8月18日YSくまざわクリニック主催の「福岡講演会」について、少しお話したいと思います。
当日、講演会で、質疑応答のときに手を挙げられた方に対して、予定外での「真我との対話」が行われました。
佐藤学長は目の前の人が、今、緊急な状態のときには、全てをなげうって救おうとされます。
その時もそうした事態でした。
しかし、それでも主催者である熊澤院長に、壇上で「やっていい?」とおたずねになったそうです。
熊澤院長は一瞬ためらったとおっしゃっていました。
断れば、なぜやらないのか。そう思う方から非難を受ける。
やれば、講演会に来た人の中には、誤解をする人が出てくるのではないか・・・。
そして、ためらった後、「やって下さい」
そうお答えになったという事です。
そして、壇上では真我との対話が行われました。
すでにこのブログでも不思議な写真をたくさんお見せしましたが、会場内はとてつもない出来事が起きていました。
真我との対話を経験された方も、家に帰ったら奇跡のような出来事が起きていたということです。
殺したいほど恨んでいる母親と、大切な娘がうそのように仲良しになった。
娘が今まで見たこともないほどの笑顔と明るさで、生き生きとしている。
この奇跡に、ビックリされていました。
さて、この一連の出来事。
この中に、それぞれの立場で、いろいろなストーリーがありました。
今回の講演会は、主催者を中心に実行委員の皆さんは、真我を知らない人が多くいらっしゃるという事で、誤解を受けないようにということで、こういう形でやろうと計画されていました。
そして、その計画通りに進んでいたのですが、最後に計画外の出来事の「真我との対話」が行われたのです。
講演会終わった後、いろいろな思いが浮かび上がってきたそうです。
一部では「真我との対話」をした事で、宗教だと誤解を受けたのではにかと、思われた人もいたかと思います。
また、「真我との対話」をしたことで、当日のお客さんが帰ってしまったのではないかと、そう誤解をされている人もいると思います。
しかし、研究員は当日、スタッフとして、ずっとその状況を見ていましたが、真我との対話の最中に、会場内の誰一人として帰ったひとはいませんでした。
みんな、じっとかたずを呑んで、佐藤康行と相談者とのやり取りを聞いていました。
誰一人、声を出す人もいませんでした。
会場内には小さな赤ちゃんもいたのですが、ピタッ!と静かになったのです。
そして、橋渡しになって、一部の人が帰っていかれました。
これはどこの講演会でも起きることなので、特別な出来事ではありませんでした。
さて、今回の出来事。
発信者である私たちは、いったい、何を発信していくのか・・・?
それを考えるよき機会となったような気がします。
いったい何を恐れていたのか!?
いったいどこに焦点をあてていたのか?
いったい誰に合わせていたのか?
世間か?人の誤解か?誤解を避けたいのか?
誰よりも真我の凄さを体験し、誰よりもわかっているのは、ひとりひとりの体験者の自分たち。
その自分たちが声を挙げなければ、佐藤康行が何をやっているのかを知らしめることが出来ないのではないのか。
佐藤康行が今、今までのぬいぐるみを脱いで、例えひとりになっても、誰もわかってもらえなくてもやるといっているこの時だからこそ、起きた出来事のように感じました。
今回の講演会は、大切な出来事のように感じます。
今一度、自分ごととして考える良い機会ではないかとそう、つくづく思っています。