佐藤康行とその母

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

佐藤康行の母
佐藤康行の母親の名前は貞子といいます。
もともと血圧が高く、それが原因で、佐藤康行が中学2年生のときに46歳という若さで「脳溢血」を起こし、突然、この世を去ったのですが、その母親の在りし日について、佐藤康行が語っている母の姿について、今日はお話したいと思います。

佐藤康行は、母親を「動物的愛を持ち合わせた人」という表現をしますが、もともと気が強く、とても働き者の母親だったようです。
一年中、働いていました。

母親は、春や夏など、近所の畑や田んぼのお手伝いなどもして、生活の足しにしていたといいます。
また、母親は、近くのぼた山で捨ててある石炭を拾ってきて、それを自宅の燃料として使っていたといいます。
そのように、朝から晩まで子供を育てながら、働きづめに働いていた母親だったと、そう佐藤康行は語っています。

近所の田んぼなどを手伝ったときに時に、自分の仕事が近所の誰よりも早いということを、家に帰ってきて自慢をしていたという母親の性格を見ると、やはり、佐藤康行の持ち前の頑張りや、負けず嫌いだった性格は、母親譲りだったのかもしれません。

佐藤康行が小さいころ、友達と遊んで帰る帰り道、遊んでいたときは忘れていた寒さが、家に帰るときには手が痛くて痛くて、手の痛みに泣きながら帰ってきた佐藤康行の手を、お湯で温めるためにお湯を沸かす間に、自分の懐に入れて暖めてくれた、そんな母親だったと、そう佐藤は語っています。

佐藤康行は小学校の時、新聞配達をしていたのですが、そのときに貯めたお金でテープレコーダーを買ったことがありました。
佐藤が貯めたお金に、母親が少しお金を足してくれて、佐藤はテープレコーダーを買ったのです。
そんな佐藤康行のことを、母親は自慢げに近所の人に話していることがありました。

佐藤康行はこのころから、やると決めたらやる子でした。
新聞配達も夢中になって、絶対に休むことなく続けていました。
小学校5年生ころの話です。
毎朝5時に起きて、新聞配達をし、それを終えてから学校に行っていたのでした。

そんな時、たった一度だけ寝坊をしたことがありました。
なぜ寝坊したのか・・・?
そのとき、小学生だった佐藤康行は、どうだったのか・・・・?
その佐藤康行らしいエピソードについては、明日お話します。

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ある方が佐藤康行に聞きました。
「佐藤学長の話を聞いているときは分かったような気がするのですが、後から思い出そうとしても霧のように消えてしまっています」
「私は頭が悪いのでしょうか?」

佐藤康行は、こんな風に説明してくれました。
「私はみんなに話をあわせません。
だから、最初はかみ合わないのです」

「メモを取り、『これで間違いありませんか?』と確認しながら、何度もやり取りをしていると、そのうちピントがあってきます」

「私が皆さんに合わせてしまって、降りてきたら変でしょ?」
「私が絶対に降りないで、話していると、皆さんが私のところまで来ざるを得ない。
そして、ある瞬間に分かるときがある

確かにそのとおりだと思いました。
佐藤康行の話は、分かったと思っていても、わかっていない。

私も改めて、メモを取りながら、「このように捉えましたが、間違いないでしょうか?」と、そうやって確認していこうと思いました。


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3.佐藤康行の逸話紹介
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