個人的な話になります。
昨日は母が亡くなった日でした。
今から7年前のことです。
母が突然倒れたのは、真我開発講座に出会ってから3年目でした。
真我を開発するまでの私は、母に対しては心の中での葛藤もあり、まさか自分が母の介護をするとは考えたこともありませんでした。
真我を開発し、心の中の大きな変化の結果、倒れた母の自宅介護を決意し、母と二人の24時間の介護生活をしました。
その期間は4ヶ月ではありましたが、毎日、親の命と向き合う4ヶ月でした。
たった4ヶ月ではありましたが、私の一生の中でも忘れられない凝縮した4ヶ月でもありました。
そんな事を昨日は、いろいろ思い出していました。
すると、母に対する感謝の気持ちと同時に、今まで見えていなかったものが見えてきます。
はっきりわかったことがありました。
明らかに母の死が無ければ、今の自分の真我への追究は無かっただろうという事です。
そういう意味においては、母が命がけで、今もなお、私を佐藤康行のもとに導いてくれているのです。
親子の縁は神様が創ったものです。
両親が私を選び、私が両親を選んだ。
佐藤康行は、そのことをこんなたとえ話で言います。
「雨粒がポツンと大地に落ちるでしょ。
その場所が雨粒を選んだとも言えるし、雨粒がその場所を選んだともいえます。」
私が雨粒で、両親が大地。
私はその場所を選んで落ちてきて、また大地も私という雨粒を選んでくれた。
それが親子の縁なのだ。
その繰り返しをしながら、人類はこの地球上に延々と命の存続を続けている。
このお互いに選んだ縁をフックにして、思いっきり縦に飛ぶ。
そうしたら、命の源が見えてくるような気がします。
佐藤康行がいなければ、この壮大なとてつもない真理に、たったのひとつも気づけずいたことでしょう。
それは生きていても生きていないことなのだと思いました。
本当の生きることの意味とこの命は、実は佐藤康行からもらっているという事を、母に教えられた昨日でした。
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本日のナスペックの読みどころ
世界が一変する真我の言魂の
「1204:佐藤康行に焦点を当てる」
真我は究極です
究極と出会ったのです
そのことを絶対
忘れないでください
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