※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです
佐藤康行が、突然、「佐藤康行のバイブルのようなものをつくる」そう言いました。
全ては、そこからこの話はスタートするのです。
私には突然に感じましたが、佐藤康行にとっては、 啄同時そのものであり、真我のクレアボイアンス(千里眼)であったのではないかと思われます。
当初、岡田社長により、各社の責任者を初め、佐藤康行の書籍に関わっている人などが集められ、数回の「聖典会議」が行われました。
しかし、残念ながら当初は全く佐藤康行が何をやろうとしているのか、私にはわかりませんでした。
佐藤康行が「立ち食いステーキ」を発想した時のように、言葉としてはわかるのですが、誰ひとり見たことも聞いたこともない「佐藤康行のバイブル」なるものは、いったいどんなものなのか・・・?
佐藤康行の中に生まれているイメージとも言うべきものがまったくつかめませんでした。
佐藤康行は、誰がわかろうがわかるまいが、どんどん話を進めていきます。
次は「バイブル会議」がスタートし、数名で佐藤康行にどんどん質問でつっこんでいくというものでした。
それは、それは凄いものでした。
今さらながらに、私は、痛いほど思い知らされることになりました。
歯が立たない
何を質問しようが、どこからどう掛かっていこうが、数人で一気にいくのですが、全く歯が立たないのです。
たたないどころか、こちらが混乱するばかりで、いまさらながら、佐藤康行と我々との圧倒的な差を思い知らされるのでした。
佐藤康行は何度も
「私はひとつことしか言っていない」
「極めてシンプルな話し」
「そんなことも、まだわかっていないのか・・・・」
「私の言っていることがわかりませんか?」
「いいですか・・・よーく聞いて下さいよ」
など、打ちのめされるような言葉が次から次へと降り注ぐのですが、わかるようでわからない。
つかめるようでつかめない。
目に見えない実相の世界のはなし。
観えている佐藤康行にとっては、「宇宙」の話も「神」の話も「実相」の話も日常会話のごとく、なんてことないことのようです。
しかし、その会議に参加している人全員が、全く、その本当の意味さえつかめないのでした。
改めて、サービスなしの佐藤康行の前では、自分のわからなさ加減に打ちのめされ、落ち込みながらも、いまさらながら知る佐藤康行の底知れぬ凄さに、畏怖の気持ちと感動と、このような人と巡り合えた自分自身の強運に喜びの思いもひしひしと湧きあがって来るのでした。