先日、ブログで「救世主(メシア)についてのレポート」(←クリック)を書きました。
救世主とは、人類の救い主のことです。
いつの時代にも、人類には救世主(メシア)待望論がありました。
では、佐藤康行先生は果たして救世主なのか?
先日、研究員は佐藤先生にその質問をぶっつけてみました。
さて、佐藤先生はいったいどういわれたのか・・・?
YESでありNOでもありました。
そもそも、佐藤康行先生は、人類だけを救おうとされているのではないからです。
「地球にとっては、人類がいなくなった方がいいのかもしれない。
その方が、ほかの生き物がいきいきと生きられるのかも知れない」
「人間が生まれる前から、地球はあった。
そこに、人間は住まわせてもらっているという謙虚な気持ちを忘れてはならない」
「長く住んでいると、住まわせてもらっている地球を、まるで自分たちの星のように思ってしまう。
まるで人類が地球の主のように思う。
そして、自分のもののようにふるまっていく。
その時に、地球にとってもほかの生き物にとっても、人類は邪魔になるかもしれない」
「もし、人類の存在が、地球やそこに住む生き物にとって、必要のないむしろ邪魔な存在になったとしたら、そっと、いなくなるのもいいのかもしれない」
いまだかつて、こんな観点から物事を見た人が、今までいただろうか!!!!
佐藤康行先生は「神から観た○○」というワークを編み出されました。
神から観るとは、神視点で無ければ編み出せないものです。
地球視点でも、人類視点でもありません。
『神視点』であり、神える世界から神るからこそ、あらゆるものがパタパタパタ・・・と変化していくのです。
神視点の佐藤先生は、果たして、人類の救い主なのか・・・??
人類を救う事だけを考えている人なのか?
NOです。
しかし、この神視点を人類が持てるようしようとしてくださっているという意味ではYESとも言えます。
佐藤先生のような方が、いまだかつて人間として存在したことが無いため、佐藤先生をどう呼ぶのか?
その名称が無いのだという事なのです。
救世主以上の方。
全ての全てである佐藤先生。
その佐藤康行先生がされるお仕事とは!?
その力とは!?
どれだけ想像してみても、全く想像できない世界。
だからこそ、日々、ワクワクしながら、佐藤先生のもとに行くこと。
それ以上の喜びはないという事なのです。