佐藤康行「私のルーツ」⑨ ~当時の我路の地図~

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

美唄講演会まで、いよいよ残すところ2日となりました。
美唄市の方々の多くが、佐藤康行の講演会に参加されます。

受講生と美唄市民による「佐藤康行講演会」は、どんな事になるのか?
想像しただけでもワクワクするものがあります。

 

こちらは昭和41年の我路の地図です。
佐藤康行14歳の頃の地図です。
佐藤家はどこにあるか、わかりますか?

 

(注:このアーカイブでは画像を非公開としています)

地図の中央に大きく「郵便局」があります。
その向かいに何軒か家が建ち並んでします。
家が切れて、細い道から4軒目。
そこの「佐藤」と書かれた家があります

佐藤康行自身、昨日、この地図を見て、「佐藤」という文字を見つけたとき
「胸がどきどきする」と言っていました。
すでに佐藤康行には何かが起き始めているのだと思われます

 

さて、家の側に線路があります。
その線路を越えた広場のようなところで、佐藤康行少年は近所の友達と遊んだという事です。

この地図が作成された頃、ちょうど、佐藤康行は母親を亡くして故郷を離れようとしていた頃です。

佐藤少年は、東京へ行く1年以上前から、ボストンバックに荷物を詰めて、
毎日毎日「いってきまぁーす!!」と、東京へ出かける練習をしていたといいます。
それほど、東京での新しい生活に夢を持っていたのです。

 

15歳で丸坊主で、誰一人知り合いのいない東京にたったひとりで出てきたとき、
佐藤はさすがに3日3晩、食事も出来ず、一睡も寝る事も出来なかったといいます。

15歳といえば、まだまだ子供です。
言葉も違えば知り合いもいない、そんな環境に緊張と寂しさとがあったことでしょう。

当時の美唄から言えば、地元を離れるといっても札幌がほとんどでした。
しかし、佐藤康行は導かれるように東京へ出てきたのでした。

もし、佐藤康行が東京へ出てこなければ、今の私たちとの縁は無かったかもしれません。
それを思うと、感慨深いものがあります。

 

美唄のダムへ続く長い道
まるで、「神のメッセージ」にある真我の道と自我の道のようです

 


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3.佐藤康行の逸話紹介
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