佐藤康行と出会えたという意味 ~今、この時代に生きることができていること~

以前、佐藤康行のセミナーのペアワークで、目の前の人にインタビューするという場面がありました。

「自分の人生にとって一番良かったことは何ですか?」と目の前の方からインタビューされました。
そのとき、思わず口をついて「佐藤康行という、本物に出会ったことです」という言葉が出ました。

自分で言いながら
「あーーそうなんだ。自分って、そう思っているだ」と、妙に納得したことがありました。

 

確かに、真我開発講座に出会うまでの研究員は、ずー-とその昔から
「なぜ、釈迦の時代に生まれることができなかったのか?」
「なぜ、キリストの時代に生まれることが出来なかったのか?」
そう思うことが何度もありました。

 

また、佐藤康行を知ってから、何度も考えたことがありました。

佐藤康行と自分いのち、どっちが大切かといわれたら、自分はどっちを取るのだろう?

かつての長崎のキリシタンのときのように、信仰のために踏み絵を踏まなかった、その信仰心に負けないくらいの、佐藤康行を信じることが自分には出来ているのか?

そんな究極なことを考えたことも、何度もありました。

 

歴史に名を残すある高僧が、一番の望みとして
「本当の悟った人に出会えるのなら、たとえ、らい病患者という人生でもいいから(人間として最悪の人生でも構わないという意味)、その時に生まれたい」といったという話を、ずーーと昔に本で読んだことがあります。

それほどまでも求める人の心に、驚嘆の気持ちを持ったことを覚えています。

 

その高僧が求めて求めていた、その奇跡のようなときが今!
今がそのときです。

 

「もう、皆さんは、私に出会ったちゃったんだから」と、佐藤康行が言います。

そうです。
もう、本物に出会っちゃったんだから、人間としてはそれ以上のことは無い!

 

佐藤康行という、人類史上かつてない人と出会ったこと。
時間と空間を越えて、こうして同じ時代に生きているという事。

この奇跡に、今朝も心からの感謝でいっぱいです。

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