仏が見えた先祖が出てきたの違い

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

ある受講生の方から次の様な質問を頂きました。

6年前の1月7日に「真我の実践」という、究極の技を編み出され、その直後の講座で、多くの方が「仏が見えた」とか、「黄金が見えた」とか言われたことがありました。
最近の「先祖が出てきた」との違いについて、もう少し、詳しく教えてください

この質問について、佐藤康行はこのように答えています。

仏が見えた、黄金が見えたというのは、「真我」そのものが、正面に顕れているということです。
それが仏の顔に見えたり、黄金に見えたりしているのです。
先祖という通訳を使わず、神そのものが形になって現れているのが、その時のことなのです。

同じ神そのものが現れているのだけれど、今回は、自分の父母、先祖を通して現れている。
「そのものが現れる」か、「通訳を通して現れているか」の違いです。

夫婦の場合は、たすき掛けをすると、相手の父母先祖を通して現れる。
その瞬間に夫婦仲が良くなってきます。
そのバックをお互いに愛せられるようになる。だから、即、より実践的なわけです。

仏の顔に見えたって、何をしていいか、すぐ何を実践していいかわかりませんよね。
何を実践していいか、その中間というか、通訳のようなもの。
今回は、その中間が明確に現れたわけです。

何を実践していいかわかるから、夫婦仲がそこから変わっていくわけです。
今回の場合は、夫婦が大調和するために現れて、何をどうしたらいいかを、瞬間にわからせてくれているわけです。

例えていうなら、頂上から下界を眺めていって、素晴らしい景色だと感動している
これが、真我の実践を唱えてたら、仏や黄金が見えたっていう出来事です。

今回の先祖が出てきたとか、伴侶の父母先祖というのは、
頂上から見て、その下界に対する手の打ち方、問題解決まで全部現れている。
見えているだけでは無く、実際、行動までわかるということです。

実際に「真我」を「実践」しているという事なのです。
自由自在に、それも最高の方法で手をつけていっている・・。

(それは、凄い進化ですね。)

そうです。
より実践的ですから。

Mさん、いかがでしょうか?
ご理解いただけたでしょうか?

佐藤康行は、いかなる質問を投げかけても、瞬時に答えます。
「お見通しの世界」から見たら、何でも手に取るように見えるのだということが、会話を通して実感します。
質問しようとするかしないかの瞬間に、すでに佐藤康行の答えのほうが先に出てきているという、そんな感覚です。



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