※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

世界初、佐藤康行の「究極のセールスマネージャー」研修は、世界一のセールスマネージャーになれるという確信のもと、二日目を終了しました。

昨日は「これこそ、佐藤康行!」という、佐藤康行の醍醐味を味わう事が出来ました。
佐藤康行は「私は寝ている時に一番仕事をします」といいます。
ウトウト・・・・・としている時にひらめくのだそうです。

昨日もちょっとした瞬間に、ウトウト・・・・・としたようで、目が覚めた瞬間「よし!これをやろう!」と佐藤康行の神技を見せてくれました。
それは佐藤康行の速射砲質疑応答です。

参加者全員が、スピードを上げて次々と佐藤康行に質問をします。
佐藤康行はそれに、間髪入れず答えていくのです。

「次!・・次!・・次!・・・・」と質問も短くどんどんスピードを上げていきます。
スピードが速くなればなるほど、佐藤康行の調子は上がってくるのです。

あらゆる質問が出ます。
佐藤康行は即座に答えます。
神業です!

佐藤康行は、考えて答えているというものではないのです。
質問が先なのか、答えが先なのかわからない状況です。

佐藤が間髪いれず答えてくれるその答えは、本当の意味で的を得ていて、質問者も一瞬「ん?・・・・?」と思った瞬間には、すでに次の人が質問をしていて、あれよあれよ・・という感じなのです。
しかし、そういうの時にもらった答の方が、後からズッシリと心にきます。
自分が本当はどうすればいいいのか、どう生きていけばいいのか、後から浮き上がって来るように明確になってきます。

どんな質問にも即座に答える佐藤康行。
その即座の答え。その短い言葉に秘められた奥の深さ。

その答えのどの一つをとっても、まさに一冊の本に出来るほどの内容の深味があります。
何故、佐藤康行はこんな事が出来るのか・・・・・!

質問した私達も興奮します。
そのやり取りのスピードに、エネルギーが渦を巻いて急スピードで上昇しているように感じます。
私は最後は頭がクラクラしてきました。

そして、懇親会の時、またもや凄い奇跡が起きました。

ご夫婦で長野から参加のH夫妻。
講座中、夫婦にとっても大切な感動的な出来事が起きました。
お腹の中の新しい生命にとっても、本当に嬉しいであろう出来事が起きましたが、その最後の懇親会の時に、命の奇跡が起きました。

奥さんがアンケートを書いている時、「ワァッ・・・・!」と、泣き崩れられました。
嗚咽が止まらなくて、深く深く感謝の涙を流していらっしゃいます。

いきなり彼女の先祖が現れて、彼女に「佐藤先生にどれほど感謝をしてもしきれない」
「あなたは私達の代表なのです。」そう、語りかけてきたと言うのです。

彼女はあまりの出来事と、喜びと、感動にずっと泣き崩れながら、佐藤康行に深い感謝をし続けていました。
その姿こそ、「いのちの究極のマネージャー」そのもの。
まさに、この奇跡の研修を締めくくるにふさわしい出来事でした。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

佐藤康行の言う「マネージャー」とは、従来のマネージャー論とは全く異なるものでした。
真我のマネージャーとは、かくも深く広いものかと、昨日は大きな衝撃でした。

昨日は、YSコンサルタント主催、世界で初めての「世界一のマネージャーを目指すセミナー」第一日目でした。
佐藤康行が宝石のセールスマンをしながら、どんな人もやる気にさせた事。
また、ステーキ店を70店舗にまで、急激に伸ばせた事。

そのマネージメント力がどのようなものであったのか。
改めて、その究極さに神がかり的なものを感じました。

多分、佐藤康行があのままビジネスの世界に生きていたとしたら、今頃は、日本を誇る世界に通用する経営者になっていた事は間違いありません。
松下幸之助をしのぐ人間的経営者として、世界に影響力を及ぼしていたであろうことは、昨日のセミナーの内容を見れば軽く想像するに至るのです。

しかし、佐藤康行はその方法で世界に影響を及ぼす事をやめ、一番難しいやり方を選びました。
そこが、佐藤康行の佐藤康行たるゆえんであろうと、私も改めて佐藤の底知れぬ力を、再認識し、それを思うと今、魂動し、胸が震えます。

佐藤康行のいうマネージャーとは、国を動かす事も、家庭を動かす事もまったく同じやり方です。
それは、人が幸せに生きていく方法は変わりがないからです。

ですから、佐藤康行の世界一のマネージャーのセミナーは、どんな国のトップが受けようが、小さな組織のマネージャーが受けようが、目の前の主婦が受けようが、「世界一の幸せを周りにもたらせる人」という意味では、変わりがありません。
それほどの究極さなのです。

昨日の、その究極の内容は、いずれYSコンサルタントでも伝説になるであろう事は間違いない凄さでした。
それほどの内容であったという事です。

さて、セミナーの様子は、開始早々、全員、一気に深く入って行きました。
私は、あまりのエネルギーに、早々から頭がフラフラになり、ついていくのが精一杯でした。

せっかく、「黒船亭」の美味しい食事を出していただいたのに、その味すら覚えていません。
それほど、自分の味覚もどうかなっていたのでしょう。

佐藤康行は昨日こう言いました。
「マネージャーとしてのマジックミラーの法則を、完全理解し、形に現わすまで、この二日間で徹底的に落としましょう」

この佐藤の言葉に、本セミナーが生まれたことで、世界一のマネージャーが続々と現れてくる事は間違いないと確信しました。

今日は、二日目です。
どんな事になるのか、全く想像できませんが、今から楽しみです。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

S氏は、北海道の土木のゼネコンとして、全国を精力的に動いていました。
仕事、出張、接待、打ち合わせ・・・・と、毎日を忙しく過ごしていました。
決して家庭的とはいえませんが、それなりに幸せな生活をしていました。

父親が亡くなり、その後、母親も心配になったころ、母を自宅に引きとりました。
しかし、母を引き取ったとはいえ、彼は相変わらず忙しい毎日でした。

家庭のことを振り返る暇がないまま、母のことは妻に任せっきりにしていました。
彼が気がついた時には、妻がすでに気持ちの上で母を受け入れられなくなっていました。

妻の母に対する態度・・・・。
それは、彼にとっては耐え難いものでした。

それでも彼は、その苦しいであろう母を、いごごちが悪いであろう我が家に置いていくしかありません。
それでも彼は、毎日を忙しくしていました。

働くのが男。
仕事によって、多くのものが犠牲になったとしても、それは仕事を持つ男としては当然だと思っていました。

その後、体調を壊し動けなくなった母を施設に預けました。
そして施設で母は亡くなります。

母亡き後、彼の中には、猛烈に自分に対する怒りが沸いて来ました。
その怒りの刃が、全て、妻に向かいます。

「許せない・・・!何故だ。 何故母をあんな目に合わせたんだ!」
そして、妻との仲は最悪になり、妻を許せない、憎いさえと思いようになりました。

そんな頃、彼は佐藤康行との縁が繋がることとなります。
最初は、佐藤が作ったメソッド「サンタ営業」を、学びに来ました。

しばらくして、サンタ営業を深めるために「真我開発講座」を受講することにし、そして、「真我開発講座」の中で、自分の怒りの心と真正面から向き合うことになりました。
そして、彼は大きく真我に覚醒します。

そこに見えたものは、母の深い深い愛・・・。
そして、妻の愛・・・。

あれほど妻を憎んでいた自分の気持ちが消えています。
一生涯、この憎しみと後悔は消えることがないと思っていた彼の心は、真我に目覚めた瞬間に、全てを愛おしいと思う気持ちに変化していたのでした。

フイルムとスクリーンが同時に消えた瞬間です。

彼は妻と和解・・・・。

そんな時、東北大震災が起きます。
東北の壊滅的な状況・・・・。
そして福島の原発。
そこに住む、母と同じような老人達の苦しみ、辛さ。

彼は、母の供養の意味もこめて決意します。
「母にしてやれなかったこと。それを、今日本で一番苦しんでるこの地の人のために捧げよう!」
「今こそ、俺は悔いのない人生を送る。」

そう、決意したS氏は、勤めていた会社を退職。
退職金を持って、単身、福島で介護の道へと進んでいったのでした。
誰も知り合いのいない福島にひとり立ったS氏・・・・・。
介護の仕事を始めるには素人でした。

介護施設を開設させるまでの数々の困難は、想像以上でした。
国の仕組みの中で出来上っている介護の世界は、今まで民間の会社で努めてきた彼にとって、矛盾ばかりで理解できない世界でした。

福島の地は北海道からやってきた彼に対して、当初、よそ者でした。
どれほど、彼が熱く語ろうが、彼を容易には信用する事はありませんでした。

しかし、彼は諦めるわけにはいきませんでした。
だからこそ、退路を絶って、北海道を後にしてきたのです。
だからこそ、たくさんの思いを北海道に置いて、まっさらな気持ちで福島の地に立ったのです。

いろいろな事はありましたが、とにかく、彼は福島で介護施設をオープンさせました。
綺麗ごとだけではなにひとつ進みませんでした。
汗を流し、涙を流し、歯を食いしばってオープンまでこぎつけました。

その間での出来事。
一つ一つの悔しかった出来事。
有難くて涙が出た出来事。
話せば、何時間もかかるほどの出来事を彼は経験しました。

その都度、彼は佐藤康行のもとに通い、佐藤からの言葉をたくさんもらいました。
その時は、どういう意味なのか分からない言葉もたくさんありました。
どう解釈していいのか、今、なお分かっていない言葉もあります。

しかし、筆舌を尽くすほど困難だと思えた事。
もう、無理だと思えた事。
そこを乗り越えられたのは、佐藤康行の言葉であり、佐藤康行の愛です。

どんな辛い時も、どんな苦しい時も「佐藤先生だけは、判ってくれている・・・・!」
「東京へ行けば、佐藤先生がいる」
それが、彼の支えになっていました。

そして、今、施設のオープンから2周年を迎えようとしています。
北海度を出来てきて、すでに3年になる今、たくさんの事が彼の脳裏に浮かびます。

今なら佐藤康行に言われた言葉の深い意味が、少し、分かったような気がします。
今だからこそ、話せる話もあります。

その中でも、彼にとって、忘れられない佐藤康行の言葉が三つあります。
その佐藤康行の言葉の三つを知るための、彼にとって忘れられない出来事があります。

ずいぶん前置きが長くなりました。
その三つについて、いよいよ話してまいりましょう。

一つ目の佐藤康行の言葉
「考えるな」

S氏は言葉通りに、あれこれと思い悩むことをやめ、今、目の前に起こる出来事だけに集中しました。
介護施設開設の場所も考えて決めず、直感で選びました。

二ヶ所の候補地の中、考えて選べば駅から近い好立地な場所を選んだはずです。
ところが、直観だと、駅から30分ほどのもう一か所の場所がピン!ときました。
迷わず、そこを選んだS氏でした。

選んで決めてから、その場所の周辺の状況を調べました。
調べたら、その場所の周りには、すでに大型の施設が多くありました。
福島でも有数の大型病院もありました。

一瞬、彼は「あっ!まずったかな・・・・」そう思いました。

しかし、彼は考えたり立ち止まったりすることなく、周りの施設にどんどん営業に回りました。
ところが、どこへ行っても断られました。

「あなたのような素人が出来る世界ではない。」
「地元の人じゃないんですよね」
「この世界は、気持ちだけで出来る甘い世界じゃないんですよ。」
そう、冷たく突き放されるのでした。

彼が何をするために北海道から来たのか?
その事を理解してくれる人は、皆無に等しかったのです。
自社のスタッフにさえ、なかなか理解してもらえませんでした。

しかし、後からわかった事です。
彼がピン!と来て選んだ場所は、福島の中でも一番、放射線の量が少ない場所だったのです。
知らないでその場所を選んでいたのでした。

それから、一年たったある日・・・・・。
当初、営業に回って一番厳しい言葉をくれた人が、彼の施設を訪ねてきました。

「一年前は失礼しました・・・。
あんな事を言って、私もずっとその事が気になっていました。

私は仕事上、あなたの施設の前を毎日通ります。
毎晩遅くまで電気がついているのを見て、あー、今日も頑張っているんだな・・・・、そう思って見ていました。

そして、日々あなたの施設の評判がよいのを耳にしています。
私の病院から退院する患者さんを、是非、あなたの施設で面倒を見てもらえませんか?」

そう言われ、それからどんどんその大型病院からの紹介が増えたのです。

佐藤康行から貰った二つ目の言葉は「「丸裸になってもいいという覚悟」でした。

さて、ここまでのS氏ですが、母と妻の関係をどうする事も出来ず、母を施設で亡くした事を悔んだことをきっかけに、「真我開発講座」を受講し真我に覚醒したのでした。
そして、東北大震災をきっかけに、全てを投げ打って単身福島で介護の仕事をするために北海道から福島へ移住。

知り合いもなく始めての仕事である介護の施設を建て、今や、その施設も2周年を迎えようとしています。
福島へ発つときに、佐藤康行からもらった三つの言葉が彼を大きく変えてくれたのでした。

一つ目の佐藤康行の言葉は「考えるな」でした。
その言葉通り、彼はあれこれ考える事をせず、ただ目の前の出来事、今、自分がやらなければならない事に集中しました。

すると、当初、彼に対して「そんな綺麗事だけでは、この仕事はやれませんよ」と言っていた、介護業界の人や周りの人が、とうとう「あなたに協力します」とまでに変化し、彼は地元で協力者を得る事が出来たのでした。

二つ目の言葉「丸裸になってもいいという覚悟」
彼は、当初、自分の退職金は施設の建設に使い、運転資金は地元福島の金融機関から借りる予定でいました。

しかし、福島には知り合いが一人もいません。
金融機関のどこに話しても、お金を貸してもらえませんでした。

そのままの状況で施設はスタートしました。
たちまち、彼の資金は底をつきます。

介護の世界は、先にお金が要ります。
スタッフの給与。
施設の入所に方の食事代。
他に日々に必要なもろもろの金は、先に要ります。

1か月を終え、それを書類にまとめて国に申請し、その後、お金が国から下りてくるという仕組みになっています。
ですから、どうしてもその間の運転資金がいるのです。

たちまち彼の資金は底をつきます。

彼はあの手この手で資金繰りをします。
北海道の自分の家のリフォーム代も、生命保険代もすべて解約し、施設運営に継ぎこみました。
あらゆるものをつぎ込み、まさに、彼は丸裸になりました。

彼の全財産は残りわずか3万円となります。
彼は、これでは明日の入居者の食事の材料をそろえる事さえ出来なくなりました。

彼は「いよいよ『町金』に借りようか・・・・。
しかし、それは後々危ない事になりかねない。
それならいっそ、スタッフに借りるか・・・・・」

そこまで追い込まれてしまいました。

佐藤康行の三つ目の言葉「Sさんが福島に行くのは救ってやるのではなく、救われに行きなさい」
その、言葉とも重なる出来事がその時起きたのでした。
S氏が福島で初めて御世話させていただいた方は、浪江町に暮らしていた90歳過ぎのおばあちゃんでした。
それまで、お嫁さんの介助を受けながら、多少の不自由はありましたが、家で暮らしていました。

ところが、東北大震災の後、突然、目が見えなくなり、口もきけなくなり、寝たっきりで布団から起き上がれなくなってしまったのです。
いわゆる意識障害です。話しかけても全く反応がありません。

介助していたお嫁さんも、体を壊し入院する事になり、意識障害のおばあちゃんを引き受けてくれる施設がなく、困りはてている事を相談され、S氏は即断で預かる事にしたのです。

S氏の施設では、レクレーションの時間には、佐藤康行が開発した「体道」を、施設に来ている老人同士でやります。
「ありがとう・・・・・」「あなたに会えてよかった・・・・」などと言いながら、みんな楽しそうにやっています。

浪江町のおばあちゃんも、そんな皆さんの傍にいます。

勿論、最初は何もできませんでした。
ところが、2か月もすると、しゃべれるようになり歩けるようになっていました。

奇跡です!

あのまま、「意識障害」という事で、寝たきりで放置されていたら、きっと植物人間のように寝たきりになっていたことでしょう。

しかし、そのおばあちゃんが、体道を見たりやったりしているうちに、言葉が話せ、笑い、歩けるようになったのです。
S氏にとっては、この仕事の喜びと、感動と、遣り甲斐を感じた瞬間です。
そして、S氏が救われた瞬間でもあったのです。

佐藤康行が言った事。
「あなたは救いに行くのではなく、Sさん、あなたは救われに行くのですよ」
その言葉が分かった瞬間でもありました。

日本の中で、一番何も持たないおばあちゃん。
家も故郷もなくし、目も口も歩くことも全てを失った90歳過ぎのおばあちゃんが、彼を救ったのでした。

母を亡くして悔いた事。
母の深い愛を感じて、感謝して泣いた事。
恩返しをしようと、この福島へ来た事。

だからこそ、「もう駄目だ・・・」と思える事があっても、どんなに苦しい事があっても、彼の心の中で、浪江町のおばあちゃんの「がんばれ・・・!」という声が響き、ここまで頑張ってこれました。

あれこれの金策も果て、お金に出来るものの全てをお金に換え、何とか施設を維持してきた彼ですが、さすがに万策つきました。
ある木曜日です。

いよいよ彼の全財産は、財布の中の3万円・・・。
明日の食材を買うにも、困っていました。

さすがに、その晩は眠る事が出来ませんでした。
眠れられないひと晩を過ごしたS氏。
金曜日になり、どうするかも考えていませんでした。

朝、一番に電話が鳴りました。
「Sさん、一本入れておきまししたからね。」

「エッ??」
銀行の担当者からの電話でした。

「一本って100万円ですか?」
「はははは・・・。Sさん、まぁ、通帳を見てみてください。」

S氏は通帳を持って銀行に走りました。
通帳には10,000,000という数字が印字されていました。

「あ 、有り難い・・・・・。」

人の温かさ。
浪江町のおばあさんの「がんばれー!」といいう声。
あの世からの母の後押し。
大好きな福島の皆さん。

大きな愛をいっぱい受けて、S氏の大進撃が始まりました。

施設開設から、2年の月日が経ちました。
彼の施設は、あるフランチャイズの施設ですが、全国に80施設あるなかのトップです。
それも、ダントツの1位です。

本部から「Sさん。今月もダントツの1位ですよ。2位とはかなりの差がありますよ」
そんな連絡を貰いました。

経営の方も、順調になり、スタッフへもボーナスを出せるほどになりました。
「さぁー!ここからスタートだ!」

北海道から出てくる時、佐藤康行の講座を受講し、その中で作ったわが社の理念。
「お父さん、お母さん、ありがとうございます。
あなたの喜ぶお顔が、我が社の全てです」


この理念から、一つも変わることなく、一つもぶれることなく、これからもこの理念一筋に、自分の人生をかけて貫き通す覚悟です。

「僕は、佐藤先生に、新しい生命を貰ったんです」
「こんな楽しい仕事は無いね。これは佐藤先生から貰った、僕の一生の仕事だ」
そう、嬉しそうに笑うSさんでした。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

佐藤康行を待つ大阪では、奇跡の黄金の雨がどしゃ降り状態でした。

先週の土曜日から、毎日のように起こる出来事。
それは、どのひとつをとっても、人生でそんなに出会うことがないような信じられない出来事が、目の前で起きています。

人間は、これほどまでに、いとも簡単に変われるものなのか……!

真我に目覚め、本当の自分に目覚めた途端、見事に別人になっていかれる姿を目の前で見ると、いよいよ、この本当の凄さに「参りました!」という気分なのです。

さすがに、佐藤康行の講座にずっと出ていると、参加者の多くのここまでの奇跡の数々を見てきています。
そして、更に踏み込んだときに、さらなる世界が訪れていることも見てきています。

佐藤康行を中心に、起こる数々の出来事。
どのひとつを取っても、感動的な驚くべき出来事ばかりです。

神はなんと壮大なドラマを私達に与えて下さったことか!
自分に起こるドラマも、そして、目の前で起こるドラマも……!
なんて感動的なんだろう!

昨日も、母娘で参加のお二人に、驚くべき奇跡が起きていました。

全員がワークの最中に、バインダーを投げすて、嫌だ嫌だと泣いてる娘。
泣きながら「お母さんは…………(聞こえなかったが)だっ!」と、泣いて、スタッフに訴えていた娘さん。
私達は気になりながらも、自分のワークに集中していました。

勿論、佐藤は微動だにしません。
その佐藤の集中力に、私達もどんどん深い境地へ入っていきます。

と、気がついた次の時には、その娘さんが別人に変わっていました。
「あれっ?いつの間に…………?」

あまりの瞬間の出来事に、何が起きたのか全く分かりませんが、あんなに目をつり上げて泣きわめいていた彼女は、可愛い愛らしい女の子になっています。
お母さんとも、仲良く話しています。

それからは、私たちと同じように、並んで佐藤康行の前に何度も通っています。
この姿を見ると、先程見た、あの出来事が夢かと思えるほどです。

そればかりか、会場内あちこちで起きている数々の奇跡!
まさに、黄金の雨がどしゃ降りになっていました。

真我に覚醒し、真我で生きる人生。
それは、毎日毎日が奇跡と感動の日々になるということを、ひとりひとりに教えてくれている、佐藤康行という人物。

この、佐藤康行という、たぐいまれな人物が、この世に存在しているという事が、人類の歴史上、最大で最高の奇跡である!
そう私は強く確信しています。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

奇跡が起きました!

佐藤康行の講座は、数々の奇跡が起きるのですが、「男女の真理コース」で起きる奇跡は、夫婦の愛の物語です。
今までも、数々の奇跡を目の前で見て来ましたが、男と女の愛の奇跡は、周りのみんなを心から幸せな気持ちにしてくれます。

今回も素晴らしい奇跡でした!
この夫婦関係はもう修復できないだろう・・・・としか見えない夫婦が、愛に満ちた姿に再生していく姿・・・・・。
それは、私たちをも喜びに満たしてくれる姿そのものです。

今回もそうなのですが「何か努力をして、夫婦の中が修復された・・・・」
そんなものでは無いのです。
根本から変わってしまうのです

明らかに、フイルムとスクリーンが同時に変わる!
その結果、夫婦の関係が変わって、離婚寸前だった夫婦が、お互いが思いあって支えあう、何とも素晴らしい愛あふれる夫婦になるのです。

それも、長年、何をやってもダメだった二人が、たった二日で・・・・・・!
それは、佐藤康行が何かを諭したり、教えたりした訳ではなく、自分自身でワークをやったり、質問をしたりしているうちに、勝手に本人たちが変わっていくという世界なのです。

なんとも・・・・!!!

今回は、仕事がバリバリ出来るワンマンで攻撃タイプのご主人と、鬱の奥さんでした。
二人は別居。すでに弁護士が入って、離婚話が出ているという状態でした。

しっかりと鎧を着ているご主人は、一日目でその鎧を脱ぐこともそのまま着続けることもできなくなり、苦しくて苦しくて、夜中に我慢できず、もう帰ろうとホテルを飛び出してしまったのです。

「佐藤先生しかいない!このチャンスを失ったら、私たちはも何ともならない」そう、直感的に感じていた奥さんは、ご主人に何時間にも及ぶメールでの説得。
奥さんのの説得で、ご主人は受講を続ける事を決意。

翌日の朝、鎧を脱いだご主人が、全面降伏状態で佐藤の前に現れました。
佐藤は何も知らないはずなのに、全てを知っているがごとくご主人を受け入れます。

多分、ご主人は心から「佐藤先生にはわかってもらえた・・・・・」そんな気持ちになったに違いありません。
それからのご主人の変化はすさまじく、あれよあれよという間に別人に大変身されたのでした。

実は佐藤は一日目には、すでに二人には答えを言っていたのです。
「私にはお二人は何の問題もない、良い夫婦だとしか見えませんよ」

言われた時は、二人とも「????・・・」でしたが、終わってみたら「そうか・・・。そういうことか・・・」に変わっていたのです。
佐藤康行は、常に「答えが先」なのです。

なんとも、本当に凄い二日間を体験させていただきました。
これだから、佐藤康行の講座は常にフレッシュで常に新しい自分を発見できるわけなのです。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

昨日は、佐藤康行による「男と女の真理コース」(メンタルパワーズ主催)が初めて大阪で開催されました。
この講座は、普通の講座とは少しテイストが違っていますが、昨日もさらなるディープな講座となりました。

この男と女というテーマは、綺麗事では済まされません。
面と向かって取り組まねばならないテーマです。

それだけに踏み込みが大切になります。
昨日も踏み込みの良さと、自分のテーマとしての熱心な取り組みで、参加者全員がかなり深い部分まで入って行きました。

男女というテーマでの講座は、世の中にはいろいろありますが、佐藤康行がやっている事はそれらとは全く違っています。
男女が何かをすることで仲良くなるのではなく、スタートラインが「もともと愛し合っている」からスタートなのです。
真逆なのです。

一番後ろに「悟りを得る」を持ってくるのではなく、「もともと悟っている」をスタートラインにしているのです。
ですから、世の中にあるどんな講座とも比べ物にならない深さと効果があるのです。

男と女がひとつになることで、新しい生命が誕生し、そして、種の存続が出来る神の仕組み。
その仕組みの中に、私たちは生きています。

ゆえに、愛し合う男と女は、「わかって欲しい」気持ちが強くなるのです。
そこに苦しみと見えしもの、悲しみと見えしもの・・・・・・そんなものがあるかのように思えるのです。

しかし、佐藤康行の男女の講座で、あっという間にそんな妄想は消え、もともと愛しあっている男と女になっていきます。
それだけの深味と高さと広さがあります。

この奇跡の講座を可能にしているのは、佐藤康行ならではの事です。
全てを見通している、佐藤康行ならではだと私は思います。

人間の視点の男と女ではないのです。
神の視点に立った時、男と女はどうなのか・・・・!?

人間がその視点に立つ事は不可能だと思っていましたが、今、こうして佐藤の元で観る事が出来るという事。
これがどれほどの奇跡かという事を、昨日、私は強く思い知る事ができました。

今までの総決算。
まさに、再出発。
そんな、心がひっくり返ったような一日目でした。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

佐藤康行の雰囲気が変わった・・・・!
そう私には、見えます。

先週末の「生命のプログラム」の時から、何かいつもの佐藤康行とは違う雰囲気を感じていました。
どこがどうという表現は出来ませんが、違う次元へ行ってしまってるというか・・・・
そんな雰囲気を感じていました。

そして、昨夜の「真我真理研究会」の佐藤康行の話。
それは、さらに次のステージへのステップの話に聞こえたのは、私だけだったでしょうか?
「何かが違ってきている」そう感じたのは、私だけではないような気がします。

今日はかなり私の主観的な話になっていますが、あくまでも私の主観という事でお聞きいただきたいと思います。

このところ、私は出来るだけ客観的に佐藤康行がやっていることを書くよう、心がけてきました。
佐藤康行の事を書くという事は、どこまで行っても私の見ている佐藤康行にすぎず、私がこのブログを書くことで迷惑をかける人がいるとするなら、それは、佐藤康行ただ一人な訳です。

私の書くことで、もし、リスクがあるとしたら、それは佐藤康行自身です。
何故なら、例えば私がある日突然、佐藤康行の事実でもないことを、私の主観で批判したとしても、佐藤康行にはどうしようもない訳です。

勿論、そんなことをすることはあり得ないのですが、私が書くブログにおいては、そのリスクが佐藤康行自身にはあるということです。
それを含めて、佐藤の大きな器の中で、私は毎日好き勝手なことを書かせてもらっています。

ですから、出来るだけ私の感じている佐藤康行というものを、客観的に書くようにここ最近は心がけていました。
しかし、今日は、かなり私の主観的な意見であることを理解してお読みいただけるよう、お願いします。

毎日毎日、佐藤康行に焦点を当てて書いてきていると、私自身、感じるものがあります。
いろいろな事を感じます。

冒頭に書いた「佐藤康行が変わった・・・」というのは、主観的でありながらも、かなり今までと違う佐藤康行を感じている訳です。

そして、昨夜の「真我真理研究会」はそれを証明するがごとく、参加者の皆さんからの話は、あまりにも次元の違う衝撃的な話ばかりだったのです。
どの話も、魂が震えました!

今の世の中で、これほどの内容のレベルの話を、どこがやっているのだろうか。
どこでこれ程の身を呈している体験談を聞く事があるだろうか。
それも、物語や小説ではなく、事実の話ばかりです。

人間はこれほどまでに身を呈する事が出来るのだ・・・!
自分の身を守ることを超えて、ただただ自分の真実の声に耳を傾けて行動すると、どんな世界が待っているのか・・・。
それをお聞かせいただけた、昨夜でした。

ここでやっている事。
佐藤康行という人物。
佐藤康行がやろうとしている事。


その価値とその凄さが、まだまだわかっていないのではないだろうか・・・・・!

改めて、そう思え、考えさせられています。
そんな思いになった、昨夜の「真我真理研究会」でした。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

今日は予定を変え、昨日飛び込んできた、素晴らしいお話を皆さまにお知らせしたいと思います。

Tさんが13 14日の名古屋で行われた「宇宙無限力体得コース」の講座に、50年間「統合失調症」だった、実のお父さんと受講した話は、すでにお話しているかと思いますが、そこでの奇跡の物語をお伝えしたいと思います。

名古屋のスタッフは、前日からベッドや車いすなども準備し、万が一に備えていました。
また、名札も「T」ではなく、実の父の名字である「I」とい名札を、彼女に用意しました。

二日間、二人はI親子として受講します。
76歳のお父さんは2日間、皆さんと同じように座って受講が出来たばかりではなく、大きく真我も開かれたようで、来た時には若干ふらついていた足元も帰る頃には、スタスタと歩いていたとのことです。

また、表情も大きく変化し、はきはきとお話をされている姿は「どこが統合失調症?」と言うほどの激変ぶりに、全員が驚き感動したとのことです。
そして、彼女の実の母を「愛していた」と言われたとのことです。

50年間、ずっと病院で入院していた実父。
始めてホテルで宿泊した父・・・・。
初めは勝手がわからず、鍵を中から開けることさえできない父に、心配していた彼女ですが、翌日、全く変化している父親に驚きました。

「昨日までの霊が薄らいだ・・・・。」
そう言って、スタスタとトイレにもひとりで行けたのです。
すっかり変化していたのです。

その彼女から頂いた感動のメールを、ここにご紹介したいと思います。

離れていても、学長始め多くの方々に愛を頂き、支えて頂きながら、二日間を父とともにやりきることが出来ました。
本当にありがとうございます。
お布団も用意してありましたが、全く普通に椅子に座って二日間、皆さんと一緒に受講することが出来ました。

私自身、人生のこの時に、こんな感動があるんだと、今、噛みしめています。
「光の世界」の時には、まだ感じられなかったこと「私の人生がやっと自分の人生だ!」と自分事だという事が腹に落ちた感覚です。

まさに神の自覚。
私のこれまでの人生も、神の愛だったと号泣しました。

帰りの車の中で、父との会話が普通なんです。
「真我を教えてもらったことは奇跡だ」って、言ってもらえました。

そして、「あにきーー!」って叫んで「俺が悪かったんだって言いたい」とって、何度も言っているのです。
私もなんだか感動してしまいました。
次なる行動は「未来内観」受講ですが、父を断絶しているお兄さんのところに連れていく!という事を何とかやれたらと思います。

講座の中で父は確実に魂が動き、輝き、揺り動かされていたようです。
父の最後のスピーチも、娘として凄く感動しました。

終わってからも、名古屋の皆さまに心から祝福していただき、私もさらに感動してしまいました。
スタッフの皆様にお世話になりましたし、皆さまに支えられて出来ました。

本当にありがとうございます。

・・・・・・・・。
どうでしょうか・・・!?

これこそ、奇跡!
これこそ、真我のなせる技

50年、統合失調症という事で、ずっと病院に入れてしまっている。
これが、現代の最善だと思っている医療であり、現代の人間なのです。

もし、彼女が佐藤康行と縁を持つことが出来なければ、お父さんと会う事もなく、お父さんも入院したままで一生を終える事になっていたでしょう。
佐藤康行が何かをしたのではないのです。
佐藤康行と出会う事により、彼女がそのように自分自身で動いた結果なのです。

そこが、佐藤康行の凄いところだと思うのです!
佐藤康行だからこそ、出来ることなのです!
これが、佐藤康行の「引きのエネルギー」なんだ、そう私は思うのです。

佐藤康行から引き出された、彼女の素晴らしい本当の彼女が、一番したい事をし、そして、そのように世界が動いたという事なのです。
これが、佐藤康行がやっていることなのだと、私は改めてその凄さに驚くののです。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

「引きのエネルギー」それが佐藤康行のやっている事でした。

「学長だけはわかってくれる」
「学長だと安心して、そのまま心を出せる」
それは佐藤康行が何をやっているのか・・・・?

それを図に示し、佐藤康行自らが伝授してくれる。
「私は被せるのではなく、反対の引きのエネルギーでやっているのです」

人の話を被せたり、人の話を横取りしたり、また、人を誘導して自分の欲求の方へ持ち込んだり・・・・
それとはま逆の「引き」というエネルギー。
あなたの思い通りにさせてやる、全部をそのまま受け入れる。

「そこに徹しているのです」
「これは見ているだけでではわからないのです」
そう佐藤康行は言い、見ているだけではわからない、その部分を余すところなく私たちに伝授してくれます。

この引きのエネルギーを意識した二日間。
参加者は、引き出すエネルギーについて質問したり、ワークをしながら、知らず知らずに自らも深く深く引き出されているかのようでした。

佐藤康行の技とでも言うべき「引きの技」「引きのエネルギー」を、私たちが望めばどれだけでも惜しみなく与えてくれる。
その佐藤康行の「生命のプログラム」

最後に奇跡が起こりました。

いつも佐藤康行の講座では必ずご一緒するM夫婦。
この二人こそ、「引き」」の技を伝授された奥さんのN子さんが、ご主人の全てを受け入れた。
全てを受け入れ、ご主人を変えようとしなくなったら、ご主人はどんどん変化され、そればかりか会社も社員も全部が変化する。

そして、今やお二人は恋人同士のような「ラブラブソウルメイト」になっていらっしゃいます。

最後のワークの時、奥さんのN子さんの前に、ご自分の亡くなったお母さんが出ていらして、目の前のご主人に「娘が気付くのが遅くて、あなたを苦しめてごめんなさいいね」そう、詫びられたということです。
そして、N子さんは亡き母への、感謝と喜びの号泣をされ、聞いていた私たちも感動の涙を流しました。
(詳しくは、今、N子さんが本を書いていらっしゃいます。そこで、語られることでしょう)

佐藤康行は「真我の霊体ですね・・・・」
そう言い、しばらくの間、言葉を失っていました。

佐藤康行が何も手を下さなくても、ただ、一点をやるだけで、ガラガラと変わっていく。
二人も、二人を取り巻く多くの方も変化していく。

これこそが、佐藤康行のやっている「引きのエネルギー」がなせる技なのではないでしょうか!

30年前「あなたの言うとおりにします」と神に誓い、なにがあろうが、たとえ天地がひっくり返ろうが貫き通している佐藤康行。
「神と佐藤康行の啐啄同時」
その奇跡を見たような気がしました。

やはり、ここだ!
ここしかない!

改めて確信を深めました。



ナスペックバナー

ナスペック電話