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まずは、第一報!
大成功でしたーーー!

昨夜に引き続き、今夜も打ち上げが行われています。
今夜は、沖縄民謡に合わせて、踊るのだそうです。

それほどの、大成功だったのです!

「佐藤康行を囲む会」は、いっぱいの人でした。
私たち、お手伝いのメンバーは、椅子がなくなってしまい、立ち見という、嬉しい悲鳴でした。

佐藤康行の話は、真我を知らない人にでも良く分かる話でした。
しかし、不思議です。

真我を知らない人でもわかる、基本の話なのですが、これがとてつもなく深い話だったのです。
これほどの深い話を、何も知らない人にでも話せる佐藤康行という人に、改めて、私はため息がでるほどの衝撃だったのです。

そして、思わず、「なるほど・・・!」と、唸ってしいまいました。

佐藤康行は進化していました!
さらに深く、さらに軽やかに!
全くの自然体で、心の奥に届く、深い深い話でした。

佐藤康行の講話の後、休憩に入った途端、書籍コーナーは、人人人・・・・。
沖縄の皆さんで、いっぱいでした。

本もかなり売れている様子でした。
やはり、佐藤の話に皆さん、魂が揺さぶられてのでしょう。

佐藤の話に真我を揺さぶられた沖縄の皆さんは、最後の質問の時間の時、「質問する気がなかったのですが・・・・・:」と言いながら、胸の中にある苦しい悩みを吐露されています。

家族の病気のこと。
自分の苦しい心の病のこと。
夫婦のこと。

佐藤の前では、皆さん鎧を脱いで、泣きながら質問されています。

沖縄の一途な皆さんの質問に泣き、素晴らしい体験談に泣き・・・・。
私たちも泣かされ、心洗われました。

主催者の豊里さんも、泣きっぱなしで、まさに、主催者が一番感動という、後援会ならではの感動的なシーンがたくさんありました。
こういうのを見ていると、本当に来てよかったと、心から思えます。

豊里さんの熱い思いに、圧倒された今日一日でした。
さらには、途中、エアコンを強にして、室内を冷やさなければならないほど、会場内もアツアツでした。

沖縄は、本当に暖かく、コートを着込んで来た私たちを驚かせてくれています。



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「えっ!?こんなことってある?」
あまりの出来すぎた話に、作り話と思われるのではないかと、しばらく人にも言えずにいた話です。

IGAの真我開発講座を一通り受講した私は、YSコンサルタント主催の「サンタ営業」の講座も集中して受講しました。
真我を実践する、ダイナミックな講座、そしてワークに、真我というものはただ心のどう見るかだけではなく、実際にこんな形で世の中に現わしていけるものだということを実感し、そして、宗教とはやはり真逆であること、全く違うことを体感し、真我に出会えた喜びを感じていました。

YSコンサルタントで、佐藤康行が若い時代に、営業を通して何をしてきたのか・・・・。
そして、いかなる経営者であったか・・・・。
それを見るにつけ聞くにつけ、さらに、佐藤康行に対する確信が強まったのでした。

そんな時、佐藤康行の有名な宝石の販売の話を聞いていた時、「え、ええっーーーー!?」と思ったことがあるのです。

亡き母は、私が若い時期に、故郷の市の日本赤十字社の会長を務めていた時があります。

この日本赤十字社は、名誉総裁を皇后に、女性だけで県や市に下部組織が設置され、まさに女性の名誉職とも言える団体です。
父が市の議員を長く務めたということもあり、母はその名誉職を務めていたのでした。

私の記憶によると、会合ということで、あちこちに忙しそうに出かけていました。
県や各市の有力者の奥さんとの会合ということで、おしゃれをしてお食事会などに出かけていました。

当然、洋服、着物、宝石などにも、大変気を使っていたのでした。
そして、母の新しい洋服や着物、宝石がどんどん増えていたった時期でもありました。

ある時、母が珍しいことを言ったのです。
その珍しい母の話に心ひかれた私は、その話の内容を鮮明に覚えているのです。
確か、私が20歳になるかならないかの頃だったと思います。

その日、母はダイヤモンドの指輪を私に見せました。

いつも母が買い求める、地域の有名店の指輪ケースとは違った指輪ケースでした。
そのケースは始めて見るケースです。
「あれ?これはどこの店で買ったものだろう?」そう思ったことも覚えています。

母はその中のダイヤモンドを私に見せてこう言ったのでした。

「お母さんは、娘がそれぞれがお嫁に行く時、一つづつ宝石の指輪をもっていって貰おうと思っている。
そして、その指輪を、お母さんの形見だと思って大切にして欲しい。

お金を残しても、使ったら無くなるし、着物も洋服も流行があるし、
指輪だったら、いつまでも持っていける。

この指輪を、いずれおあなたが生まれる子供の入学式や結婚式に身につけて行ってほしい。
この指輪は、とってもいいダイヤの指輪だから、どうしたの?聞かれたら、母の形見だと言って欲しい・・・・・」
的な話だったのです。

その話に、妙に心動かされた私は、その日のことを鮮明に覚えていたのでした。
そして、本当に結婚をした時、その日に見せられたそのダイヤの指輪を、母から送られたのでした。
そして、その指輪とともに、お嫁に行ったのです。

母から「私の形見」と言ってもらった指輪は、私の人生とともにずーとありました。
母と私は、真我開発講座を受講するまで、決して仲の良い母と娘であったとは言い難いものでした。

しかし、さすがに、母が「自分だと思ってほしい」と言われたダイヤの指母は、大切に持ち歩きました。
母の言う通り、兄弟や友人の結婚式。
そして、息子の入学式、そして卒業式。
母から受け継がれてものとして、必ず、指につけました。

その後の、私の波乱万丈な人生に、母からの指輪はいつも私のそばにありました。
離婚した時も・・・。
商売を始め、あっという間に大きな会社になった時も・・・。
宗教に入って、仕事も全てを捨てた時も・・・・。
宗教から脱会して、会社を作るも食べられなくなり、あわやホームレス寸前になった時も・・・。
例え、財布の中に、数百円になった時でさえ、その指輪だけはを売ろうとは思いませんでした。

ちなみに、一番上の姉は翡翠。
次の姉はエメラルド。
妹はルビーでした。

この話は、全員覚えていて、母の葬式の時にその話が出たほどです。
そして、全員、ずーと大切に手元に置いてありました。

さて、話は戻りますが、佐藤康行の営業の話を聞き、本当に驚きました。
早速、指輪のケースを探したのですが、指輪は宝石箱の中に納めていましたが、ケースは見つかりませんでした。

また、当時、母は既に認知症になっていて、5分前のことさえ忘れてしまうような状態だったので、このことを尋ねてみましたが、結局は分かりませんでした。

今でも本当のことは定かではありませんが、私にとってはとても大きな意味のあることでした。
本当かどうかというより、ずーと、母を通して、佐藤康行と触れてきたのだと、そう思うことにしたのです。

しかし、こうした縁は決して私だけではないと思います。
佐藤康行と、過去、縁があった全ての皆さんが、きっと私と同じように佐藤との何かがあったと思うのです。



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昨日に引き続き、「黄金の雨が降る」セミナーの詳細をお伝えします。

冒頭、佐藤康行の「実相と認識」の話がありました。
佐藤康行の「実相と認識」の講話は、これまでも数回、聞きました。

そして、毎回、その壮大な話に驚きと感動で聞きいる私ですが、
今回は、話がますますシャープで切れ味よく、さらにさらに分かりなっていました。

いよいよ、私でも、多少なりとも説明できるようにまで、分かりやすくなっていて、それも、感動でした。

そもそも、この難解な「実相と認識」という話。
いまだかつて、これほどスパッと、誰でもが分かるように話せるのは、世界広しと言えど、佐藤康行ただ一人です。
世界というか、過去、ここまで分かるように出来たのは、歴史上でも佐藤康行ただ一人です。

それは本当に「実相」というものが見えているから、だから、出来ることなんです。
見えない人が説明すると、やたら難しく、何を言っているのか全く分かりません。

佐藤康行は、この難解な「実相と認識」をこのように、子供でもわかるように、月に例えて話してくれました。
「私たちの目に三日月と観えようが、半月と観えようが、どう私たちに見えたとしても、月はもともとまんまる。
まんまるが実相。
私たちの目に、三日月に見えたり、半月に見えたりするのが私たちの認識。

もし、三日月を見ただけで、それを月だと思っていたとしたら、私たちは月とは三日月の形のものだと思ってしまう。」

「三日月を欠けているからと、何か偽物で丸くしようとしたり、あなたは丸くないから丸くなりなさいいよと、教えたりする」

「人の手を足さなくても、月はもともとまん丸」

「だから、まん丸……まん丸……」と言っていると、そのうち、三日月の周りにうっすらとまん丸の月が見えてくる。」
「私たちの目にどう見えていたとしても、もともと、月は完璧で完全な丸だから、そうなる」

「人を欠けた不足しているものとみるか、完全と見るか。」
「人を何と見るかで、は全く違ってくる」

ほんとになるほど!です。
「なるほど!!」の話です。

しかし、佐藤康行が本当にすごいところは、話だけで終わらないところです。
佐藤康行が唯一無二にところは、これを数分で誰にでも、体験させられる!
それも、たった一枚の簡単なA4のシートで・・・!

あり得ません!
こんなこと。

だれでも、数分で!
あり得ないことです。

それが佐藤康行ならではなのです。

そして、私たちは、どんどん実相の世界を体感しました。
極めつけは、佐藤の前で、真我の覚醒をする瞬間です。

まさに「神業」とは、このことです。
佐藤の前に、座った途端、「ワァーーーーッ」と、泣き崩れます。
それは、自分の本当の姿(実相)を見て、感動されているのです。
自分の真我の素晴らしさに、心からの感動を味わっていらっっしゃるのです。

その間、数秒・・・。
次から次へと、参加者全員が真我の覚醒をしていきます。

そして、会場内のエネルギーはいっきにマックスになります。
参加全員が、来たときとは別人になります。

これこそ、現代の奇跡!

昨日私は、改めて、佐藤康行と言う人とご縁が持てた、我が身の幸せを感じた次第です。



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「腰が抜けるほど驚く」と言いますが、昨夜の佐藤康行の話は、まさにそれでした。
佐藤康行が空中から編み出した、たった一枚のシートで体感できるその境地は、かつてどこにも無かった、驚べきものなのです。

昨夜、常日頃から、「多くの人が真我に覚醒してほしい」という気持ちで、すでに自主的に、世の中に発信している人。
また、これからどんどん発信していきたい人。
そんな人に、佐藤康行直伝で、真我を伝える伝承のセミナーがありました。

冒頭の佐藤康行の講話、そしてワークの実践など、たった2時間という短い間でしたが、まるで、1DAYのような濃さの内容でした。

同じ「伝える」ということをやるのですが、従来の宗教が会員数を増やそうとしていること。
また、ネットワークビジネスや会員数を募るビジネスに見られがちなやり方とは全く違う方法です。
と、いうか、全く真逆のやりかたです

この方法は、まだ世の中に無い方法なのです。
それは、常日頃、佐藤康行が自身の経験から編み出している100発100中のやり方なのです。

佐藤康行直伝だけに、「ワークを通して何をやっているのか?」
「いったい、何をやろうとしてるのか?」
これを、図によって佐藤が説明してくれます。

その内容に「なんと!!」
私は本当に驚いてしまいました。
その図を見て、佐藤康行が言っているあまりの奥深さに、私は腰が抜けそうになったのです。

佐藤は、「私たちが一番嫌なこと、苦しいこと、忌まわしいこと。
そのことこそが、素晴らしいことだったです。
だから、その嫌なこと、忌まわしいこと、苦しいことを消す必要が無いのです」

「最悪は最高の出来事」そう、言いきった、佐藤。

そして、私たちはワークによって「最悪が最高だった」事を体感し、そして、ひとりでも多くの人に「最悪を最高」にしてもらうためのやり方を、佐藤から直伝にしてもらったのです。
この方法を、佐藤の言う通り私たちが出来たなら、どんな人も「もっと知りたい、もっと聞きたい」と思うに違いないのです。

さらに驚くべきことは、この方法は、誰でも一人で自宅で出来る。
まさに、あらゆる苦しみ、あらゆる最悪の出来事が、最高の出来事になってしまう。
人類究極のこの技は、たった一枚のA4のワークを数分やるだけで、誰にでもできる
ということなのです。

これが驚かずにいられるものでしょうか!

この究極のやり方を伝承してもらった昨夜の2時間は、本当に貴重な貴重な2時間でもありました。
まさに、真我の真髄ともいうべきものでした。

しかし、佐藤康行にとってはこれも一過程なのでしょう。
まだまだ、これから佐藤康行が編み出すであろう技は、本当にどこまで行くのだろう・・・!と、私は。驚くと同時に、またまた楽しみも増えました。



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真我一本にして生きていこう!と決めて、今の収入がゼロになることを想定し、まずは現在の生活の見直しから始めました。
当時、私は結構な家賃のマンションで暮らしていました。

このマンションで暮らすには、年間、かなりの水準の年収が無ければ暮らせません。
2年に一度、年収の証明書を提出する必要性がありました。

今までは、自分ひとりの会社なので、何とでも収入は決められます。
マンションの規定に合うような年収を設定していましたので、そのために毎月の税金などの支払いは、かなりの金額になっていました。

年収が無くなるということは、このマンションから引っ越しを考えなければなりませんでした。
しかし、自分の収入がなくなると、今度は引っ越しできるマンションがありません。

60歳を過ぎ、ひとり暮らしで収入もないとなると、どこのマンションにも入居できません。
インターネットであれこれ探しますが、探せば探すほど、自分の社会的立場が、客観的に見えてきます。

今までは会社を持ち、収入がそこそこあったからこそ可能だったことが、会社を辞め、収入がゼロになり、ただの年金生活者になることで、一気に変ってきます。

そこに私はすぐに振り回されました。
とても、暗い気持ちになり、不安感がよぎります。

何もまだ起こってもいないのに、既に自分は社会から疎外されたような気持ちになり、不安で一杯になります。
見事に「取り越し苦労不安症」にかかってしまっていたのです。

さらに、自分の貯蓄金額を調べてみると、見事に個人保証をつけている会社の借入金と自分の貯金とが同額だった。
・・・と、いうことは、万が一に備え、貯金は使えない・・・・・。

そのことにも気づき、通帳には現実にはお金はあるのに、一文無しになった気分で、さらに落ち込みます。

じゃあ、元に戻ればいいのか・・・・とも考えましたが、また、これも気持ち的に無理でした。
真我一本で人生を生き抜く・・・・!
「えいやっ!」と決めた時の、軽くなった気持ち。
やっと、一歩踏みだ出せた感じの、喜びの気持ちを味わった後では、元に戻ることもできません。

ひとりであれこれと考え、悶々とした暗い気持ちに苛まれていました。

今から思うと、本当に笑えるような話なのですが、あの時は、現実には何一つ起きていないのに、あれこれ検討をするだけで、眠れないほどの恐怖心が起きてきて、大海原にたったひとりっきり取り残されたような気がして、孤独と不安と恐怖で押しつぶされそうになっていました。

起きてもいない出来事を「これが現実だ・・・」などと思いこみ、ひとり落ち込んでいたときに、起こった出来事がありました。
それは、思ってもみない出来事でした。
その出来事で、一気に、何週間も悶々と苦しんだ妄想が、瞬時に消えてしまったのです。

一歩踏み出した私は、取り越し苦労、持ち越し苦労で、まだまだ腰が引けていました。
まるで、薄氷の上を歩くがごとく、へっぴり腰で恐る恐るの踏み込みだったのです。

しかし、佐藤康行への確信は自分の中で揺るぎないものがありました。

そして、その取り越し苦労、持ち越し苦労が一気にぶっ飛ぶ出来事が起こりました。
それは、佐藤康行のある講座の時でした。

この出来事は、まるでビデオを回すように、私にとって、絶対忘れられない、佐藤康行とのやり取りになったのでした。

講座の中での佐藤の講話で「恐怖心」と言うところに、質問をしたときです。
私の質問を全く聞いていなかったのかと思うような、佐藤からの逆質問を受けたのでした。

「渡辺さんは、何がそんなに怖いのですか?」
(えっ?そんなこと聞いていないんだけど・・・・、
でも取りあえず、答えなければ・・・・・)

「命が維持できないことです」
「それは、具体的に何かあるのですか?」

「えっ?」と思いもよらぬ質問に、思わず本音が口から出てしまったのでした。

「私は仕事も全てやめて、これ一本にしようとしていますが、収入のめどが立ちません。
どうやって食べていくか、それを思うと不安ですし、恐怖心がでます」

「なぜ、私や他の人に相談したり、頼ったりしないのですか?」
「そんなこと、迷惑をかけることになって出来ません」

「研究員さんが食べられなくなって、困っていたら、一晩くらい食べさせてもいいと思う人?」
「一晩くらい食べさせて、泊めてあげるくらい、迷惑じゃない人?」

受講していた全員が手を挙げてくれました。

「ほら!みんな一食くらいは食べさせてくれると言ってますよ。
これだけでも、一か月は食べて、寝泊まりもできますよ」

「しかし、渡辺さんは、なぜそんなに人に頼むことをしないのですか?
なぜ、それをそんなに迷惑をかけると思うのですか?」

そう、佐藤康行から問われ、改めて自分のことを思わず考え込みました。
「そうなんだ・・・・・。
私って、なぜ人に頼んだり、人を頼りにしたり出来ないのだろうか・・・・?」

思いがけず、当たり前にしてきた自分の性格に「なぜだろう・・・・」と、疑問を持ったのでした。

結婚時代、そして、離婚してからの日々。
子供を抱えて仕事を立ち上げ、食べるために死に物狂いで働いた時代。

宗教に入り、宗教を広めるために、死に物狂いで動き回った日々・・・・。

死ぬような苦しみの後、脱会して、その後食べられず、財布の中に数十円しかなく、今日ホームレスか、明日ホームレスかと
恐怖で心が締め付けれれた日々・・・・。

どの時代も、頑張るしかなかった。
誰かを頼ることが出来なかった。
自分ひとりで頑張らなければ・・・!

布団の中で悔し涙を流すことはあったとしても、人前で泣くということなど絶対なかった日々・・・・。
ずーと、頑張って頑張って生きてきた日々。

そして、真我開発講座を受講し、何十年振りかに人前で泣いた自分に驚いたあの時。
「自分も泣けるんだ・・・・。私って泣くこともできるんだ・・・・・」
そんなことに驚いた自分だった。

何かが心の中で、バチン!と、ほどけた気がしました。

佐藤康行は、さらに衝撃的な一言を私に与えてくれたのです。
その一言で、私は、思考が止まり、ポカン!としてしまったのでした。


「ホームレスになればいいじゃないですか」

そうなりたくないから「どうしたものか」と考えていた私は「えっ???」と、思考が停まりました。

「ここのマックの裏にでもいれば、食べ物が手に入るかもしれないし、段ボールの中で寝ても何とかなりますよ。
ホームレスになっても真我の追及には、何も困ることはありませんよ」

私は、ただ、佐藤の顔を見て「・・・・・・。・・・・・・。」
言葉がありませんでした。

佐藤の顔は、冗談を言ってるようには見えませんでした。
あたり前の事を、当たり前のごとく言っているようにしか見えませんでした。

「だって、渡辺さんが決めたことでしょ?
どんなことがあっても、真我で生きていくって・・・・。」

「これは、皆さんに言っている話ではないです。
渡辺さんだから、渡辺さんがご自分で決められたことに、あえて言っているのです」

そして、最後に、ボソッと誰に言うでもなくこう言いました。
「まぁ、そこまでの気持ちでやれば、食べられないということはないと思いますが・・・・。」
そして、私の質疑応答は終わり、次の質疑に入っていきました。

私は言葉がありませんでした。
本当にぐうの音も出ませんでした。

「ホームレスになればいいじゃないですか」と、その言葉が、耳から離れません。
そうならないためのことばかり考えていた私には、そこを受け入れることが出来れば、全て、取り越し苦労、持ち越し苦労は消えるのです。
しかし、そう簡単に、心から本気では思えません。

家に帰ってからも、佐藤の言葉がリフレインのように聞こえてきます。
「ホームレスになればいいじゃないですか」

私は自分に問いました。
「ホームレスになることでさらに真我を極められるとしたら、自分はホームレスに喜んでなれるのだろうか?
それとも、今までのまま、このままの生活のほうがいいのだろうか?

本当の自分の気持ちはどうなのだろう・・・・?」

答は明らかでした。
「たとえ、ホームレスになったとしても、真我を極めたい!
この神の真理を、命のある限り極めていきたい!」

自分の本当の気持ちが自分でわかったとたん、本当に楽になりました。
すーーーーっと、今までの心の中の葛藤がうそのように消えていきました。
霧が消えるように、すーーーと消えていきました。

ここでやっと、本当の意味で腹がくくれたのです。
もう、怖いものは無くなりました。
なぜなら、命より大切なものが何かが、はっきりしたからです。

佐藤康行は、人生の中であらゆることを体験してきています。
佐藤康行の名言の中に「借金取りから逃げるのではなく、借金取りを追いかける」という言葉があります。
追いかけた途端、追いかけられるのではないかという恐怖心が消える。

まさに私が体験したのは、それと同じことだったのでした。

佐藤康行、恐るべし!

この、たった一つの簡単なことも出来ない私だったのです。
佐藤康行の一言で、夢から目が覚めた私でした。
そして、心が定まった私は、真剣に命がけで、さらに佐藤康行に焦点を合わせることを決めたのです!

そして、夢中で佐藤康行を追っかけ、テープを聴き、ブログを書き、佐藤康行一色の生活をしていると、本当に思いもかけない出来事が、向こうからやってきたのです。
これは、本当に思いもかけない、考えもしなかった事でした。

 

 

まずは、早々に引っ越すマンションが決まりました。

実は、私の名義で購入していたマンションがあったのです。
しかし、そのマンションは次男夫婦にあげたつもりでいましたので、そこに戻ることは考えてもいませんでした。

次男はそこで会社を立ち上げ、それなりの規模の会社にしていて、その会社の業務の性格上、次男の引っ越しは不可能だと思っていたのです。
過去、次男も何度か引っ越しを考えたりしたのですが、不可能という結論に達していたのです。

私もそのマンションを、次男に生前贈与して、私は身を軽くする予定にしていたし、そのための書類などをきちんとしようとしていた矢先だったのです。
ですから、そのマンションに帰ることは、考えてもいませんでした。

ところが、急に、次男夫婦の引っ越しが決まったのでした。
次男夫婦の条件にぴったりの引っ越し先が、奇跡的に、それも急に見つかったのでした。

次男から「お母さん、僕たち引っ越しすることに決めたから、ここに戻ってきたら・・・?」そう言われたのでした。
思いもかけない電話に、引っ越し先を探していた私は、本当に驚きました。

自分のマンションなら、収入があろうが無かろうが、関係ありません。
ひとり暮らしであろうが、年をとろうが関係ありません。
保証人になってもらうとか、書類をそろえる必要もありません。

勿論、ローンは残っていますが、金額もこれまで暮らしていたマンションの何分の一の金額です。
その上、横浜駅から歩いて、10分も掛からない近さ・・・・。
駅からも雨にぬれずにマンションまで来られるように、駅と近くの商業施設とマンションをつないだ道で、以前より随分便利になっていました。

そして、何より、横浜から東京駅までは東海道で20数分でいけます。
八重洲まで、今まで暮らしていたところより近くて便利になっちゃったわけです。

さらには、そのマンションは、立地が良いため、私の知らない間に人気マンションとなっていて、購入した時の金額よりかなり高く売れるということもわかってきたのです。
横浜の中でも人気のエリアであり、人気のマンションなので、売りに出せばすぐに売れるということもわかってきました。
「いざとなれば、このマンションを売ればいいのだ・・・」

心の中に、大きな安心感が広がりました。
そして、心にゆとりが出たのです。

佐藤康行のおっかけをしていた私は、何としても佐藤康行を自由におっかけするためには、いざとなったら、マンションを売ろうと決めました。
何よりも佐藤康行のおっかけを最優先にして、何としても自分自身を極めていこうと決めていました。

しかし、まだ、毎月の収入をどうするかという問題が残っています。

だから、時には、ふとした瞬間に不安感が出たり、恐怖心が出たりしました。
そんな時こそ、さらに集中して踏み込んでいきました。

今から思えば、まるで、私の不安感や恐怖心が、私の真我への踏み込みを応援してくれているかのようでした。

ひたすら、佐藤康行のおっかけをしていると、さらに、さらに、思いがけないことがやってきたのです。
これこそ、本当にびっくりしました。
「これが真我の動き」というものなのか・・・!

これは、まさに佐藤康行のお陰としか言いようのない出来事だったのです。
これこそ、「黄金の雨」としか思えない出来事だったのです。


引っ越しをし、給与をなしにした事で、税金を支払わなくなったと言うこの二つのことだけで、私はひとり分の給与を軽く上回るほどの毎月の支払いが無くなったのでした。

そして、ここで、思いもかけない「黄金の雨」が降ったのでした。
それは、明らかに佐藤康行のお蔭なのです。

6年前、私に真我開発講座を紹介してくれた人がいます。
この人は、私の仕事仲間だった人です。
彼は若い時にインドで長く修行した経験があり、日本に帰ってきて、あるきっかけで「真我開発講座」を受講し、その内容の凄さにに驚いた人でした。

「インドでの6カ月に及ぶ修行、そして、聖者から悟りを得たと言われて帰国したけれど、ここの二日間には及びもつかない。
こんなものがあるなんて、本当に驚きました!
あらゆる所を見てきたけれど、ここ以上のものはない。
本物の道を求めるなら、佐藤康行先生のところしか無いですよ」

そう言って、私に真我開発講座を進めてくれた人でした。

その彼も以前から夫婦で、熱心に「真我開発講座」を受講し、会社も大きく発展していました。
YSコンサルタントの岡田社長にも企業講座に来てもらい、順風満帆だったある時です。

彼のちょっとした気の緩みから、会社もろとも取り返しがつかなくなるような出来事が起きました。
その時、佐藤康行のところに駆け込んでこられ、佐藤はすぐさま親身に対応したのでした。

そして、その出来事から2年ほどぶりに、彼らご夫婦と食事をする機会がありました。
改めて「真我開発講座」をご紹介いただいたことへの感謝。
佐藤康行との縁をつないでくださった、この縁に、改めて深く感謝をしました。

そして、私が仕事を辞めて真我一本で生きていくことを決意したこと。
今の私が、どれほど幸せなのかということ。
そして、彼らご夫婦に、どれほど感謝しているかということ。

それらのことを、ご夫婦に報告すると、お二人とも心から喜んでくださいました。
私も心から感謝を言うことが出来、心から幸せな気分になっていました。

その出来事からすぐに、彼の会社の結構な量の仕事が、私のやっていた会社へ発注がありました。
そして、その仕事の作業は、以前会社のスタッフだった真我仲間のTさんが、無償でやってくれるとのこと。

どういうことかと言うと、私は何にもしなくても、ただ真我をやっているだけで、会社が勝手に利益を生み、その給与がもらえるということです。
その作業も、全部Tさんが無償でやってくれ、私はただ真我をやっているだけで、何もせずとも給与が入ってくる仕組みになってしまったということなのです。
その金額も、丁度、佐藤康行をおっかけしたり、全国をあちこち飛び回ったり、真我で生きる生活を支えてくれるには十分な金額でした。

私にとっては、まるで天からお金が降ってきたような感じでした。

「目の前のことをやっていると、後ろからお蔭がくることもある」と、そう佐藤がいうこともあります。
私の場合、まさに、目の前の真我のことをやっていたら、後ろから黄金の雨が降ってきた感じです。

絶対思いもかけないことに本当に驚きました!
「こんなこともあるんだ・・・・!」と・・・。

それもこれも、全て佐藤康行の縁です。
仕事を回してくれてたご夫婦も、佐藤康行が親身になって相談に乗ってくれたおかげで、今があることを忘れていないのです。
また、Tさんも、佐藤康行のお蔭で、人生を家庭を仕事をと、全てを生まれ変わることが出来た人です。

 

「自分が縫い始めたら、神様が糸を出す」と、佐藤康行が言いますが、まさにその通りでした。
「真我で生きて行ったら、食べられ無いということはない」と佐藤康行は言いますが、それも本当にその通りだと確信しました。

何気なく聞いていた、佐藤康行の言葉。
佐藤康行の言葉は、絵に書いた餅ではなく、生きた言葉、生かしてくれる言葉だったと、さらに佐藤に対する確信が強まったのでした。

そして「佐藤康行に焦点を合わせていく」それしか無いということを確信したのです。

それは、いわゆる宗教の教祖と信者との関係とは真逆です。
むしろ、宗教の教祖の様な見方を、知らず知らずしてしまうと、寂しい思いをするかもしれません。

何故なら、佐藤康行は教祖のように依存をさせてくれる存在ではないからです。
佐藤康行は本当の意味での自立をさせてくれようとするからです。
唯一、依存をさせてくれるとしたら、「究極の自立のための依存」しかないのです。

今回の私の場合もそうであったように、まずは私の考えからスタートしたのです。
佐藤康行に言われたのでもなければ、佐藤康行の考えでもありませんでした。

私が「真我で生きたい」「真我を極めたい!」そう思い、そのように決め、そのように動いたのがスタートでした。
しかし、ずっと書き綴ってきたように、心が揺れ、自分を守りたくなり、取り越し苦労に振り回されました。
自分を見失いそうになったことも、何度も何度もありました。

ある時は心の中に嵐が吹きすさび、風と雨で行くべき方向も、歩くべき道も見失ったかに見えたこともあります。
また、ある時には、自分の心の中に起こる吹雪で、自分の全てが凍りついたかに思え、固まって一歩も動けないかに思えた日もあります。
ポカポカ陽気に誘われ、この気持ちのよさに、ずっとこのままでいたいとそこにしがみついたとこもありました。
灼熱の太陽に、暑くて暑くて、何もかも捨て去り、自分さえも消えたほうがいいと思ったこともありました。

まるで季節が移り変わるがごとく、私の心も移り変わり、いろいろな体験をしました。

しかし、どんな時も変らず、一切変ることなく、「ここですよ」という、佐藤康行の振る旗が見えていました。
何も見えなくなったとしても、その旗だけはいつも鮮明に見えていたのです。

私はただ、ただ、佐藤の振る旗に向かって、一歩一歩歩んでいるにすぎません。
そして、昨日も、今日もこの一瞬も、その旗に向かって歩み続けています。

歩む中で、いろんな景色も見えます。
しかし、佐藤康行はいかなる景色が見えようが「いち過程」だと言います。
まさに、一つの移りゆく景色にすぎません。

どんな景色の時も、どれほど景色が変わっても、佐藤の振る旗だけは、変らることなく見え続けていたのです。
私はひたすら、ひたすら、その旗に向かって歩み続けているのです。

それをもって、私は「佐藤康行に焦点を合わせる」と思っています。

もし、佐藤康行が旗を振ってくれなければ、とっくの昔に私は人生という旅の遭難者であったことでしょう。

この、私という人生の旅の目的地は、もう決まっているのです。
もう、私は行く先を決めたのです。

ですから、また、今日という旅を、明日という旅を、私は楽しく旗に向かって歩み続けて行く覚悟です。

 



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やはり、佐藤康行「プロカウンセラー」講座は、期待以上のものでした!
すごい進化と大きく飛躍したプロカウンセラー講座であると同時に、しかし、その本質は全く変わることなく、さらにさらに深くなっているのでした。

佐藤康行の朝一番の講話から、すでにガツンと目が覚めたような感覚でした。
佐藤康行は言います。

「このプロカウンセラーは、人を救っているようで、自分も救われると言うのが大きな特徴です」
「自分はダメじゃないかと思って、いろんなものでカバーして、継ぎ足そうとする」
「でも、このプロカウンセラーをものにできたら、人類そのものが新しい人類になります」

目の前のひとりひとりのことをやっていくことが、自分自身を救い、周りを一変させ、そして人類の新しい意識変化までになる・・。
それが、同時に出来る。

このプロカウンセラーという技は、自分も愛する人もそして人類も同時に変容させていくことが出来ると、佐藤康行は言っているのです。
私たちの目の前の人へのプロカンが、人類の意識の変化に直接つながっているというのです。

凄いじゃありませんか!!

その後、佐藤はワークを通して、どうしても知らないうちに時分の考えが入ってしまう私たちに、ひとつひとつ丁寧に適切に、アドバイスを入れてくれました。

自分の考えは入れなくていい。
全て、相手の考えでやる。
そのほうが間違いもなく、自分も楽で、必ず相手も喜んでくれる・・・・。

そうわかっていても、アッと気が付くと自分の考えに振り回される私たち・・。
このエネルギーの変換が、なかなか、出来ません。

しかし、そこを、ワークとプロカンの組み合わせで・・!。
そして、最近出た、新しいワークをやりながら、プロカンをすることで・・・。

さらには、お互いのワークシートを交換して、相手の記入してあることだけを言う。
それだけでも、相手の人はどんどん元気になっていく。

これらの体験を通して、自分の体で覚えていくことがたくさんありました。

「なるほど・・・・なるほど・・・。
こういうことか・・・!」
自分に落ちてきます。

たった一日で、ここまでの深さと体感。
佐藤康行ならではのことでした。

これを今日から、この瞬間から、どこまで日常に、いや、生きていくことそのものに出来るか!
自分への挑戦です。



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※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

今日は神戸で、佐藤康行による「プロカウンセラー」の講座です。
私にとって、大変楽しみな講座です。

私が初めて「プロカウンセラー」講座を受講したのは、5年ほど前のことです。
この頃は、すでに、IGA講師陣によるものでした。

初めて、プロカウンセラーを受講した時は、正直、全く意味が分からず、ただ凄いことだという衝撃だけが記憶に残っています。
それ以降、何度か受講を重ねるも、実践で出来ていない自分に気づき、本当に落ち込みました。

人の話にかぶせるつもりはなくても、知らないうちに「被せてしまう」自分のくせに気付き、何とかしようとすればするほど、プロカン仕様の被せをやって、さらにややこしいことになってしまったこともありました。

特に宗教では、全て「被せ」の世界でしたから、その癖を取るのは半端ではなく大変でした。

以来、何度も何度も受講しました。
プロカンフォロ―にも、通い続けました。

では、今は「出来ているか?」と尋ねられると、「そのように心がけています」と言うしかありません。
このような経験から、私自身、佐藤康行直伝のプロカウンセラー講座は初めてであると同時に、その神髄を味わえると思うと、本当にワクワクしています。

佐藤康行は、これまでにさまざまな奇跡を起こしています。
全盲の人が佐藤と話していて見えるようになったり、癌の末期の人が癌が消えてしまったり・・・・と。

佐藤と話しているだけで、多くの奇跡とも思える事が起きていることは、話せばきりがないほどあります。

佐藤がやっていることの全容を「わがまますっきりノート」という、佐藤康行の本に紹介していますが、佐藤と話しているだけで、なぜかこうしたことが、当たり前のように起きています。

現在では、クリニック開業にまで至り、その実績は目を見張るものがあります。
薬を使わないで、鬱が完治している事実があります。
これも、普通では考えられない、夢のようなことです。

では、佐藤康行は何をやっているか?
まさに、今日の講座である「プロカウンセラー」そのものなのです。

ですから、これが本当に自分で実践できるようになれば、私たちは、ただ話しているだけで、その人の病気が直ってきたり、真我が覚醒したりすることが出来るようになる。
こんな夢のようなことが可能になるのです。

ちなみに、佐藤康行の言葉に「引き」の技というものがあります。
佐藤康行は、話すこと、話を聞くこと、そこに存在することそのもの自体が「引き」です。
つまり、存在そのものが、私たちの真我を引き出している、「真我の覚醒」をしてくれていると言うことなのです。

(「引き」というのは、「引き出している」ということです。)

つまり、私たちは佐藤康行の話を聞いているようで、自身の真我を引き出されているということです。
この神業は、佐藤康行ならのことです。

この「引き」の技が、すなわちプロカンの根底にあるものそのものだと私は理解しています。

さて、今日の佐藤康行の「プロカン1DAY講座」。
明日の朝、速報でお伝えできると思います。

ぜひぜひ、楽しみにしてください!



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長いタイトルをつけました。
「あなたは、本当に、佐藤康行に出会っているのか?」

このことは、私も自分自身に問うことです。。

先日、ある方に、こう聞かれました。
「研究員さんは、毎回、佐藤学長の講座を『凄い!凄い!』と、ブログに書かれていますが、毎回、本当にそう感じるのですか?
毎回、学長の凄さが違うのですか?」

私はこう答えました。
「毎回、違います。
違うどころか、回を重ねるごとに、おっかけを重ねるごとに、さらに、佐藤学長の凄さ、講座の凄さが増してきて、いきつくところは、本当にまだまだわかっていない自分に気づかされるのです」

これは、自分自身不思議なのですが、これだけおっかけしていると、佐藤康行の講座を、前と同じと感じたり、前回のほうが面白かったなどと、普通なら感じそうなものなのですが、それが一度もないのです。
いまだかつて、ただの一度としてありません!

むしろ、毎回、新たな佐藤康行に出会えた感動と驚きと喜びで、感激してしまうのです。
だから、こうして毎日ブログを書き続けていられるのです。

考えても見てください!
毎日、毎日、既に400日はゆうに超えた回数、同じ人のことを書き続けられるということは、マンネリになったり、以前と同じということでは不可能なことなのです。
そういうことなのです。

毎回、毎回、講座で「新しい佐藤康行」に出会い、それによって、新たな思いもかけない自分に出会えるからこそ、こうして、フレッシュな気持ちで書き続けられているのです。

私は、毎回毎回「新たな佐藤康行」と出会っているのです! 

しかし、だとしたら、昨日まで私が知っていた佐藤康行は誰だったのか?
私が「佐藤康行だ」と思って見ていた、聞いていた、あの佐藤康行は誰だったのか・・・?
そう思うわけです。

ひょっとしたら、実は私は佐藤康行にまだ出会っていないのではないか!?
自分の認識した「佐藤康行」を見ているだけで、本当の「佐藤康行」にはまだ出会っていないのではないのだろうか?

理屈からいえば、そうなるわけです。

もし、仮に今日から、講座にも出ず、ワークもせず、昨日までの自分の認識している「佐藤康行」を佐藤康行だと決めて、「私はもうわかったから、これでいい」などと思ってしまったら、結局のところ、本当の佐藤康行には一度も出会っていなったということになるわけです。

私の「佐藤康行研究」は、ここが基本になっています。
生涯をかけて、佐藤康行研究をしていく原動力は、ここにあるのです。

佐藤康行は無限です。
そして、自分自身も無限です。

まだ見ぬ「佐藤康行」に出会う旅こそ、自分に出会う旅になる。
それは、何物にも代えがたいほど、ワクワクする、楽しい旅なのです!



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今日は、佐藤康行の「最新ワーク」について、その威力の話をします。

今年、大阪で行われた「宇宙の真理」で、佐藤康行から出てきた、最新の二つのワークがあります。
このワークは、先日の「宇宙と命のシステム」でも行いました。

このワークの威力の体感の凄さと、意識の変化の凄さは、すでに受講の皆様は実感済みだと思います。
本当に凄いワークだと、私は感じています。

そのワークの凄さは、私のブログの1月12日「佐藤康行 宇宙の真理二日目」にてお知らせしました。
よろしければ、ご参照ください。

実は、私もこのワークでは、自分の人生ではあり得なかった体験をしています。

私は二人の息子をつれて30年ほど前に離婚をしています。
勿論、元の夫に対しては、すでに「真我開発講座」において、何度もテーマにしていて、心の中ではすっかり和解が出来ているつもりでした。
既に結婚していた年数より、別れてから年数のほうが倍より長くなっていて、どこか既に元夫との出来事は、終わっている気がしていました。

今回のワークで、元夫の父母、祖父祖母、先祖をテーマにしてやってみました。
そして、私は、始めて衝撃的な事に気づいたのです。

離婚原因はいろいろありましたが、その一つの原因に、舅の性格がありました。
舅が毎晩、お酒を飲んで元夫のとの取っ組み合いの喧嘩。私への暴言に耐えられなくなっていました。
当時は、夫の父母、祖父母、私たち夫婦、元夫の兄弟、生まれたての息子と、大家族で暮らしていた息苦しさもあり、私は鬱状態にもなっていました。

家族は同居するという考え方。
そして、家族で得た収入は全て舅が管理し、私たち夫婦には、お小遣いという形でしか自由に出来なかったこと。
これらは、自由気ままに育ってきた私にとっては、かなりきつかった出来事でした。

それ以外にも、いろいろなことがあり、元夫との離婚する頃には、すっかり精神的にも病んでいて、今から思うと、あの頃は鬱と拒食の症状だったと思うのです。
ギリギリの追い込まれた精神状態で、私は子供を連れ離婚をしました。

ですから、正直、離婚した時は、元夫からも大家族の束縛からも舅の煩わしさからも自由になれた気がして、ホッとしました。
自分を被害者とも思っていた私は、自分の離婚については、それほどの痛みを感じていなかったのでした。

しかし、今回のワークを通して、改めて、元夫の舅、そして先祖と正面から向き合いました。

ワークを始めると同時に、瞬間に、その当時の舅の愛が、溢れるほどの愛が見えてきたのです。
それと同時に、夫の先祖の深い愛も見えて来たのです。

「あー、なんてことだろう!
なんてことを思って、私は生きてきたのだろう!」
その愚かさ・・・・!

舅の悲しみ、それでもなお息子たちを愛して下さったこと。
それに、気がつけず、自分の事ばかり考えていた自分の愚かさ。
息子たちを死に際まで心配し、愛し続けて下さってたこと。

そして、元夫の先祖の皆さまの愛。
その怒涛の流れのような愛は、大きな川の流れとなって、今もずっと息子たちに受け継がれていました。

その愛に感謝し、泣いている私に、私の先祖が寄り添って下さり、そして、先祖同士が手を取り合って喜んでいる姿が視えるようでした。

私にとっては、忌まわしい忘れたい人生の苦しい出来事。
人生の中の「最大の敵」とも思える人との和解でした。

まさに過去のフイルムが変った瞬間でした。



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