※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです
美唄は炭鉱の町で、賑やかでした。
今は、すでに炭鉱は閉められていますが、記念の碑が建っています。
「炭山の碑」
炭鉱が閉山になり、佐藤が住んでいた我路も、人が住まなくなってきました。
我路には、住まなくなった家が、あちこちに転々と残っています。
誰も住まなくなった家
自然の中に川が流れています。
この川で、佐藤康行少年もお友達と遊んだのでしょうか?
我路の川
(注:このアーカイブでは画像を非公開としています)
佐藤康行小学校の時の思い出
~新聞配達~
佐藤康行が小学校5年生の頃、夢中になったものがあります。
それは、新聞配達でした。
毎朝、5時ごろに起きて新聞配達をすると、一ヶ月900円になりました。
毎日のお小遣いが5円だった佐藤少年にとって、それは魅力的なものだったようです。
新聞配達をする中で、佐藤少年はたった一度だけ寝坊したことがありました。
佐藤の母が、あまりにも気持ちよさそうに眠っている佐藤を、少し寝かしておいてくれたのでした。
しかし、持ち前の負けず嫌いの性格と、やるといったら絶対にやり遂げる性格の佐藤少年は
「何で起こしてくれなかったんだ」と、母親に泣いて食って掛かったのでした。
一回でも寝坊した事に、悔しくて悔しくて・・・・・!
泣けて泣けて仕方が無かったのでした。
佐藤康行は今でも、「やる」といった事は絶対にやります。
佐藤康行がやると決めた事は必ずやり遂げます。
この佐藤康行の性格は、小さい頃からのものだったという事が良くわかる
「新聞配達の頃」のエピソードです。
佐藤康行少年は、新聞配達のお小遣いを貯めて、念願のテープレコーダーを買いました。
そのとき、一番喜んでくれたのが佐藤康行少年の母でした。
「康行が新聞配達のお小遣いを貯めて、テープレコーダーを買った」と
母が近所の人に自慢げに語っていたと、そう佐藤康行は言います。