なぜ、焼山さんは、たった一人で知り合いのいないニューヨークに行って、8ヶ月であれだけの人を集められたのか?
また、ニューヨークの真ん中の素晴らしい立地に素晴らしい事務所を借りることが出来たのか?
焼山さんが特別だから出来たのか?
それとも誰にでも出来る事なのか?
そのあたりの観点から話を進めてまいりたいと思います。
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昨日のブログで(←クリック)、ロサンゼルスで苦労してやり続けてきた焼山さんでしたが、たくさんの仲間も出来、真我開発講座の集客も出来るようになって、やっと真我一本で生活が出来る見通しができるようになった時、彼女はロサンゼルスを地元の仲間に全て託して、たった一人ニューヨークへ引越しをするという決意をします。
今、IGAニュースレターで体験談を出されている岡田さん。
彼も、大手電化製品販売のお店でどんどん営業成績が上がって、苦しかった生活が安定し始めたときに、あえてその仕事をやめて、お金が無いのに、カウンセリングや講座を始めようと当時で言えば無謀にも始めたという事がありました。
お二人には、このような共通項があります。
「今あるものをすてろ」という事を言っているのではないことは、勿論、賢明な読者の皆様ならわかっていただけると思いますが、しかしお二人は、まさに、佐藤康行のいう本質的な「捨てる」という事を実践したのではないかと、研究員はそのように捉えています。
なぜなら、お二人は佐藤康行に対する絶対的な確信と信頼が深いことも共通しています。
さらに二人に共通しているところは、お金が無くても、佐藤康行のセミナーを受け続けていたという、佐藤康行への焦点の当て方にブレが無いことです。
焼山さんは、なけなしのお金でロサンゼルスから日本に何度も佐藤康行に会うために来日していました。
また、岡田さんも、一番ご自身が金銭的にも苦しい時に、何より最優先で佐藤康行の元に通ってきていたという事があります。
お二人にはこうした共通した下地がありました。
さて、話をニューヨークの焼山さんに戻します。
ニューヨークへ引っ越した焼山さんは、引越し荷物が届かないという不運にみまわれました。
アメリカはこの辺がかなりいい加減だったようで、いつ自分の荷物が届くのか、全くわからない状態で、当初暮らすしかありませんでした。
確か3週間ぐらいは荷物が届かなかったではなかったのではないかと思われます。
また、引越しした当初の2月のニューヨークは、寒くて雪が降り続き、いろいろな予期せぬ出来事に見舞われていました。
焼山さんはそれでも気を取り直し、まずは知り合いを作ろうと、日本人向けの無料の情報誌を見ながら、日本人が集まるところへ片っ端から出かけていきました。
勿論、どんな集まりなのか。
どんな人が来るのか。
全くわからなくても、当初はやみくもに、日本人が集まるところへ出かけていきました。
さて、そこへ行ってどんな事をしたのか?
そして、そこではどんなことが起きたのか?
この続きは明日になります。
明日も8時にブログを是非お読みいただけると嬉しいです。