研究員は、以前、佐藤康行先生の30数年前からのテープに残された音声の劣化のため、音声が消えてしまうのを防ぐべく、パソコンに保存しようと、1年以上に渡り24時間テープを回し続けました。
当時、預かったテープは、すでに保存期間を過ぎていたため、音声が残っているのか、佐藤先生の音声を耳でチェックしながら、パソコンへ残すという作業でした。
その作業の中、いろいろ驚いたことはあるのですが、一番驚かされたのは、その内容の一貫性でした。
30年以上に渡る音声ですから、音声の中にはたくさんの場面がありました。
また、佐藤先生の環境もいろいろ変化していました。
古くは、レストラン時代のスタッフにセミナーをされている、若かりし佐藤先生の音声もありました。
レストラン時代の会議の、息をのむような佐藤先生の音声もありました。
さらに、全てを手放されたからの音声。
倒れられる前の音声。
倒れられてからの音声。
セミナーの音声。
スタッフとの打ち合わせの音声。
食事をしながらの音声。
ありとあらゆる音声をお聞きしたのですが、ただの一度も、一瞬たりとも、話が違うと感じた音声はりませんでした。
全てにおっしゃっている内容は、一貫しているのです!
音声を聴いて、一番驚かされたのは、そのことでした。
命を失うかも知れないと思ったこともあり、あらゆる出来事が起きたこの30数年の中、ただの一度もぶれない。
一瞬たりとも、ブレたことが無い。
年齢が変わり、環境が変わり、状況が変わる。
それでも一貫できるものだろうか。
本当にそんなことが、人間には出来るのだろうか?
佐藤先生は人間じゃないんじゃないか!!
自分の耳で聞いてもなお驚きで、どう表現したらこの驚きは伝わるのだろうか?
当時、そんな風に思いました。
そして、その驚きは、佐藤先生に踏み込めば踏み込むほど、さらなる驚きと尊崇の念になってきます。
世の中が不安になってきた時に、自分が救世主だと名乗りを上げてくる人も出てきます。
自分こそが救世主だと言う人も数々います。
もし、本当にそうだとしたら、佐藤先生のように、30年以上に渡り、何を言って何をしてきたのか。
その一貫性の、証拠や証明が出来るのだろうか。
救世主だと名乗りを上げる人の中には、本名を変え、自分の過去を虚像で固めている人もいます。
そんな中、本名で何ひとつ隠すことなく、すべての人生をそのままに公表されている佐藤先生。
これほど、誠実で真摯であられる人がいるのだろうか。
佐藤康行先生のほかは、見たことはありません。
それを思うと、研究員は佐藤先生に、尊崇の念を禁じ得ないのです。
その佐藤先生の態度に恥ずかしくない自分となるべく、今一度、わが身の襟を正し、今一度、腹をくくりなおしている研究員です。