昨日、洗脳についての話をブログに書きました。
フェイスブックで「自身も30年間、宗教をやってきた。佐藤康行と教祖のとの違いを教えて欲しい」とコメントを頂きました。

思い返してみれば、研究員は真我を追求しながらも、洗脳が消えなかったときの苦しみは、なかなかのものでした。
追求すればするほど、自分はダメな人間だと思えて苦しみが増してきました。

しかし、今から振りかえると、あれがこそが良かったと、そう思えます。
あの深い深い闇も、心が引き裂かれるようなあの苦しみも、自分にとっては最高に良かったし、必要な出来事だった。
その道は、自分がやるべきことをやるために、どうしても通らなければならなかった大切な道だったと、そのように思えます。

佐藤康行とは一体何者なのか?

佐藤康行に焦点を合わせ、佐藤康行だけを見つめていく。
その事でしか、人間の洗脳や思い込みが解けることは無いのだろう。

なぜなら、世界中で唯一、あなたを神そのものだとそう神て、そう神(い)ってくれて、そう神(き)こえているひと。
そして、仮に、あなたが佐藤康行を裏切ろうが、悪態をつこうが、一瞬たりとも揺るぐことなく「あなたは神そのもので、愛そのものの素晴らしい人だ」と、そういいきってくれる人。
それが佐藤康行だからです。

今現在の研究員の結論はここなのですが、結論に一気に行く前に、それらを7つに分けてアプローチしてみたいと考えています。

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【佐藤康行と教祖との違い】①

佐藤康行は満月から出発
宗教の教祖は三日月から出発

 

佐藤康行は「自分と皆さんは同じです」と、そういいます。
佐藤康行には私たちが、神そのものだと神えていて、私たちの言葉が神そのものだと神こえています。
佐藤康行には、三日月は存在せず、満月だけしか見えないのです。

「自分は三日月だ」
「あなたは満月です」
「自分はこんなに三日月で、こんな三日月な出来事が起こっています」
「あなたは満月そのもので、その出来事はあなたが満月だと教えてくれているこんな満月な出来事ですよ」

このように、徹底して満月から出発なのです。

こんなやり取りを、佐藤康行はあらゆる人と30年間続けています。
ここから、一瞬たりともぶれたことはありません。
その結果、事実実証として、病は治り、人間関係は良くなり、事業で大成功した人は数限りなくあります。

 

宗教の場合は、教祖だけが神であり、悟った人です。
それ以外の全ての人は悟っていない人です。
悟るためには、唯一、悟っている教祖の教え(考え)を学び、実行することでしか救われないと、宗教での教えはそのようになっています。
それが、自分の教団を広げるための理論にもなっています。

つまり、満月なのは教祖だけです。
それ以外の世界中の人は三日月です。

「あなたは三日月です。だから、そんな三日月な出来事(不幸だとおもえること)が起きます。
本来満月なのですから、その三日月をまん丸にしなければなりません。
そのためには、満月そのものである、教祖の教えを聞き実践して、三日月を徐々に丸くしていきましょう」

あくまでも三日月から出発なのです。