以前、コロナの治療薬として注目が集まっている「アビガン」を製造している、富士フイルムのお話(←クリック)をしました。
今の富士フイルムが、コロナの治療薬をたまたま開発をしていたという事。
そして、なぜか富士フイルムとご縁があったという事が、佐藤康行先生に起因していると、研究員にはそう思えて仕方がありません。
今、コロナまでのこの一連の出来事は、全てが佐藤先生のエネルギーであると、そのように考えています。
今まで、富士フイルムのことは、全く関係が無かったと思っていたので、ほとんど人に話すこともありませんでした。
しかし、最近、テレビ「アビガン」のことや、富士フイルムという会社が話題になるにつれ、当時のことが鮮明に思い出されてきています。
きっと、佐藤先生と何か縁があるのでは?
しきりにそんな思いが湧き上がってきます。
そのご縁を探るべく、当時のことを思い出しながらブログに書き記そうと思います。
そもそも富士フイルムという会社の創業は、戦後、国内のフイルム事業を外国に奪われてしまわないようにという事で、半分国策のような形で始まったと、当時そのように聞いていました。
だから、会社の歴史は、一人の卓越したリーダーが存在していたというのではなく、会社そのものが歩んできた道が、会社の歴史でした。
ですので、経営者は継承ではなく、社内の社員の中から生まれてきます。
研究員がいきなり、大企業である富士フイルムとご縁を持てたのは何故なのか?
当時も不思議に思っていましたが、今だからわかるのは、当時、会ってはなかった、佐藤先生のエネルギーの仕業だという事です。
2007年だったと思います。
富士フイルムが本業を失って大転換を始めた時期でした。
当時、化粧品のオリジナルの製造をコンサルタントしたり、美容の講師などを仕事にしていた研究員に、いきなりプロジェクト参加の声がかかったのです。
富士フイルムが化粧品?
なに?
それ・・・・。
フイルム会社が化粧品?
あまりにも畑違いで、全くイメージがわきませんでした。
正直、フイルム会社の化粧品を、女性が使いたいと思うだろうか・・・?
難しいな。
それが業界で仕事をしてきた、当時の研究員の考えでした。
後年、富士フイルムの化粧品参入の大成功で、サントリーを始め、次々と他業種が同じようなコンセプトでの参入となっていく、業界での驚きの成功例となりました。
化粧品のプロ(?)という触れ込みで、プロジェクトへの参加をしたのですが、そこへ至るまでの面接は一流企業だけあって、今までとはちょっと違っていました。
面接を重ね、なぜか面接を通っていって、最後はいよいよ、子会社であるヘルスケアの社長と取締役三役の面接となりました。
面接は、六本木の富士フイルムのビルの社長室で行われました。
当日は、玄関の受付を通る、通常の打合せとは全く様子が違っていて、特別な出迎えと特別な入り方でした。
本社の前まで行くと、すでに、玄関前でピシッと秘書が待って下さっていました。
「渡辺様でございますね。お待ち申しげていました。」
深々と頭を下げられ、一流の会社とはこんな風なんだと、正直驚いた記憶があります。
秘書に案内され、最上階の社長室に行きました。
とてつもない広い社長室。
どっちが上座でどっちが下座かわからないくらいの、大きなソファーや机が置かれていました。
まるで、テレビの一場面のような様子です。
そこで、忘れられない、社長面談を受けました。
長くなりましたので、この続きは明日、また、お付き合いください。