「真我そのもの」ではない

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

佐藤康行が完全に「光そのもの」発光体になった。
しかし、佐藤康行は、あの光は「真我そのもの」ではないと言います

神、真我は私たちが認識出来る光ではない。
認識出来る光は、まだ途中過程のものだと言います。

そんな途中過程のものを、言葉をつけてしまった途端
(エーテル体、アストラル体、メンタル体・・・・
幽体、霊体・・・・などというように、人間がつけた名前のこと)

そこに意識の世界になってしまう。

ここでやっているのは、それを一気に飛び越えたこと
真我だけをやっている。

ここが従来の宗教や、スピリチャルとの徹底的な違いです。
宗教やスピルチャルは「太陽をみたい」「満月になりたい」と言います。

しかし、ここでやっていることは、そうではない。
見なくても、見えなくても
それを認める。
真実を認める。
だから、私は「前提」と言っている

そう佐藤康行は言いました。



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