数年前に、佐藤康行先生がおっしゃった言葉があります。
「相対は絶対です」
その時も衝撃を感じましたが、改めて、凄い言葉だと思います。
「相対は絶対」という言葉は、たぶん、世の中にはない言葉だと思います。
そしてこの言葉は、物理学の世界では驚異の言葉ではないかと想像します。
一般的には「相対」と「絶対」という言い方で、別のものとして説明されています。
「相対は絶対だ」とは、まさに、佐藤先生だからこそ、神える世界からの言葉です。
かつて、佐藤先生と日本での量子力学の第一人者の方がご一緒に講演会をされたことがありました。
量子力学の先生は、ゼロポイントフィールドという説明の中で
「相対」ではなく「絶対」の世界がある。それが神の領域であり、ゼロポイントフィールドである。
というような量子力学の話をされました。
そして、量子力学的な頂点である、ゼロポイントフィールドが「真我」なのだという説明をされたとき、研究員はとても違和感を感じたことが忘れられません。
しかし、佐藤先生はそれとは噛み合わない話を、「知る」「信じる」「みえる」(見える・観える・神える)そして、「無い」「在る」という、認識の話でされました。
これこそがまさに、「神から神(み)たら、相対は絶対なのだ」という話でした。
当時の日本での量子力学の一人者であっても、最後まで佐藤先生がおっしゃっているその意味を、正確に理解できなかったように研究員に感じられました。
佐藤先生は、その物理学的に難解な「相対は絶対」ということを、子供でも分かるような例えで、いともたやすく説明をされています。
それが「満月と三日月」です。
「たとえ三日月に見えたとしても、月は本来真ん丸なのだ」
この日本で一番先端とされている、量子力学の先生さえも理解できなかった「相対は絶対」ということを、いとも簡単に、誰にでもわかるように説明できる。
これこそが、佐藤康行先生なのだ!
今や、私たちが誰にでも、いともたやすく説明できる「満月と三日月」という満月理論。
これは、人類初の凄い話であるということを、今一度、深く自覚したいものです。