「佐藤康行の真我」と「佐藤康行の言う真我」

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

「佐藤康行の真我に焦点を合わせる」ということはどういうことなのか?
「私たちの真我」と「佐藤康行の真我」は違うのか?
今日は、この点について、研究を進めたいと思います。

「佐藤康行の真我」と「私たちの真我」は違うのか・・・・・?
佐藤康行は常に「私と皆さんは一緒です」と言います。
ですから、「佐藤康行の真我」と「私たちの真我」は同じであるはずなのです。

ただ、
「佐藤康行の真我」と「私たちが捉える真我」はどうか?
同じか違うのか・・・・・?

「佐藤康行の真我」と「佐藤康行の言う真我」はどうか?
同じか違うのか・・・・・?

佐藤康行は
「私と皆さんが違うとしたら、私は真我から絶対にずれないところなのです。」
とそう言います。

これは「私は誰がどう言おうが、何がどうなろうが、全ての人も、地球上の生命体、出来事、全て満月なのです」ということだと思います。

仮に何かの誤解で、佐藤康行が刑務所に入ったとします。
その時、佐藤康行は今まで言ってきたことと、まったく違うことを言うと思いますか?
例えば、突然「人間はみんな三日月だった」と・・・・・・。
それはあり得ないことだと、佐藤康行を知る人はそう思うことでしょう。

ひるがえって、私たちはどうでしょうか?
私たちの佐藤康行への気持ちは、変らないでしょうか?

最初の話に戻ります。
佐藤康行は、例え全世界がひっくりかえろうが、変ることのないものなのです。
絶対、ずれることはあり得ないことなのです。

しかし、私たちが認識で捉えているものは、状況の変化によって、ともすると見え方が変化しているものなのです。

あなたが今、捉えている「真我」というものは絶対のものか?
佐藤康行の言葉や本も、あなたの捉え方は絶対といえるのだろうか?
絶対変化しなものなのか?

これを思った時、必然的に答えは出てくることだと思います。
「自分が今捉えている真我」でもなく
「自分が捉えている、佐藤康行の言っていることば」でもなく

わかろうがわかるまいが
「佐藤康行の真我」に焦点を合わすことで、私たちは過去が消え、未来が変り、人生を何度も生まれ変わらせることが出来る。

まさに佐藤康行の講座や面談で、瞬時に変化していくことこそ、その証明であると、そのように考察しています。

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