佐藤康行の小学校中学校時代

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

 

 さて、いよいよ、佐藤康行「美唄講演会」も来週に迫りました。
現在、地元の気温は、7度にまで下がる というお知らせが来ています。
沖縄の皆様、九州の皆様、そして、全国から美唄に向かわれる皆様・・・・。
 ご準備の洋服に気をつけて下さい。

そんな 極寒の中で生まれ育った、心の専門家「佐藤康行」
心の専門家となったエピソードとして、小学校のときの話がたくさん出てきます。
(巻末にエピソード記した、今までのブログをご紹介しています)

 

佐藤康行が小学校のとき、炭鉱の町として賑わっていた美唄市我路も
石炭から石油に代わりつつ時代の中、人口が減り、子供の数も減っていきます。
そのため、小学校の統合が行われました。

ずっと通っていた我路小学校が閉校となります

佐藤康行は大人の事情で、閉校となり、そして新しい小学校「沼東小学校」へと統合されます。

佐藤康行は我路小学校が無くなることが寂しくて寂しくて仕方がありませんでした。
そして、自分お力ではどうにもならない事がある。
大人の事情で、自分の力ではどれほど辛くてもどうにもならないことがある
そういう「世の矛盾」を深く感じたのでした。

こうした「世の矛盾」が後々の心の専門家「佐藤康行」を育てるのでした。

 

佐藤康行は中学のとき自分の中に在るとんでもない力に気づいた事があります。

それは、友達に囲まれ、袋叩きに会いかけた時、一瞬に出たおもわぬ力・・・・。
自分が極限で出した、一瞬のエネルギー
かかってこようとした友人が一歩も動けなくなってしまった。

ある意味「気」の一種のようなエネルギー
その力が自分の中にあることを経験し、驚きます。

 

そして、最愛の母を亡くしたのも中学のときです

こうして、佐藤康行は中学を卒業と同時に
丸刈りで学生服を着て、たった一人東京へと上京したのでした。



ナスペックバナー

ナスペック電話