※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

佐藤康行ほど、研究のし甲斐のある人はいません!

昨夜は、佐藤康行による「飛神覚醒会」でした。
「マジックミラーの法則」が出て、3か月を過ぎようとしていますが、昨夜は始めて図を書かないで、言葉でマジックミラーの法則の説明をしてくれました。

「図を書かないで、言葉だけでどこまでマジックミラーが通じるか、私のチャレンジです。」
そう佐藤康行は言いました。

日々、常に新しいものにチャレンジしている姿。
瞬間、瞬間に進化している姿の佐藤康行という人。

佐藤康行を本格的に研究し始めて、そろそろ11カ月になろうとしています。

この1年間近く、佐藤康行の講演会、セミナー、フォロー・・・・・と、あらゆる場所に顔を出し、佐藤康行一本に絞って研究をして来ました。
最近では、「出待ち」のフアンのように、あらかじめ佐藤康行のスケジュールを確認し、佐藤康行が来そうなところには行って待つ事にしています。そして、質問をさせてもらったり、確認をさせてもらったりしています。

佐藤康行は一度も嫌な顔をでず、ニコニコとそんな私の質問にも丁寧に答えてくれます。

ここまで、佐藤康行のとことん追っかけをしているのですが、一度として、ほんの瞬間でもブレていることを見た事がありません。
どんな時も、一度も手を抜いているという姿を見た事がありません。

どんな状況でも、どんな人にでも、例え、目の前で自分を非難しているかに見える人にでも、常に誠心誠意、真心を尽くして対応しています。
お酒を飲もうが、スタッフの前であろうが、受講生の前であろうが、レストランのウエイトレスの前であろうが、・・・・・。

私の見た限り、常に講座の時の質疑応答の、あの佐藤康行のままなのです。
そのままで、全く変わりません。

「私を良く書く必要はありませんよ。
悪いところがあったら、ありのままに書いてくださいね」
常に、そのように私に言ってくださいました。

しかし、全くブレる事のない、佐藤康行という人を見るにつけ、幾度驚愕をし、幾度感動をしたかわかりません。

苦しみを前に立ちすくんでいる人の前で・・・・・・。
喜びであふれかえっている人の前で・・・・・。

どんな時でも、佐藤康行は誠心誠意。
「目の前のその人が、世界の全てだと思って・・・」という、佐藤康行の言葉通りのことを、自らがしています。

だから、佐藤康行に出会ったあらゆる人が「佐藤学長だけが、私をわかってくれた」
「佐藤学長なら、判ってくれるに違いない」
「佐藤学長ほど、愛の深い人はいない」そう言うのは、当たり前だと思うのです。

昨夜、飛神覚醒会において、佐藤康行の「私のチャレンジです」という言葉から、私は、この常に新しい事にチャレンジする姿に、佐藤康行という人の姿を見た気がして、感動をしてしまったのです。

そして、佐藤康行の言葉だけの「マジックミラーの法則」は、聞いている人にフレッシュな感覚で、明らかに伝わっていたのです。

10月度の「飛神覚醒会」
皆さんの質問も、ユニークな橋渡しも全てが楽しい「飛神覚醒会」でした。

終わった時の皆さんの笑顔を見ると、いかに「真我」で生きている事が最高の幸せなのかという事を改めて感じ、真我への確信を深める事が出来ました。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

仙台では、黄金の雨が、まるで台風のようにどしゃぶっていました!

昨日は、仙台において、佐藤康行による「黄金の雨が降る」セミナー(ダイヤモンドセルフコンサルタント推進支援本部主催)が行われました。
前日、仙台では「芋煮会」も行われ、仙台を始め、秋田、福島、岩手など、東北の皆さんがすでに前日から佐藤康行に会う事を、待ちに待っていらっしゃる様子が伝わってきます。

仙台の会場は、多くの人でいっぱいです。
東北以外も、熊本、広島、大阪など、全国からも駆けつけてきています。

東北での「黄金の雨が降るセミナー」は、まさに歓喜の涙と笑いが渦巻いた、それこそ、メガ台風並みの「黄金の雨」がどしゃ降りでした!

ずっと、佐藤康行を追っかけしている私ですが、皆さんの真我の覚醒のスピードがどんどん速く、そして、どんどん深くなっている事に、驚いています。
そして、「黄金の雨」の降り方も、半端じゃなくなっています。

どれほど多くの人がいても、佐藤康行の手にかかると、一瞬にいっきに真我の覚醒をしてしまい、あっという間に今までにない深さを皆さんが体験します。
受講者が何人いても関係ないのです!

昨日も30年ぶりに来た方が「絶対に泣かないと思っていたのに、佐藤先生の前に座って、スッと腕を引枯れた瞬間、ワァーーー!と泣いてしまっていました」
そして、「今まで、真我は何なのか、さっぱり判らなかったのに、このマジックミラーはよくわかります。
やっと、そういう事かと30年振りに知る事が出来ました」
と、ユニークな発表をしてくださっています。

明らかに受講歴、年齢、その人の悩みの大小などとは全く関係ないように見えます。
全てに関係なく、一瞬に全員が半端ない深みに真我の覚醒をし、黄金の雨がどしゃぶりになるのです!

佐藤康行と私たちがまるで「神鏡」になっているようです。
佐藤の進化が、私たちの進化になっている事は、疑いようがありません。

全国どこへ行こうが、佐藤康行の行く所には、深い真我の覚醒と歓喜の涙と笑いが渦巻きます。
その都度、受講者が違い、セミナーのタイトルが違い、主催が違っているのに、前回の佐藤康行のセミナーの続きをやってさらに深めているような気がする私です。

それほど、私自身も、毎回毎回、回数を増すごとに、自分でも進化していく事が体感しています。
そして、黄金の雨がどしゃぶりに降っていることを、体験します。

12日、大阪にて、この「黄金の雨が降るセミナー」が行われます。
ご自身でこの醍醐味を、そして、この体感がどれほどのものか、体感してみて頂きたいと思います。

そうすれば、きっと、言葉に表せないくらいの凄さであるという事も、わかっていただけることと思います。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

今日は、佐藤康行の奇跡の中でも特別な奇跡である「故 佐藤陽一様」の話をしたいと思います。

先日、ある方から「故 佐藤陽一様」について、メールを頂きました。

「陽一のことは、地元の友人たちと集まると必ず話に出ます。
中学から彼の人となりを知っている私達には、社会に出てからの彼の苦労を知りません。
きっと、想像もつかいないくらい人生の荒波をくぐってきたのだと思います。

魂が人よりも早く成熟したので、人間の生からちょっと早めの卒業をされたのだと勝手に解釈しています。

いつかは自分も、卒業を迎える事になります。
そうなった時、少しでも彼の覚悟に近づいていられるよう、今から日々味わって生きていかなければと思います。」(原文のまま)

死してなお、これほどまで多くの人に影響を与えている「佐藤陽一」という方について、お話をしたいと思います。

佐藤さんはカリスマと言われた美容師でした。
30代で突然、白血病を発症。

自分が思い描いていた人生計画が全て目の前から消えました。
努力して必死で得た、美容師としての誇り。
自分を支持してくれる多くのお客様。
愛する家族。

余命3カ月と宣告された彼は、自分の全てを「白血病」という病気に奪われてしまったと、死の宣告を前に、毎日、恐怖と怒りで布団の中で泣き震えていました。

そんな時、彼は、前述のメールの友人を通じて、佐藤康行と「真我開発講座」について知ります。

すでに病院からは受講許可が出ないほど弱っていた彼でしたが、命がけで病院を抜け出し、佐藤康行のもとに来ました。
帽子をかぶり、マスクをし、フラフラの状態で、佐藤が一番最初に編み出した「未来内観」を受講します。

「死から生を観る」
リアルに「死」を間の前にしている、佐藤陽一さんは、まさに命がけです。
命がけで、自身の命と向き合います。

病院に帰り、もう、病院を抜け出す事が不可能になっている彼のために、佐藤康行が病院に行きました。
たった一人の講座です。

佐藤康行はたった一人の愛する受講生を相手に、ベットの上に登り、1対1で命がけの講座をするのです。
命がけの佐藤康行と、命がけの受講生佐藤陽一さん・・・・・。
いのちといのちの講座です。

佐藤康行が帰る時、佐藤陽一さんが玄関まで見送りに来ました。
「先生、ハグしていいですか?」
そして、佐藤康行を思いっきり抱き、彼は心からの幸せそうな笑顔で「佐藤先生、ありがとうございます」そう言ったのです。

白血病で余命3か月と宣告された佐藤陽一さん。
死への恐怖で、布団の中で震えていました。

佐藤陽一さんは病院を抜け出し、命がけで「未来内観」を受講します。
受講後、佐藤康行が病院へ行き、起き上がれない佐藤さんのベッドの上に登り、命がけのセミナーをしました。

その病院から、佐藤康行あての「いのちのメール」を原文のままご紹介致します。


佐藤学長

未来内観受講してからというもの、この2年間、天井を見ているだけの私の生活の中で、辿りつけなった何かに到達出来たような実感を得ました。

私も両祖父、両親を早く亡くしました。
死ぬ寸前の彼らの思いはどうだったのか・・・・・。

考えるととても幸せとは言い難いものでした。
そして、残された私たちの心にも、大きな傷が残った事は間違いありません。

それからというもの、夜中に目が覚めると、もう20年近くになるのに、涙を流す自分がいまだに止まりません。
それは、両親の無償の「愛」を実感し、脳裏に焼き付いているからに他なりません、と同時に死ぬまで「あなたの思いは忘れないよ!」という魂の叫びなのかも知れません。

そういう点では、私は恵まれているのかも知れませんね。

自分はどこから来たのだろう、どこへ向かって、何の意味で生きているのだろうと、病院の天井を見ながら、この2年間は自問自答の毎日でした。

科学の定義に「ウォッカムのカミソリ」という言葉がありますが、全ての不要なカルマ・業をそぎ落とすの見えてくる真実を、ベッドの上から幾度も幾度も思いふけっていたのを思い出します。
そこは本当にあるのか、辿りつけるのか・・・・って。

人生の始まり、オギャーと生まれてから死ぬまでは、冷静に考えるとただの「期間」でしかないと、過去世・中間世の存在を知ると、確かに思います。
でも、この世に生を受けた以上、絶対に意味があると信じて、自分なりのレベルで想像してまいりました。

生かされている自分「他力と自力をくりかえす期間=人生」を何を求めているのかを、真剣に思いをふせたら、求めているものは「生きがいと充実の実感」でした。

「あ 、なんて自分は幸せの時間の流れの中で生きているのだろうと。

私は急性骨髄白血病です。
しかし、嘘ではなく毎日が楽しくてたまりません。

不思議なのですが、私は痛いのは全然平気、ウエルカムなのです。
人生の生きてきた期間で得た、術なのかも知れません。

私もベッドの上から定期的に何カ月も病室からでられない。
ビニールハウスの中で、自分なりの宇宙や世界、さまざまな歴史を旅して、時間の流れや様々な景色を堪能していいます。
ある意味自己離脱をしながら過ごし、楽しんでいるように思うのです。

この世に「壮大な愛は絶対に必要」だと心から思うのです。

それゆえ、「真我」の発見は、釈迦が30歳で悟られ、二十日間をかけ、華厳経、十二年かけ阿含経、方等経に十六年もかけ、般若経には十四年もかけましたね。
最後の最後の釈迦の集大成は八年をかけ、法華経を。

最後の最後の集大成の法華経を「南無妙法蓮華経」と唱えた日蓮以上のノーベル賞に匹敵する発明と言っても過言ではないと「真我」に対し、今、ベットの上で感じ取って疑いません。

学長がおっしゃる通り、親の存在は言葉ではいい表せないくらい、一個の人間に影響を及ぼすのは明白だと実感したのです。

私は今、新たな生まれたばかりの方の「臍帯血」を移植する事になりました。
多い確率で血液型も変わるそうです。全く想像もつきません。

以前、筑波大学の村上名誉教授との対談の書籍を拝見しましたが、学長がよくいわれる
「人間は記憶でできている」しかし、記憶より深い部分「真我」が我々であって、その証拠に、遺伝子の血液型が変わっても、生きるためのDNAが他の誰とも知れる方の「遺伝子情報」を頂いたとしても、私は私であり、過去未来の子孫に対し、脈々「真我」の宇宙を受け継いで行けるものと確信しています。

食べたものがお腹にたまれば病気になるように。
血液の流れが悪くなれば、障害が表面化するように、一つの形は様々な角度から見たら、全く別のものに見えるように。
そして、学長がおっしゃるように形あるものは変わる。

その大きな一定のリズムで誇張し続ける「宇宙のリズム」の中の「真我」との出会いは必然であったと確信するのです。
まさしく仏教で言う「大乗」
これは、真我=我々 ひとりひとりの肉眼で見えない部分の「宇宙」の事をいうのではないか・・・・・。

そして、そう見るだけではなく、とてつもない大きな宇宙のリズムに乗ることこそ、真我を知ったものの役目であり、使命なのではないのか・・・・。
そう感じるのです。

出会いは様々です。
心との出会い、人との出会い・・・・。
この「真我」との出会いは、このような私の状況に「泥沼に咲く蓮の花」のような衝撃と喜びと感動を常に満たしてくれています。

私は自分の人生を微塵も疑うことなく、逆に冒険できる喜びを今感じています。
それは、途方もなく高い山々、例えばエベレスト山の7 8合辺りで、頂上に挑む冒険者になった絹んで、これに挑戦できる喜びを感じ取っています。

何より「真我」との出会いは、私の人生も含め、たくさん瞑想し得る過去から現代、未来に本当の豊かさ、喜びの実感、人生の最高と充実、目に見えるものすべてに慈しみを即心的実感を与え、結果的に太古の時代から幾度も繰り返してきた、人間の愚かな一面に終止符を打つものとさえ思うのです。

皆さまの存在、役割は希望、光といっても過言ではありません。
くれぐれも学長を始め、キャスティングの方々、お身体大切にされますように。

乱文にて失礼をいたします        佐藤陽一

余命3カ月と宣告された佐藤様は、その後、6か月、日々を喜びと感謝の中、日々幸せに暮らされたという事です。
葬儀を終えた奥さまが、学長にご挨拶に来られ、どれほど病院のベットの中で、毎日、喜びと感謝で暮らしたかということを、心から感謝していかれたと聞いています。

佐藤康行はいいます。
「人は、全員、この世を去ります。
50年後に生きている人は、この会場の中で、ほとんどいないでしょう。

しかし、命は永遠であり、全体の生命とひとつです。
この真実を悟る事が本当の悟りであり、神を自覚するという事なのです」

その言葉通りの生き方をされた、佐藤陽一様は、10年たった今でも、私たちに多大な影響を与えてくださっています。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

昨日は、大変驚きの報告がありました。
今日はその話を皆さまに、是非、報告させて頂きます。

昨夜は、福島の介護施設を経営している杉山さんの報告に、一同驚愕しました。

現代社会の問題とされている、老人の認知症の方やピック病と言われる方が、佐藤康行の編み出した「体道」を行なったら、即効、劇的に改善されているということを、杉山さんが話してくれました。

その話を聞き、一同驚愕をしたのです。
医療のマイク岡本所長も加わり、あり得ない話に、一同、驚きと感動で盛り上がりました。

認知症、ピック病とは脳が委縮され、認知が出来ないと医学的に言われている病気です。
しかし、それが、佐藤康行の編み出した「体道」の二つの技のワークをしただけで、全く表情がなくなりしゃべる事が出来なかった方が、言葉を発し、笑顔で嬉しいそうにしているとのことなのです。

表情が別人のようになり、目も全く違って来ているとのことなのです。

なんて、素晴らしいのでしょう!
「現代の奇跡」が、起きてます。
その姿に、私達の心の奥は震え感動が一杯です!

しかし、これは佐藤康行の編み出した2000以上ある技の、たった二つの技で起きている出来事なのです。
たった、二つの技で、ここまでの奇跡が生まれているのです。

そればかりか、佐藤康行からは日々新しい技がどんどん編み出されています。
これこそ、「現代の奇跡」です。

まだまだ佐藤康行の底知れない力がわかっていない!
まだまだ佐藤康行から編み出された技を使いきれていない・・・・!

私はさらにさらに佐藤康行に焦点を絞り、さらにさらに追求しようと決意したのです。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

今日は、昨夜行われた、佐藤康行による「出版記念講演会」の模様をお知らせします。
昨夜は、八重洲研修センターにおいて、会場満席のご参加で、佐藤康行電子書籍42作品、連続第1位の出版記念講演会が行われました。

42作品毎連続第1位という快挙は、世界で誰も真似のできない事です。
佐藤康行の講座は天から降ってきたように瞬時に出来ます。
そのように、本もすごいスピードで、何冊でも出版する事が出来ます。

それは、考えて書くのではないからです。
真我から見たら、いかなることでも解決できるように、どんなテーマでも瞬時に本になってしまうのです。

そこが、佐藤康行の特徴なのです。

さて、昨夜は、電子書籍を購入された方ならどなたでも参加できます
佐藤はエネルギー大全開で「マジックミラー」から見た世界の話をしていきます。

「皆さんは状況が整ったら、幸せですか?
お金がどれだけあったら幸せ?
誰と出会えたら幸せ?・・・・。
そうした状況が整ったら幸せになれますか?」

そう問いかけながら佐藤康行は、マジックミラーから見た世界の話をしてくれます。

「本当の自分に目覚めると、夢から覚めたように見える世界」
「全てが同時に変わってくる世界」
お金や、状況という『間接』なもので満たされる世界ではなく、あなた自身が『直接』満たされる世界

そのマジックミラーからみた世界の話を、凄いパワーで語ってくれます。

参加の皆さんは、とても熱心に聞いています。
そうなのです。
自分自身に関わる、参加者全員に、今、一番大切な話です。

ですから、熱心に耳を傾け、また、質問もいろんな角度から出てきます。

佐藤康行は、話を話しているようで、実は私たちから引き出してくれています。
ですから、佐藤の話を聞きながら、みんな自分の心と対面しているのです。

昨夜の佐藤の話を聞くだけで、お腹の調子が変になったり、ボーっとなったりしている人がいた事も、終了後耳にしました。
これも、常に佐藤の講座でも必ず起こる「好転反応」であり、すでに、その人自身が変化をしている証拠なのです。

短時間の「出版記念講演会」ではありましたが、佐藤康行のパワーと参加の皆さんの熱心な様子に、本当に素晴らしい講演会でした。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

世界初、佐藤康行の「究極のセールスマネージャー」研修は、世界一のセールスマネージャーになれるという確信のもと、二日目を終了しました。

昨日は「これこそ、佐藤康行!」という、佐藤康行の醍醐味を味わう事が出来ました。
佐藤康行は「私は寝ている時に一番仕事をします」といいます。
ウトウト・・・・・としている時にひらめくのだそうです。

昨日もちょっとした瞬間に、ウトウト・・・・・としたようで、目が覚めた瞬間「よし!これをやろう!」と佐藤康行の神技を見せてくれました。
それは佐藤康行の速射砲質疑応答です。

参加者全員が、スピードを上げて次々と佐藤康行に質問をします。
佐藤康行はそれに、間髪入れず答えていくのです。

「次!・・次!・・次!・・・・」と質問も短くどんどんスピードを上げていきます。
スピードが速くなればなるほど、佐藤康行の調子は上がってくるのです。

あらゆる質問が出ます。
佐藤康行は即座に答えます。
神業です!

佐藤康行は、考えて答えているというものではないのです。
質問が先なのか、答えが先なのかわからない状況です。

佐藤が間髪いれず答えてくれるその答えは、本当の意味で的を得ていて、質問者も一瞬「ん?・・・・?」と思った瞬間には、すでに次の人が質問をしていて、あれよあれよ・・という感じなのです。
しかし、そういうの時にもらった答の方が、後からズッシリと心にきます。
自分が本当はどうすればいいいのか、どう生きていけばいいのか、後から浮き上がって来るように明確になってきます。

どんな質問にも即座に答える佐藤康行。
その即座の答え。その短い言葉に秘められた奥の深さ。

その答えのどの一つをとっても、まさに一冊の本に出来るほどの内容の深味があります。
何故、佐藤康行はこんな事が出来るのか・・・・・!

質問した私達も興奮します。
そのやり取りのスピードに、エネルギーが渦を巻いて急スピードで上昇しているように感じます。
私は最後は頭がクラクラしてきました。

そして、懇親会の時、またもや凄い奇跡が起きました。

ご夫婦で長野から参加のH夫妻。
講座中、夫婦にとっても大切な感動的な出来事が起きました。
お腹の中の新しい生命にとっても、本当に嬉しいであろう出来事が起きましたが、その最後の懇親会の時に、命の奇跡が起きました。

奥さんがアンケートを書いている時、「ワァッ・・・・!」と、泣き崩れられました。
嗚咽が止まらなくて、深く深く感謝の涙を流していらっしゃいます。

いきなり彼女の先祖が現れて、彼女に「佐藤先生にどれほど感謝をしてもしきれない」
「あなたは私達の代表なのです。」そう、語りかけてきたと言うのです。

彼女はあまりの出来事と、喜びと、感動にずっと泣き崩れながら、佐藤康行に深い感謝をし続けていました。
その姿こそ、「いのちの究極のマネージャー」そのもの。
まさに、この奇跡の研修を締めくくるにふさわしい出来事でした。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

佐藤康行の言う「マネージャー」とは、従来のマネージャー論とは全く異なるものでした。
真我のマネージャーとは、かくも深く広いものかと、昨日は大きな衝撃でした。

昨日は、YSコンサルタント主催、世界で初めての「世界一のマネージャーを目指すセミナー」第一日目でした。
佐藤康行が宝石のセールスマンをしながら、どんな人もやる気にさせた事。
また、ステーキ店を70店舗にまで、急激に伸ばせた事。

そのマネージメント力がどのようなものであったのか。
改めて、その究極さに神がかり的なものを感じました。

多分、佐藤康行があのままビジネスの世界に生きていたとしたら、今頃は、日本を誇る世界に通用する経営者になっていた事は間違いありません。
松下幸之助をしのぐ人間的経営者として、世界に影響力を及ぼしていたであろうことは、昨日のセミナーの内容を見れば軽く想像するに至るのです。

しかし、佐藤康行はその方法で世界に影響を及ぼす事をやめ、一番難しいやり方を選びました。
そこが、佐藤康行の佐藤康行たるゆえんであろうと、私も改めて佐藤の底知れぬ力を、再認識し、それを思うと今、魂動し、胸が震えます。

佐藤康行のいうマネージャーとは、国を動かす事も、家庭を動かす事もまったく同じやり方です。
それは、人が幸せに生きていく方法は変わりがないからです。

ですから、佐藤康行の世界一のマネージャーのセミナーは、どんな国のトップが受けようが、小さな組織のマネージャーが受けようが、目の前の主婦が受けようが、「世界一の幸せを周りにもたらせる人」という意味では、変わりがありません。
それほどの究極さなのです。

昨日の、その究極の内容は、いずれYSコンサルタントでも伝説になるであろう事は間違いない凄さでした。
それほどの内容であったという事です。

さて、セミナーの様子は、開始早々、全員、一気に深く入って行きました。
私は、あまりのエネルギーに、早々から頭がフラフラになり、ついていくのが精一杯でした。

せっかく、「黒船亭」の美味しい食事を出していただいたのに、その味すら覚えていません。
それほど、自分の味覚もどうかなっていたのでしょう。

佐藤康行は昨日こう言いました。
「マネージャーとしてのマジックミラーの法則を、完全理解し、形に現わすまで、この二日間で徹底的に落としましょう」

この佐藤の言葉に、本セミナーが生まれたことで、世界一のマネージャーが続々と現れてくる事は間違いないと確信しました。

今日は、二日目です。
どんな事になるのか、全く想像できませんが、今から楽しみです。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

S氏は、北海道の土木のゼネコンとして、全国を精力的に動いていました。
仕事、出張、接待、打ち合わせ・・・・と、毎日を忙しく過ごしていました。
決して家庭的とはいえませんが、それなりに幸せな生活をしていました。

父親が亡くなり、その後、母親も心配になったころ、母を自宅に引きとりました。
しかし、母を引き取ったとはいえ、彼は相変わらず忙しい毎日でした。

家庭のことを振り返る暇がないまま、母のことは妻に任せっきりにしていました。
彼が気がついた時には、妻がすでに気持ちの上で母を受け入れられなくなっていました。

妻の母に対する態度・・・・。
それは、彼にとっては耐え難いものでした。

それでも彼は、その苦しいであろう母を、いごごちが悪いであろう我が家に置いていくしかありません。
それでも彼は、毎日を忙しくしていました。

働くのが男。
仕事によって、多くのものが犠牲になったとしても、それは仕事を持つ男としては当然だと思っていました。

その後、体調を壊し動けなくなった母を施設に預けました。
そして施設で母は亡くなります。

母亡き後、彼の中には、猛烈に自分に対する怒りが沸いて来ました。
その怒りの刃が、全て、妻に向かいます。

「許せない・・・!何故だ。 何故母をあんな目に合わせたんだ!」
そして、妻との仲は最悪になり、妻を許せない、憎いさえと思いようになりました。

そんな頃、彼は佐藤康行との縁が繋がることとなります。
最初は、佐藤が作ったメソッド「サンタ営業」を、学びに来ました。

しばらくして、サンタ営業を深めるために「真我開発講座」を受講することにし、そして、「真我開発講座」の中で、自分の怒りの心と真正面から向き合うことになりました。
そして、彼は大きく真我に覚醒します。

そこに見えたものは、母の深い深い愛・・・。
そして、妻の愛・・・。

あれほど妻を憎んでいた自分の気持ちが消えています。
一生涯、この憎しみと後悔は消えることがないと思っていた彼の心は、真我に目覚めた瞬間に、全てを愛おしいと思う気持ちに変化していたのでした。

フイルムとスクリーンが同時に消えた瞬間です。

彼は妻と和解・・・・。

そんな時、東北大震災が起きます。
東北の壊滅的な状況・・・・。
そして福島の原発。
そこに住む、母と同じような老人達の苦しみ、辛さ。

彼は、母の供養の意味もこめて決意します。
「母にしてやれなかったこと。それを、今日本で一番苦しんでるこの地の人のために捧げよう!」
「今こそ、俺は悔いのない人生を送る。」

そう、決意したS氏は、勤めていた会社を退職。
退職金を持って、単身、福島で介護の道へと進んでいったのでした。
誰も知り合いのいない福島にひとり立ったS氏・・・・・。
介護の仕事を始めるには素人でした。

介護施設を開設させるまでの数々の困難は、想像以上でした。
国の仕組みの中で出来上っている介護の世界は、今まで民間の会社で努めてきた彼にとって、矛盾ばかりで理解できない世界でした。

福島の地は北海道からやってきた彼に対して、当初、よそ者でした。
どれほど、彼が熱く語ろうが、彼を容易には信用する事はありませんでした。

しかし、彼は諦めるわけにはいきませんでした。
だからこそ、退路を絶って、北海道を後にしてきたのです。
だからこそ、たくさんの思いを北海道に置いて、まっさらな気持ちで福島の地に立ったのです。

いろいろな事はありましたが、とにかく、彼は福島で介護施設をオープンさせました。
綺麗ごとだけではなにひとつ進みませんでした。
汗を流し、涙を流し、歯を食いしばってオープンまでこぎつけました。

その間での出来事。
一つ一つの悔しかった出来事。
有難くて涙が出た出来事。
話せば、何時間もかかるほどの出来事を彼は経験しました。

その都度、彼は佐藤康行のもとに通い、佐藤からの言葉をたくさんもらいました。
その時は、どういう意味なのか分からない言葉もたくさんありました。
どう解釈していいのか、今、なお分かっていない言葉もあります。

しかし、筆舌を尽くすほど困難だと思えた事。
もう、無理だと思えた事。
そこを乗り越えられたのは、佐藤康行の言葉であり、佐藤康行の愛です。

どんな辛い時も、どんな苦しい時も「佐藤先生だけは、判ってくれている・・・・!」
「東京へ行けば、佐藤先生がいる」
それが、彼の支えになっていました。

そして、今、施設のオープンから2周年を迎えようとしています。
北海度を出来てきて、すでに3年になる今、たくさんの事が彼の脳裏に浮かびます。

今なら佐藤康行に言われた言葉の深い意味が、少し、分かったような気がします。
今だからこそ、話せる話もあります。

その中でも、彼にとって、忘れられない佐藤康行の言葉が三つあります。
その佐藤康行の言葉の三つを知るための、彼にとって忘れられない出来事があります。

ずいぶん前置きが長くなりました。
その三つについて、いよいよ話してまいりましょう。

一つ目の佐藤康行の言葉
「考えるな」

S氏は言葉通りに、あれこれと思い悩むことをやめ、今、目の前に起こる出来事だけに集中しました。
介護施設開設の場所も考えて決めず、直感で選びました。

二ヶ所の候補地の中、考えて選べば駅から近い好立地な場所を選んだはずです。
ところが、直観だと、駅から30分ほどのもう一か所の場所がピン!ときました。
迷わず、そこを選んだS氏でした。

選んで決めてから、その場所の周辺の状況を調べました。
調べたら、その場所の周りには、すでに大型の施設が多くありました。
福島でも有数の大型病院もありました。

一瞬、彼は「あっ!まずったかな・・・・」そう思いました。

しかし、彼は考えたり立ち止まったりすることなく、周りの施設にどんどん営業に回りました。
ところが、どこへ行っても断られました。

「あなたのような素人が出来る世界ではない。」
「地元の人じゃないんですよね」
「この世界は、気持ちだけで出来る甘い世界じゃないんですよ。」
そう、冷たく突き放されるのでした。

彼が何をするために北海道から来たのか?
その事を理解してくれる人は、皆無に等しかったのです。
自社のスタッフにさえ、なかなか理解してもらえませんでした。

しかし、後からわかった事です。
彼がピン!と来て選んだ場所は、福島の中でも一番、放射線の量が少ない場所だったのです。
知らないでその場所を選んでいたのでした。

それから、一年たったある日・・・・・。
当初、営業に回って一番厳しい言葉をくれた人が、彼の施設を訪ねてきました。

「一年前は失礼しました・・・。
あんな事を言って、私もずっとその事が気になっていました。

私は仕事上、あなたの施設の前を毎日通ります。
毎晩遅くまで電気がついているのを見て、あー、今日も頑張っているんだな・・・・、そう思って見ていました。

そして、日々あなたの施設の評判がよいのを耳にしています。
私の病院から退院する患者さんを、是非、あなたの施設で面倒を見てもらえませんか?」

そう言われ、それからどんどんその大型病院からの紹介が増えたのです。

佐藤康行から貰った二つ目の言葉は「「丸裸になってもいいという覚悟」でした。

さて、ここまでのS氏ですが、母と妻の関係をどうする事も出来ず、母を施設で亡くした事を悔んだことをきっかけに、「真我開発講座」を受講し真我に覚醒したのでした。
そして、東北大震災をきっかけに、全てを投げ打って単身福島で介護の仕事をするために北海道から福島へ移住。

知り合いもなく始めての仕事である介護の施設を建て、今や、その施設も2周年を迎えようとしています。
福島へ発つときに、佐藤康行からもらった三つの言葉が彼を大きく変えてくれたのでした。

一つ目の佐藤康行の言葉は「考えるな」でした。
その言葉通り、彼はあれこれ考える事をせず、ただ目の前の出来事、今、自分がやらなければならない事に集中しました。

すると、当初、彼に対して「そんな綺麗事だけでは、この仕事はやれませんよ」と言っていた、介護業界の人や周りの人が、とうとう「あなたに協力します」とまでに変化し、彼は地元で協力者を得る事が出来たのでした。

二つ目の言葉「丸裸になってもいいという覚悟」
彼は、当初、自分の退職金は施設の建設に使い、運転資金は地元福島の金融機関から借りる予定でいました。

しかし、福島には知り合いが一人もいません。
金融機関のどこに話しても、お金を貸してもらえませんでした。

そのままの状況で施設はスタートしました。
たちまち、彼の資金は底をつきます。

介護の世界は、先にお金が要ります。
スタッフの給与。
施設の入所に方の食事代。
他に日々に必要なもろもろの金は、先に要ります。

1か月を終え、それを書類にまとめて国に申請し、その後、お金が国から下りてくるという仕組みになっています。
ですから、どうしてもその間の運転資金がいるのです。

たちまち彼の資金は底をつきます。

彼はあの手この手で資金繰りをします。
北海道の自分の家のリフォーム代も、生命保険代もすべて解約し、施設運営に継ぎこみました。
あらゆるものをつぎ込み、まさに、彼は丸裸になりました。

彼の全財産は残りわずか3万円となります。
彼は、これでは明日の入居者の食事の材料をそろえる事さえ出来なくなりました。

彼は「いよいよ『町金』に借りようか・・・・。
しかし、それは後々危ない事になりかねない。
それならいっそ、スタッフに借りるか・・・・・」

そこまで追い込まれてしまいました。

佐藤康行の三つ目の言葉「Sさんが福島に行くのは救ってやるのではなく、救われに行きなさい」
その、言葉とも重なる出来事がその時起きたのでした。
S氏が福島で初めて御世話させていただいた方は、浪江町に暮らしていた90歳過ぎのおばあちゃんでした。
それまで、お嫁さんの介助を受けながら、多少の不自由はありましたが、家で暮らしていました。

ところが、東北大震災の後、突然、目が見えなくなり、口もきけなくなり、寝たっきりで布団から起き上がれなくなってしまったのです。
いわゆる意識障害です。話しかけても全く反応がありません。

介助していたお嫁さんも、体を壊し入院する事になり、意識障害のおばあちゃんを引き受けてくれる施設がなく、困りはてている事を相談され、S氏は即断で預かる事にしたのです。

S氏の施設では、レクレーションの時間には、佐藤康行が開発した「体道」を、施設に来ている老人同士でやります。
「ありがとう・・・・・」「あなたに会えてよかった・・・・」などと言いながら、みんな楽しそうにやっています。

浪江町のおばあちゃんも、そんな皆さんの傍にいます。

勿論、最初は何もできませんでした。
ところが、2か月もすると、しゃべれるようになり歩けるようになっていました。

奇跡です!

あのまま、「意識障害」という事で、寝たきりで放置されていたら、きっと植物人間のように寝たきりになっていたことでしょう。

しかし、そのおばあちゃんが、体道を見たりやったりしているうちに、言葉が話せ、笑い、歩けるようになったのです。
S氏にとっては、この仕事の喜びと、感動と、遣り甲斐を感じた瞬間です。
そして、S氏が救われた瞬間でもあったのです。

佐藤康行が言った事。
「あなたは救いに行くのではなく、Sさん、あなたは救われに行くのですよ」
その言葉が分かった瞬間でもありました。

日本の中で、一番何も持たないおばあちゃん。
家も故郷もなくし、目も口も歩くことも全てを失った90歳過ぎのおばあちゃんが、彼を救ったのでした。

母を亡くして悔いた事。
母の深い愛を感じて、感謝して泣いた事。
恩返しをしようと、この福島へ来た事。

だからこそ、「もう駄目だ・・・」と思える事があっても、どんなに苦しい事があっても、彼の心の中で、浪江町のおばあちゃんの「がんばれ・・・!」という声が響き、ここまで頑張ってこれました。

あれこれの金策も果て、お金に出来るものの全てをお金に換え、何とか施設を維持してきた彼ですが、さすがに万策つきました。
ある木曜日です。

いよいよ彼の全財産は、財布の中の3万円・・・。
明日の食材を買うにも、困っていました。

さすがに、その晩は眠る事が出来ませんでした。
眠れられないひと晩を過ごしたS氏。
金曜日になり、どうするかも考えていませんでした。

朝、一番に電話が鳴りました。
「Sさん、一本入れておきまししたからね。」

「エッ??」
銀行の担当者からの電話でした。

「一本って100万円ですか?」
「はははは・・・。Sさん、まぁ、通帳を見てみてください。」

S氏は通帳を持って銀行に走りました。
通帳には10,000,000という数字が印字されていました。

「あ 、有り難い・・・・・。」

人の温かさ。
浪江町のおばあさんの「がんばれー!」といいう声。
あの世からの母の後押し。
大好きな福島の皆さん。

大きな愛をいっぱい受けて、S氏の大進撃が始まりました。

施設開設から、2年の月日が経ちました。
彼の施設は、あるフランチャイズの施設ですが、全国に80施設あるなかのトップです。
それも、ダントツの1位です。

本部から「Sさん。今月もダントツの1位ですよ。2位とはかなりの差がありますよ」
そんな連絡を貰いました。

経営の方も、順調になり、スタッフへもボーナスを出せるほどになりました。
「さぁー!ここからスタートだ!」

北海道から出てくる時、佐藤康行の講座を受講し、その中で作ったわが社の理念。
「お父さん、お母さん、ありがとうございます。
あなたの喜ぶお顔が、我が社の全てです」


この理念から、一つも変わることなく、一つもぶれることなく、これからもこの理念一筋に、自分の人生をかけて貫き通す覚悟です。

「僕は、佐藤先生に、新しい生命を貰ったんです」
「こんな楽しい仕事は無いね。これは佐藤先生から貰った、僕の一生の仕事だ」
そう、嬉しそうに笑うSさんでした。



ナスペックバナー

ナスペック電話

※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです

佐藤康行を待つ大阪では、奇跡の黄金の雨がどしゃ降り状態でした。

先週の土曜日から、毎日のように起こる出来事。
それは、どのひとつをとっても、人生でそんなに出会うことがないような信じられない出来事が、目の前で起きています。

人間は、これほどまでに、いとも簡単に変われるものなのか……!

真我に目覚め、本当の自分に目覚めた途端、見事に別人になっていかれる姿を目の前で見ると、いよいよ、この本当の凄さに「参りました!」という気分なのです。

さすがに、佐藤康行の講座にずっと出ていると、参加者の多くのここまでの奇跡の数々を見てきています。
そして、更に踏み込んだときに、さらなる世界が訪れていることも見てきています。

佐藤康行を中心に、起こる数々の出来事。
どのひとつを取っても、感動的な驚くべき出来事ばかりです。

神はなんと壮大なドラマを私達に与えて下さったことか!
自分に起こるドラマも、そして、目の前で起こるドラマも……!
なんて感動的なんだろう!

昨日も、母娘で参加のお二人に、驚くべき奇跡が起きていました。

全員がワークの最中に、バインダーを投げすて、嫌だ嫌だと泣いてる娘。
泣きながら「お母さんは…………(聞こえなかったが)だっ!」と、泣いて、スタッフに訴えていた娘さん。
私達は気になりながらも、自分のワークに集中していました。

勿論、佐藤は微動だにしません。
その佐藤の集中力に、私達もどんどん深い境地へ入っていきます。

と、気がついた次の時には、その娘さんが別人に変わっていました。
「あれっ?いつの間に…………?」

あまりの瞬間の出来事に、何が起きたのか全く分かりませんが、あんなに目をつり上げて泣きわめいていた彼女は、可愛い愛らしい女の子になっています。
お母さんとも、仲良く話しています。

それからは、私たちと同じように、並んで佐藤康行の前に何度も通っています。
この姿を見ると、先程見た、あの出来事が夢かと思えるほどです。

そればかりか、会場内あちこちで起きている数々の奇跡!
まさに、黄金の雨がどしゃ降りになっていました。

真我に覚醒し、真我で生きる人生。
それは、毎日毎日が奇跡と感動の日々になるということを、ひとりひとりに教えてくれている、佐藤康行という人物。

この、佐藤康行という、たぐいまれな人物が、この世に存在しているという事が、人類の歴史上、最大で最高の奇跡である!
そう私は強く確信しています。



ナスペックバナー

ナスペック電話