※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです
佐藤康行のエネルギーは想念のエネルギーではなく、また、人間の意志の力でも無いという話でした。
今日もさらにその、佐藤康行のエネルギーについて質問しています
O:エネルギーの扱い方について、持て余したというようなことは無かったのですか?
ないだろうね。
ただ、自分の力を出し切ったという瞬間は、まだ一回もないですね。
力を止めているのではないのです。
このエネルギーは無限に出てくる。
このエネルギーは宇宙ができたり地球ができるそのエネルギーにあわせている。
それにあわせている・・・・。
花は全部自然に合わせているでしょ?
土と水と肥料と・・・。
力なんか要らない。
力が要らないということは、自分が最善を出したということ。
自分が思いっきり出そうとして出しているときは、出していないということです。
だから、寝ているとき、一番力が出ているのです。
だって、起きているとき、思いっきり出すというのは想念だからそれじゃない。
食べたものを消化吸収して自分にするのに力要りますか?
それと同じなんです。
中学のときや、野菜市場のとき相手を動かせなくした、その力は愛。
全部愛なのです。
相手にそうさせないというのは愛なのです。
それっきり彼はそうしなくなった。
で、彼は私の腕を折らなくてすんだわけ。
Q:佐藤学長は幼少時からどんな出来事にあわれてもトラウマにはなられない。
そのことと、このエネルギーとは関係があるのですか?
関係あるだろうね。
すべて有難い良きことだから、トラウマになるわけがない。
トラウマっていうのは「防御本能」なのです。
だから、正しく言えば、同じことをくりかえさないための「トラウマも愛」なのです。
そのためのフラッシュバックなのです。
フラッシュバックはその人にとって必要なのです。
Q:学長と同じエネルギーは、私たちにももつ事はできるとお考えですか?
そうね。
私が導けばね。
Q:へぇーー、それは不思議です
うちでやっているのは全部そうだよね。