佐藤康行を法則と見る・・・えっ?それってどういうこと?

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです


先日、ある会話の最中に、佐藤康行が「佐藤康行を法則と見たらどうですか」といいました。
佐藤康行を法則と見る・・・・?
いったいどういうことなのだろうと、その言葉が私の中に残りました。

改めてそのことを佐藤康行に質問しました。
すると、佐藤康行はこのように答えてくれました。

「法則とは、手に持っているものを放したら下に落ちる。
宇宙の法則とはそのようにもともとあるものです」

「物を食べる。食べるまでは人間の意志だけど、消化吸収して排出される。
それは人間の意志ではない。
それが法則です」

「私は法則にしか興味はないのです。
自分の考えにも興味はないのです。」

「私は24時間、法則しかいわない。
だから、佐藤康行を法則と見たらどうですかとそういったのです」


佐藤康行をどう見るか

私にとっては大きなテーマです。

人それぞれ、人数分の佐藤康行がいます。


同じ話を聞いても、とらえ方も違えば感じ方も違います。
一人一人の中に、自分の佐藤康行が存在しています。

だからこそ、自分自身が捉えている佐藤康行のその奥にある佐藤康行
絶対の佐藤康行を捉えたい
絶対の佐藤康行を捉えることは可能なのか・・・?と、そう思って佐藤康行の研究をしてきました。

「佐藤康行を法則と見る」
この言葉は、私にとって大きな指針になりました。

このところ、佐藤康行の口からあふれ出てくる数々の「法則」
それを毎日のようにブログでご紹介していますが、佐藤康行こそ法則そのもの。

私たちの五感では、決してとらえることのできない宇宙の法則
その宇宙の法則が、私たちの日常のあらゆる場面で顕れています。
というより、私たちは法則の中で生かされています。

その宇宙の法則を捉えて、佐藤康行が顕れを見せてくれている。
それが数々の法則です。

来年は、さらに出てくるであろう佐藤康行の法則。
佐藤康行の口からでてくる法則を、さらに取りこぼさないよう、拾って拾って拾い集めて、そうしてそれをブログとしてお届けできたら幸いです。



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