研究員の「知らない世界」

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

先日、私に起きた「好転反応」の話をいたしました。
少しずつ、自分の心の中に起きている出来事が見え始めました。
今日は、そんな話をお聞きください。

佐藤康行を研究し始め、毎日ブログにて書き始めて2年以上が過ぎようとしています。
それ以前、過去の数十年分の古いテープの音声をパソコンに落とした時を含めると、佐藤康行一本に焦点を合わせ始めてからは軽く3年ほどたつのでしょうか・・・・。

正確に調べていませんが、ブログもすでに750回近くは書いているはずです。

朝起きたら、佐藤康行のことをブログに書き、佐藤康行の話が聞けるとしたら、どこまでも追いかけ、家にいるときは佐藤康行への質問や研究の音声をまとめ、パソコンに残す。

家族もいない一人暮らしの私にとっては、自宅はほぼ佐藤康行の研究所と化し、私はひたすら佐藤康行を研究している研究員です。

この、毎日の積み重ねと今回の「好転反応」と思えし出来事は密接に関連していることが分かり始めてきました。

「地球を深く掘っていくと、さまざまな断層が現れます。
それは過去の地球の記憶です。
まったく見たこともない、その時代にいたこともない時代の断層ですが
地球を深く掘っていった時、そうしたものが出てくるのです。

その断層は「うれしい」という感情や「苦しい」という感情など、いろんな感情が伴いますが、それもいち過程なのです。」

そのように佐藤康行は言います。

 

私にとっては、毎日のブログを書くことからスタートし、いまだ見たこともない聞いたこともないぶっ飛びの、とても人間とは思えない、とてつもない佐藤康行の話を聞くことは、この地球を長いつるはしで、ひと掘りひと掘りづつ掘っていく作業に似ています。

その作業はただひたすら佐藤康行に焦点を合わせ、その方向にだけ掘る作業です。
この作業の過程である断層にぶち当たったのです。

一気に地球を掘り進め、地球をつき抜けたら宇宙だったというところをゴールとして掘り進めている私に見えるものは、次から次へと出てくる新しい断層です。

それは初めて見る断層ゆえ、時には苦労して掘り進めたり、時にはダイヤのようなキラキラしたものに見とれたり、こんな色やこんな形のものがあったと、感動したり感心したりしている最中だと自分自身を捉えています。

地球を突き抜けた宇宙も、もともと掘り始めた地表も、掘り進んでいる地球の中も、全て宇宙には間違いないのですから、ここまでがむしゃらに掘り進める必要がないのかもしれません。

しかし、私の夢は、いつか掘り進めて地球を突き抜け、そこにある宇宙を見てみたいという気持ちはどうしてもあきらめきれないのです。

そして、今、私の今目の前に現れた断層は、なかなか手ごわい断層なのです。
私の持っているつるはしでは歯が立たなそうな断層にぶち当たっているのです。

それは何か?

佐藤康行を研究すればするほど、見えてくるものがあるのです。
あまりの佐藤康行の大きさや凄さなのです。

 

過去、何度もブログで「凄い!凄い!」と大騒ぎしてきましたが、凄いという思いは相変わらずなのです。

しかし、何がどう凄いと思っているのか・・・・・。
そのあたりを説明得る限り、説明してみたいと思っています。

「実相」の姿は見えない。
しかし、それこそが本当の私たち・・・。
だから、「大前提」としたとき、私たちの姿は変化する。
なぜなら、私たちは「認識」でいきているから・・・・・。

ということを佐藤康行は言います。
私は疑問に思っていたのです。
「なぜ、佐藤康行は実相が見えないことを知っているのか・・・・・?」
「なぜ、実相と認識の違いをここまで言い得るのか・・・・?」
「そもそも、『大前提』にすることで、実相が見えない我々に、急速な意識の変化をもたらし、過去も未来も人生そのものを変えることが出来るのか・・・・?」

これらの疑問は、必然的にある一定の答えを導き出すのです。

佐藤康行は、肉体を持って唯一「実相」を見た人なのだ。
「実相とは何なのか」の本当を知っている人なのだ。

そうでなければ、佐藤康行のやってきたことはただの摩訶不思議な世界になってしまうからです。

仮に、肉体を持った人間の最高の意識ともいえるものを「極致の認識」としたときに、最高の極致の認識から「実相」を感じた時には、表現として「実相が見えた!」となるはずです。

「本当の宇宙の姿が見えた」「実相が見えた」「世界の全てが見えた」と言って、その真理を説いている人は、多分、「極致の認識」まではいった人なんだとは思うのですが、それは本当の実相を見ていないのだと思うのです。

それらの過去の聖人、現在の聖人といわれる人と、佐藤康行との絶対的な違いとは何か?
「実相は見えないことを明確に説明している」
「実相と認識との違いを誰にでもわかるように説明できる」

「目の前でその人の過去も、未来も変えてしまえる。
それも15万人もの証明をしてきた。」

さらには「認識である私たちにも出来るような技を開発できている。」

これが大きな証明であり、結論なのです!
すでに結論は出ているということなのです!

佐藤康行の言魂を毎日ブログに書き続けると、それを嫌というほど思い知らされるのです。

なのに、私はその人類の一大事をどこまで表現しきれているのか・・・!
そもそも、過去どこにもなった、この真実の重大性を本当に分かっているのか。
本当にやれることはやりきっているのか・・・・!

「本当にこのままであなたはいいと思っているのか?」
という声が聞こえているのに、私はまだこんな状態なのです。

何が恐怖なのか?
何が甘い踏み込みになっているのか?
なぜ、こんなに、他人事なのか?
なぜ、力を出し切れていないのか?

それらを考えると、夜も眠れなくなってしまうのです。
自分に対して許しがたい気持ちになっていますのです。
ただ「凄い凄い」とわめいているだけで、本当にこれでいいと思っているのか。

そうした自分の心の声が聞こえるようで、苦しくなってしまうのです。
それにまつわるいろいろな思いが出てきます。

そんな私が、テレビで事件を見ると、ともすると全部自分の責任のようにも見えてくる時があり、辛くなることがあります。
そんな私が、のうのうと生きていることが、許しがたく、父母や先祖に申し訳なくなることもあります。

しかし、そろそろそこにも結論を出す時期がきたような気がしています。
それが、目まいや吐き気、そうした現象に現れたような気がしています。

今日はここまで・・・・。
長々お読みいただき、本当にありがとうございました。

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