神る(みる)神じる(感る)

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

あるとき、クリニックの面談室で打ち合わせをしていました。
打ち合わせの内容は「佐藤康行の研究」についての内容でした。
「佐藤学長が・・・・・」
「佐藤学長は・・・・・」と、話題は勿論、佐藤康行だけの話です。

「やはり、この件については、佐藤学長にご相談してみないとわかりませんよね」
などと会話をしていたら、音も無くドアがスッと開きました。
わっ!
いきなり佐藤康行です。

「私を呼んだ?
なんか、呼ばれてる気がして来ました」

こうしたことはしょっちゅうです。
ある方は、心がざわざわしていたら、瞬間、佐藤学長から電話が入り
「何かありますか?」と、いきなり言われたとビビッていました。

ある方は佐藤康行のことを電話で話していたら
キャッチが入り、電話を切り替えたら佐藤康行だったという事もありました

ざわざわした人が佐藤康行に「なぜ、あのときに電話をいただいたのですか?」と聞いたら
「静かな湖面に、ちょっとでもさざなみがたつと、すぐにわかるでしょ?」
そう答えた佐藤康行でした。

佐藤康行には世界の何が神えて(みえて)いるのか
佐藤康行は世界の何を神じて(かんじて)いるのか

佐藤康行は、全く気配がありません。
気配が消えてしまうことがあります。

「気配がないという事は、どういうことですか?」
あるとき、そんな質問したことがあります。

佐藤康行はこういいました。
「私たちが感じられるのはせいぜい五感、六感
まぁ、いうなら霊体くらいまでは感じられるよね。
でも宇宙は感じられないでしょ。
 気配がなくなるというには、言うなれば宇宙と一体の状態ですよね」

「そうか、なるほど・・・!
だから佐藤学長は全く気配がないのか」
私はひとり納得してしまいました。

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