本物の師に出会うということ ①

親鸞が法然に言った言葉で、有名な言葉があります。
「たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、 さらに後悔すべからず候」

これは、どういう事を言っているのかというと、親鸞が「たとえ、法然上人に騙されたとして後悔はしない」とい事を言ったという話です。

 

先日、研究員が体験談を話させていただいたことがありました。

その中で「佐藤学長が詐欺師なら、私も一緒に詐欺をやります」という研究員の発言に対して「どういう意味なのか?」という質問を頂きました。
ある意味、誤解を受けかねない話なので、この部分を詳しく説明させていただこうと思います。

 

まずは、何故そのような考えに至ったのか・・・?
その辺りから詳しくお話したいと思います。

 

かつて研究員は、ある新興宗教に入信していました。
勿論、「これは変だな?」と思ったのですが、ある期間本物だと思って、真剣にやっていた時期もあります。

この新興宗教は、魂において本当に詐欺のようなことをやっていたのですが、本物だと思うと詐欺であってもドロボーであっても自分自身は見分けがつかなくなります。
やめた後から気がつくのですが、必死で活動をしていたときは全く気がつかなくて、イミテーションのダイヤモンドを本物だと信じ込んでいたのです。

そんな自分ですから、佐藤康行を見てすぐに「これこそ本物だ!」と思ったのですが、その自分が信用できませんでした。
新興宗教の教祖を本物だと思ってしまう自分が、佐藤康行を本物だと思ったとしても「そう思う自分自身が一番信用ならない」と、そのように思っていたのです。

また、「教祖に騙された!!」と思っていた私にとっては、かなりのトラウマになってもいたようでした。
もう騙されたくはない。
今度騙されたら、私は「もう人間を誰ひとりとして信用できなくなる」
そんな気持ちもありました。

 

そのとき、佐藤康行にはこんな風に言われました。
「私とその教祖との違いをノートに書いてみたらいいですよ。
そこの教えと真我の違いもノートに書いてみて、分からなければドンドン質問したらいいですよ」

私はノートに佐藤康行と教祖の違いを書き始めました。

 

それから何ヶ月かたったあるとき、あるセミナーでワークをしている最中に、とんでもない事に気づいたのでした

 

それは、私は新興宗教の教祖に騙されたと思っていたけれど、私こそとんでもないことをしてしまったという事でした。
被害者だと思っていたのが、実は加害者だったんだと、、、、、。

それはドロボーの親分に騙されてドロボー稼業をやっていた自分は、被害者だと思っていたけれど
実は私は教祖と同じことをやっていたのだ。
私の罪は、教祖の罪となんら変わらない、、、、、。
あれほどひどい人間だと思っていた教祖と自分は一緒なんだ、、、、、。

そう思うと、私はあまりの自分の罪深さに打ちのめされました。
自分で自分が許すことが出来ませんでした。

その時、佐藤康行はこう言ってくれたのでした。

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この 続きは明日。

興味ある方は、是非、明日もお読みいただけると嬉しいです。
明日の朝、8時に、またこのブログでお目にかかりたいと思います。

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本日のナスペックの読みどころ

世界が一変する真我の言魂
「一通過点」
・・・因縁が消えると
次元が上がる

次元は固定しない
宇宙の果てまでなのだ・・・

 

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