過去にある痛ましい事件があったこと、そのことについて、今日はお話したいと思います。
それは、皆様の記憶にも新しい事だと思いますが、重度の障害のある方は、この世に存在価値がないという理由で、次々殺したという痛ましい事件のことです。
その事件について、ある方が質問をしたら、佐藤康行はこう言った。
「殺害した人も、その人が先祖から背負ってきた因縁。性格とも言うべきもの。
そして、生まれてからの育てられ方。学校、友人、彼を取り巻く環境。
それらをずーとあなたがビデオで見たら『あー、やっぱり、、、、』
そう思えるかもしれませんね」
そして、重度の障害を持った人に対しては、佐藤康行はどう見えたのか?
「真我は命の観点から見ていくのです。
何かができるとか、何かをするから人間として価値があるという観えかたではないのです。」
「もし、障害者は人間として劣った、価値が低いものだと見るなら、ある意味、私もそうだと言えるかも知れませんね。
私も体が不自由です」
「でも、真我においてはそんな見方はしないのです。
命から見たときに、見えてくるものがあるのです」
「それが満月の捉え方なのです」
今、この時代だからこそ
満月を前提にするという、この観点でしか解決しない事ばかりなのだと感じるのは、研究員ばかりではないと思う。
だからこそ、佐藤康行の言葉が多くの人の賛同を得ているのだと思う。
それは、今、もう人間知ではどうにもならなくなった社会が、佐藤康行を求めている叫びなのだと研究員には感じて止まないのだ。