佐藤康行「私のルーツ」⑧ ~あきらめず、粘り強く~

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

美唄は極寒の町です。
もうすでに、気温は10度を下回っている昨今です。

北海道で「佐藤康行美唄講演会」の準備をしているメンバーから
「12月後半の寒さだと思って下さいとの連絡を頂いています。
美唄はもう、冬の訪れが来ているようです。

佐藤康行の生家の在る「我路」も寒い地域です。
少年時代の思い出を、佐藤康行はこういったことがあります。

「友達と遊んでいるときは忘れているのですが、暗くなって家に帰るとき
 寒さに手が痛くて痛くて、泣きながら帰ってきたことを覚えています」
泣いて帰ってきた佐藤康行少年の手を、母親がヒョイと自分の懐に入れてくれたのでした。
そして、早速、お湯を沸かして手を温めてくれたのでした。

厳しい寒さの中、佐藤康行は温かく豊かな家族の愛に包まれて育ってきたのです。

 

佐藤康行の生家があったであろうという場所です。
今は、空き地になっているようです。

 

生家があったであろうと思われる場所の回りの風景

 

佐藤康行の生家、美唄市我路高台を降りて、美唄方面に少し戻った辺りにある古い民芸店です

(注:このアーカイブでは画像を非公開としています)

 

佐藤康行の思い出
~マラソン大会~

小学校のとき、授業中にじっとしていなかった佐藤康行少年
担任の先生にビンタをくらったり、こん棒で殴られたりして、
鼻血を出したりした事もありましたが、その中に、先生が必死で叱ってくれてたという
深い愛情を感じ取ることが出来る少年でもありました

 

中学のときの思い出です。
かけっこがあまり得意ではなかった佐藤康行少年でしたが、マラソン大会で7位をとったことがありました。
そのとき、中学時代の佐藤少年は強く思ったといいます。
「あー。力を抜かずに、あきらめず粘り強くやっていれば、必ず出来るのだ」
そのように思ったといいます。

 

後々、レストランの経営者をやっているときに、家出してボクサーを目指してきた若い人たちを雇いいれ、
皿洗いをさせながら面倒を見ながらトレーニングをし、佐藤自らがプロのボクサーを育てた時期があります。
その中から、日本チャンピオンも生まれました

 

この少年時代のエピソードは、後々の佐藤康行のこれらに大きく役立っているであろうと思われます


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3.佐藤康行の逸話紹介
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