回してくれてたご夫婦も、佐藤康行が親身になって相談に乗ってくれたおかげで、今があることを忘れていないのです。
また、Tさんも、佐藤康行のお蔭で、人生を家庭を仕事をと、全てを生まれ変わることが出来た人です。

 

「自分が縫い始めたら、神様が糸を出す」と、佐藤康行が言いますが、まさにその通りでした。
「真我で生きて行ったら、食べられ無いということはない」と佐藤康行は言いますが、それも本当にその通りだと確信しました。

何気なく聞いていた、佐藤康行の言葉。
佐藤康行の言葉は、絵に書いた餅ではなく、生きた言葉、生かしてくれる言葉だったと、さらに佐藤に対する確信が強まったのでした。

そして「佐藤康行に焦点を合わせていく」それしか無いということを確信したのです。

それは、いわゆる宗教の教祖と信者との関係とは真逆です。
むしろ、宗教の教祖の様な見方を、知らず知らずしてしまうと、寂しい思いをするかもしれません。

何故なら、佐藤康行は教祖のように依存をさせてくれる存在ではないからです。
佐藤康行は本当の意味での自立をさせてくれようとするからです。
唯一、依存をさせてくれるとしたら、「究極の自立のための依存」しかないのです。

今回の私の場合もそうであったように、まずは私の考えからスタートしたのです。
佐藤康行に言われたのでもなければ、佐藤康行の考えでもありませんでした。

私が「真我で生きたい」「真我を極めたい!」そう思い、そのように決め、そのように動いたのがスタートでした。
しかし、ずっと書き綴ってきたように、心が揺れ、自分を守りたくなり、取り越し苦労に振り回されました。
自分を見失いそうになったことも、何度も何度もありました。

ある時は心の中に嵐が吹きすさび、風と雨で行くべき方向も、歩くべき道も見失ったかに見えたこともあります。
また、ある時には、自分の心の中に起こる吹雪で、自分の全てが凍りついたかに思え、固まって一歩も動けないかに思えた日もあります。
ポカポカ陽気に誘われ、この気持ちのよさに、ずっとこのままでいたいとそこにしがみついたとこもありました。
灼熱の太陽に、暑くて暑くて、何もかも捨て去り、自分さえも消えたほうがいいと思ったこともありました。

まるで季節が移り変わるがごとく、私の心も移り変わり、いろいろな体験をしました。

しかし、どんな時も変らず、一切変ることなく、「ここですよ」という、佐藤康行の振る旗が見えていました。
何も見えなくなったとしても、その旗だけはいつも鮮明に見えていたのです。

私はただ、ただ、佐藤の振る旗に向かって、一歩一歩歩んでいるにすぎません。
そして、昨日も、今日もこの一瞬も、その旗に向かって歩み続けています。

歩む中で、いろんな景色も見えます。
しかし、佐藤康行はいかなる景色が見えようが「いち過程」だと言います。
まさに、一つの移りゆく景色にすぎません。

どんな景色の時も、どれほど景色が変わっても、佐藤の振る旗だけは、変らることなく見え続けていたのです。
私はひたすら、ひたすら、その旗に向かって歩み続けているのです。

それをもって、私は「佐藤康行に焦点を合わせる」と思っています。

もし、佐藤康行が旗を振ってくれなければ、とっくの昔に私は人生という旅の遭難者であったことでしょう。

この、私という人生の旅の目的地は、もう決まっているのです。
もう、私は行く先を決めたのです。

ですから、また、今日という旅を、明日という旅を、私は楽しく旗に向かって歩み続けて行く覚悟です。

 



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