真我寂光の世界

佐藤康行先生の言葉に「真我寂光」という言葉があります。
かの昔、このブログにも書いたことがありましたが、研究員は数年前にこの佐藤先生の言葉で救われました。

 

真我に出会う前、間違った宗教をやってきたその罪の深さに気づき、目の前の真っ暗闇となり、その漆黒の闇の中から一歩も進めなくなった時に、佐藤先生から、今まで聞いたことない言葉を聞きました。
その言葉が「真我寂光」という言葉でした。

「闇も光なんですよ。
それを真我寂光といいます。
瀬戸内寂聴のじゃくの寂しい光と書いて、じゃっこうと呼びます」

「闇が光になるのではなく、闇が光なんですか?」

「そうです。
真我には闇は無いのです。
ただ光だけなのです。
だから、闇は光なのです」

 

その時、佐藤先生がおっしゃる真我寂光の、本当の意味は分かりませんでしたが、「闇も光」という言葉に、暗闇の中の研究員は「この闇が光なら、もう少し進んでみよう」と、一歩を進めることが出来たのでした。

 

あれからすでに数年が経ちました。
ことあるごとに、私は「真我寂光の世界」という言葉に、立ち戻ります。
そして、真我寂光で生きることが、肉体人生での一つの目標となりました。

 

数日前、理由のわからない深い闇の中に紛れ込んでしまいました。
その時も自分から出てきた言葉は「真我寂光」でした。

そしてその後、佐藤先生の「3つのみる」のお話をお聞きすることが出来ました。

 

その時、「見る・観る・神る」を同時にすることが、「真我寂光の世界」なのだということが、まるで絡んだ糸がスルスルとほどけるように観えました。

そして、不思議なことに、それを、現実で確認するがごとく、足元に次々といろいろな出来事が起きました。
その出来事は、今までと全く違うように観えるし、見えるのです。
確かに、その奥に光があることを感じることが出来たのです。

これは不思議です!

 

佐藤先生!
研究員は、少し進化できたようです。
脳が入れ変わったようです。

なかなか外れなかった、自分の性質という難敵が、あの苦しみで木っ端みじんに壊れたようです。

佐藤先生!!
私はまた生まれ変わらせていただけました。

肉体の命より大切なもの。
それをまた、佐藤先生からまた頂くことが出来ました!

この喜びと感謝は、何物にも代えがたいものです。
ありがとうございます!
 

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