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佐藤康行の人生の中で、営業での実績はまさに神業ともいえるほどの凄まじいものです。
それは、ただ実績を出しただけにとどまらず、「営業道」とも言える境地まで極め、現在の「YSコンサルタント」の源流にもなっています。

それは、「サンタ営業」という形で、現在に至るまで、多くの営業の方の実績もあげるという形で顕わされています。

そもそもの根本は、前にも書きましたが、中学時代に体験した自分の中にあるエネルギーを出していったというところにもありますが、今日はこのエネルギーを佐藤がどのようにして鍛えていったかをお話しさせていただきたいと思います。

佐藤は18歳から21歳くらいまで、大手の食堂の皿洗いをしながら、定時制学校に通い、そして、ボクシングなどで体を鍛えていました。

その自分自身の鍛え方が、やはり、半端ではなかったようです。

毎日の睡眠時間が4時間ほどで、それ以外の時間は1分も無駄にせず、「心」と「体」を鍛えることに集中していました。
佐藤が「多分、これほどの18歳の少年はなかなかいないかもしれないね」と言うほどの集中ぶりであったようです。

人が見ていようが見ていまいが関係なく、徹底した自分自身に対する「厳しさ」で、自分を追い込むような集中力だったようです。

当時の逸話に、あまりに疲れて起きられなかったので、目ざまし時計を知らないうちに止めてしまうので、目ざまし時計をいくつも用意しました。しかし、無意識に止めてしまうので、次にレコードにタイマーをかけて大音響で流すということをしました。

しかし、それでも無意識に止めてしまうので、どうしたものかと考え、思いついたことが、レコードの場所まで行く途中に、バリケードを作り、そのバリケードを取り去るうちに目が覚ます・・・というような、いかにも佐藤らしいユニークなアイデアで乗り越えていったようです。

この時代、もともと佐藤が持っていた「決めたらやり遂げる」という性格と、持ち前の頑張りと、ユニークな発想で、まさに自分の「心」と「体」を鍛え上ていきました。

それが、営業時代の誰に見られていようがいまいが関係なく、ただひたすらにお客様を喜ばすためだけの営業に行きつき、そして、それが「サンタ営業」という形になっていきました。

佐藤はこの時代「心」とい目に見えないものと「お金」という生なましい一見矛盾しているように見えるものを融合する、新しい発想を生み出していったわけです

この経験が、次の時代のステーキハウス「ドミンゴ」の苦しい時代を乗り越える大きな自信につながっていくわけです



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佐藤康行は動物が大好きで、タマという猫や鳩、そして有名なのは「ニワトリを飼う」ということをしていましした。
誰でも子供時代何らかの動物を飼った記憶があるかとは思いますが、佐藤の場合はここからも将来のための大きなヒントを得ています。

ニワトリが犬や猫のようになついた…という話は聞いた方もいらっしゃると思います。

毎日餌をやり世話をし、愛情を注いでいくと、ニワトリは羽根が真っ白でつややかになり、卵もどんどん産んだと言います。
まるで犬か猫のように佐藤になつき、「トートット」と呼ぶと、学校から帰ってくる佐藤の周りから離れなかったといいます。
小学校時代の佐藤にとっては、本当に可愛かった事でしょう。

しかし、ある時、その可愛いニワトリが佐藤の食卓に並ぶことになります。

佐藤は「人間としての矛盾」を感じたという表現をしていますが、人間は「いのち」を大切にしながらも、その「いのち」を食べなければ生きては行かれない動物です。

小学生の佐藤は、既にそんな矛盾を考えてしまう子供でした。

セミナーの時もこんなことを良く耳にします。

「堀の池のカモに矢が刺さっているのを見て、可哀そうと言っている人間が、焼鳥屋で焼き鳥を美味しい美味しいと言って食べている。人間のやっていることをこのような矛盾があるのです・・・」

そんな小学生であった佐藤の特徴は、勉強をまったくしない子供でした。
どうも、その当時から、誰かの考えを学んだり、取り入れたりしない子供だったようです。

しかし、今から考えてみると、現在の佐藤の誰の考えにも影響を受けず、独創的な発想や、オリジナル性あふれる感覚はなるほど!と、納得するものがあります。

佐藤はもともと、誰かの考えのもとに生きることをせず、全て、自分の周りに起きてくる事がらのの中から真理を追究する、そんな人間であったと思われます。



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佐藤康行の祖母は武家の出で、大変きちんとした人であったようです。
父親は長く戦争に行ったいたため、貧乏ではあったけれど、物静かな人であったようです。
母親は大変愛情深く、愛情をそのまま飾ることなく表現するようなそんな人であったようです。
長兄は大変穏やかで優しい人であったようです。
長姉は聡明で、なおかつ毎晩自作の物語を作って聴かせてくれるほど、独創性に優れた人であったようです。
次姉は女らしく心配りの出来る人のようでした。

佐藤の家族は仲が良く、家族は穏やかであったといいます。

佐藤をご存じな方なら「なるほど・・・」と、思われたと思いますが、佐藤という人物の中には、この家族の全てが含まれているように思われます。
それが、そもそもの「佐藤という種であった」と思われます。

その種は、あるとき独自の「芽」が出ることになります。

その時、佐藤は自分の中に、自分でも思ってもいないエネルギーがあることを経験し、驚くのです。

それは、中学生の時ふとしたことで友人とケンカしたとき、佐藤の中から思わず出てきたエネルギーの力を見たときです。
そのエネルギーが思わず出た時、相手が固まってしまい、全く相手にならなかった経験をしたのです。

それまでは、ごく普通の子供として自分を捉えていた佐藤が、始めて経験したエネルギーは、

あれつ!?俺の中にはこんな力があるんだ。たとえ相手が何人いても俺は全員を圧倒できるし、相手が萎縮するぎりぎりのところが判る。何故だかわからないけれど、俺にはわかるし出来る強力なエネルギーがある!」そんな経験です。

佐藤はその後、あらゆる経験をさせられながら、このエネルギーを芽から幼木に・・・そして幹を太らせ、葉を茂らせ、揺るぎない大木に育て上げさせられていくのです。

そのエネルギーをどんどんと開発し、どんどんと大きくし、深くし、広くし、一瞬で変化させる強力なものにし、また、その匂いも色も透明にしていけるほどの純化をさせていくわけですが、それは、想像を絶する苦しみや辛さをも伴うものであったのです。

そのあたりは、これからおいおいお話してまいりたいと思います。



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佐藤康行は決めたことは絶対やるという人です。
それは、どうも生まれつきの性格のようです。

小学校の頃新聞配達をしていた佐藤は、たった一度寝坊をします。あまりに、ぐっすり眠っている佐藤をお母さんがあえて起こさなかったのですが、悔しくて悔しくて泣けて泣けて仕方がなく、その悔しさは大人になっても忘れられない出来事になったようです。

それは、佐藤の人生の中で随所に出てきます。人生一貫して「決めたことは必ずやり遂げる」というところは変わりません。

定時制高校の時も、入学時に「一日も休まない」と決めたら、どんなに熱が出ようが休まなかったようです。そのくせ、卒業式の表彰されるその日に「褒められるために頑張ったんじゃない」と、あえて、たった一日卒業式に休むという不思議なことをしているのです。
定時制時代は、決めたことをやり通すがために寝不足で、電車のつり皮につかまっていてうとうと眠って膝がガクンと折れたり、歩きながら居眠りして思わず転びそうになったりもしたようです。

とにかく、「決めたらやる!」が、半端じゃないわけです。

営業の時も、「売る」と決めたら必ずやり遂げたし、自分の前に立ち塞がる壁を取ると決めたら、どんな苦痛を伴ったとしても薄紙を剥がすように自分の性格を変えてきました。

自身の会社を作った時も、そのあと「心の学校」を立ち上げた時も、人生一貫して「やり遂げて」きたわけです。

しかし、この性格・・・・。
この性格があったからこそ、今の佐藤康行があり、今の私達があるように思えるのです。

この性格があったからこそ、「真我開発講座」が生まれ、10万人を超える人の人生が変わったという事実がある訳です。

もし、佐藤康行があきらめの早い性格だったらどうだろう・・・・?

はっきり言える事は、今の私はいないし、私の人生は全く違う人生だったと言うことです。

そうなると、この佐藤康行の「決めたら絶対やり遂げる」という性格。
これは、単なる性格なんだろうか?

もし神というものがいるとしたら、佐藤にある意図をもって授け、佐藤を逃れられなくさせたのかもしれません。

だとしたら、私の性格も、皆さんの性格も、ある意図のもとに授けられたのかもしれません。

そう思うと、自分の中に勇気が出てきます。



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あるきっかけで、「佐藤康行」の過去20数年の講話を収めたテープをパソコンに落とす事をはじめました。
佐藤康行が「真我開発講座」を始めた時から、全ての講話がテープに遺されてあるようです。
このテープはDATという形式のもので、今や世の中には存在しないテープを、機械を駆使して音声をよみがえらせながら、パソコンへ取りこんでいく仕事です。

純粋な講話の分だけを見てもざっと軽く1500本は下らない・・・。
他の講師の分も含めると、4000本はあるのではないか・・・・・。

始めてめてテープの山を見た時には、あまりの量の多さに軽くめまいを感じました。

しかし、これが「佐藤康行の歴史」であり、「佐藤康行の人生」なんだと思うと、私が何もかも聞いてしまっていいのか・・・・・?という申し訳ないような気持と、知りたい!という好奇心にも似た気持ちが出てきました。

ー本・・・一本・・・また、一本・・・・と聞きながらパソコンへ落としていくうちに、私の知らない過去にワープしていくような錯覚に陥りました。
その時代に自分も参加しているような、そんな不思議な感覚です。

そして、自分の中から甦ってくるその時代の自分の人生と、テープの中に出てくる皆さんの人生と、佐藤康行自身の語られる講話の中の「本当の自分」が全部ひとつになるようなそんな不思議な体感です。


その時、「あっ!私の過去が丸ごと変わった!」「あれ?私は今のままで、全ての過去を変えてしまったんだ」という、不思議な感覚です。

この私の経験を、皆さんに是非共有してもらいたいという切なる気持ちで、私の聴いた「佐藤康行」のエピソードと、その奥に流れる「本当の意味」を研究会と称して書き綴ってまいりたいと思っています。

是非ともたくさんのご意見やご質問を頂けることをお待ちししています。

 



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「究極の自尊心」
自分を心から尊敬でき、愛するようになって初めて人も心から認められるようになる。

私達はこの究極の自尊心を持っているし、求めている。
何よりも、まず、自分自身を認められるようになることが出発です。

しかし、水子というのは、一度として世の中に人間として出ることが出来ず、ましてや最大のよりどころでもある愛する親から抹殺されるという、そんな経験をしている。
実際に、運よく(?)生まれてきたとしても、実は、妊娠中に「この子は産みたくない」「この子いないほうがいい・・・」そう、思った、もしくはそう思われただけで、実は、深い潜在意識の中ではそのことが分かっているのです。

そうした究極の自尊心を傷つけられて生まれてきた人が、ウツや引きこもり、訳のわからない自殺願望などを持つといいます。

では、そうした人はどうしたらいいのか・・・?
もし、自分がウツや引きこもり、何故か判らない自殺願望がある。深い部分に自分自身を認められず、何故か自分を抹殺したい欲望にかられる・・・。
そうした人はどうしたらいいんだろうか!?

そうした人のために「水子」のワークというのはあります。
たった、ワーク自体は簡単で短い時間です。

しかし、そのワークを体験すると、不思議に自分自身の深い心の中にあった罪悪感や人間不信もすっかり消え、また、人に対する恨みの心も消え去ります。
そればかりか、今までにない喜びの心。人に対売る感謝の心。愛する心が自然にわきあがってきます。

実は、誰のためでもない、自分自身のための誰でもが必要なワークなのです!!



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昨日、「水子」をテーマにしたワークをしました。
いやぁ 凄かった!!

「水子」と言えば、マイナスのイメージが大きいけれど、ある意味これほど重いテーマはないかもしれない。
そして、歴史上でもそして現代でもおおっぴらに語られてはいないけれど、「いのち」にとっては大きなテーマです。

その「水子」を真正面からテーマにしたワーク
これぞ、佐藤康行ならではの最新のワークです。

深い罪悪感が愛によって救われ、さらに、自分の奥深くにある深い深い愛に気づき、感謝と感動で胸がいっぱいになす。
参加者全員が深い愛に包まれて感動の一日でした。

「人は救われる!」
「人間って素晴らしい!」
そう思えた一日でした。



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久しぶりに会った息子は、逞しく変化していました。
立ち上げた会社も順調なようで、忙しく遣り甲斐があるようでした。

息子はその時こんな内容の話をしてくれました。

「僕は僕として生きていかなければならないんだよ。お母さん。
僕は小さいときから、お母さんの言うとおりに生きてきていた。
しかし、結婚をし、お嫁さんを守らなければならなくなった僕には、もうお母さんの人生を歩む事はできないんだよ。」

私は、「お母さんは一度として、お母さんの人生を歩んで欲しいなんて考えたこともないし、言ったことも無いはずだよ」と言いました。

息子は、「お母さんが決して悪いわけじゃないんだ。僕は小さい時から、お母さんが大好きだったから、勝手にお母さんが喜ぶことやお母さんが望むことを、先に先にあたかも自分が考えているかのようにやってしまっていたんだよ。
その結果、知らない間にお母さんの望み通りの事を、まるで自分が考えていたかのように、言われなくても出来てしまう、そんな、自分に気がついたんだよ。
でも、本当は自分には自分の考えがあるということに気がついたんだ。
それを教えてくれたのは、お嫁さんだったんだよ。」

「これは一番お母さんが望むことをやっているんだよ。
お母さんは今、わからないかも知れないけれど、わかったら、きっとお母さんが一番喜んでくれると思うよ。」

「お母さんが大切だと言う気持ちには何の変わりも無いんだよ」

「本当に自分として生きていくためには、お母さんに会わないという時間が必要だったんだ。これからも、必要な時にしか会わないと思うよ」

「お母さんはお母さんの思うような人生を歩んでいけばいいと思うよ。」
などなど・・・・・
たくさんの息子の本音を始めて聞きました。

佐藤学長がおっしゃった「極めてまとも」、本当にその通りでした。
息子は極めてまともでした。
ただ、私がわからなかった、息子の本当の姿が見えていないだけでした。

私の人生を歩んでいただなんて・・・・・。
全く気がつきませんでした。
いったい、長い間、息子のどこを見てきたんだろう。
どこまで、息子を理解していたんだろう。
一番近くにいて、一番長い間の時間を共にしてきて・・・・
本当に息子を愛してきたんだろうか。本当は愛してほしかっただけではなかったのか。

目の前にいる、成長した息子の姿に、安心と少しの寂しさと、そんな気持ちになりました。
息子はある意味、私への洗脳から抜けて、自立の道を歩み始めたんだと思います。

このことで、私は「洗脳」とは決して宗教だけではないのだということを知ることが出来ました。
それは、誰にでもどこにでも起こりえることで、洗脳されている側もしている側も気がつかずにいる可能性があると思いました。

洗脳が解けるということ。
それは、自主自立の道を歩みだしたときからかもしれないと思います。

私もそうでしたが、ある特定の人から強い洗脳(影響)を受けると、そこから抜け出したつもりでいても、新しい洗脳先を知らず知らず求めてしまうのです。

宗教団体の人が、ある宗教を辞めてもまた、違う新しい宗教に属していくと言うこともよく見聞きすることです。
スピリッチャルなことや心の本などを読みながら、いろいろ探していた時の私がまさにそうだったのかも知れません。
洗脳が抜けたつもりでも、抜けきってなかったと思うのです。

現在の日本の宗教人口は、日本の総人口より多いと聞きます。
それは、いくつもの団体をあちこち訪ね歩いている人がたくさんいると言うことです。
いわゆる、宗教ジプシーの方がいると言うことです。

ビジネスにおいても、同じような事は見聞きします。
同じような思想性の高い商品を扱う会社を、ビジネスジプシーのようにされる方もいます。

ある意味、あらゆることに、実はそうした現象がおきているのかもしれません。
それに気がつくのは、結構難しいことかも知れません。

私にとってこれは大変大きな転機となった出来事でした。
「足元が全て」まさにその通りでした。

もし、私が元の宗教で息子のことを見ていたら、「息子に魔が入ってしまった」となり、息子を直そうとして、どんどんトンチンカンな事をやり、息子の事は永遠にわからなかったかもしれません。
本当のことが判っていない「善意」こそが、人を傷つけてしまっているのです。
これは、かつての宗教でよく見てきた親子関係です。

でも、真我(本当の自分)から見れば「極めてまとも」と見え、全く逆の判断をするわけですから、対処の仕方も当然真逆で、どうしてそうするのかを理解すれば良いだけで、する事は聴くことだけでいいわけです。

つくづく宗教で真逆のことをしてきていたんだとも息子を通して教えられた出来事でした。
このことを遠して、自分自身の自立ということと向き合うことになりますが、これがなかなかわからず、私は迷路に落ち込んで行くのです。

ここまでは奥さんが少しずつ本音を言えるようになった話をしました。
ここからは彼の話をします。

彼は、営業職ということもあるのか、誰にでも話を合わせてしまうタイプです。
意図的に話を合わせているのではなく、ほぼ、自動的に相手に合わせてしまいます。
Aさんが○と言えば、「そうですね。その通りだと思います」といい、直後にBさんが×だと言えば、同じように「そうですね。その通りですね」となる訳です。
本当はどちらだと思っているの?と尋ねても、「両方とも本当だと思う」と言いますが、やはり、○と×では矛盾が生じてしまう訳で、それを何とかつじつま合わせをしていたのです。
そのつじつま合わせとは、本音に蓋をして、表面だけ(自分の考えだけで)合わせていたのです。

実は、彼自身も人に合わせすぎていたため、自分の本音がわからなくなっていたのです。

「本当はどうしたいの?」と、簡単な事を聞いても、自分がどうしたいのかさえ解らないようで、何分でもじっと黙りこくります。

彼も奥さんと同じで、自分はどうしたいのかが解らなくなっていたのです。
だから、「本音は?」なんて聞かれても、人に合わせていることが本音だと思っているので、それ以外を答えるよういわれても困ってしまうのです。

二人とも、実は本来出てくるはずの感情に重いフタをガッチリし、綺麗な仮面をかぶって、よき夫、よき妻を演じていたのですが、そんなことにさえ全くお互い気づかずにいました。

何故なら、何年もの間そうして暮らしている間に、すっかり皮膚感覚を無くしてしまい、普通は皮膚をつねれば「痛い!」となるところで、痛いのかどうかさえも解らなくなってしまっていたのです。

結果、エネルギーの強い上司とかが「これが正しい」と言われると、すっかりそれをそのまま自分の考えのように受け入れてしまい、それが自分の考えと同じなのか違うのかさえ解らなくなっていたのです。

勿論、二人の性格もあったとは思いますが、多分に宗教の影響もあったと思います。
●●(某宗教団体)は価値観(教え)を植えつけます。
という事で、真面目な二人はすっかりその教えに合わせ、自分の本音にフタをして、仮面夫婦を演じてしまっていたわけです。

頭の中で本心とは違うものを作り出し、それを知らないうちに本心と思い込んでいる。
まさに、洗脳そのものでした。

佐藤学長は二人に本音を言うそのエネルギーで、仮面をぶち割るということをさせられたのでした。
まるで、氷の中に身動きが取れずにいる二人が、ノミかハンマーで自ら氷をぶち割り、中に閉じ込められていた本来の自分自身を自由にする、そんな感じです。

自分で自分を縛っていたものから自由になって、本来の自分を取り戻した二人は、劇的な変化をとげ、誰から見てもはっきりわかる位表情が生き生きとなり、人間らしさを取り戻してきました。

もし、二人がそのまま●●(某宗教団体)をやり続けていたら、仮面の自分を自分自身と思い込み、そのまま人生を終えていたに違いありません。

友人は昔からこんなことを良くいっていました。
「自分はどうしたいのか、何がしたいのか、どう生きたいのか解らない。やり甲斐もなければ、生き甲斐もない・・・・」と、そんな風に話していました。

今から思えば、無理も無い話しです。
仮面をかぶり、本当の自分で生きていない彼らにとって、人生はまさに「仮面舞踏会」そのものなのですから、人の(仮面の)人生を生きていた結果、むなしい人生を送っていたということなわけです。

仮面をはずしてからの二人は、普通の夫婦のように喧嘩も自己主張も出来るようになりました。本音も言えるようになりました。
血が通った夫婦になった訳です。

そして、彼は単身赴任を解消し、奥さんの元に帰り、二人できちんと向き合いながら暮らしています。
「喧嘩するほど仲がいい」とは、まさに彼らのことです。

今は、心から信頼し合い、心から愛し合っている二人を見ると、本当に良かったと思うのです。

昔の辛そうな彼と彼女の顔を思い出すと、今がいかに幸せそのものだということが解ります。

しかし、「仮面夫婦」は実はあなたの側にもいるかも知れません。
お互いにうわべだけ取り繕って、仮面をかぶって仲良し夫婦を演じているなんて、以外に身近にあることかも知れません。

もし、そんな夫婦や親子がいたら、是非、彼らのように心から本音を言い合える仲になっていただけたらいいと思います。

今は二人ともそんな体験をあちこちで話しているようです。
二人の体験が多くの皆さんの役に立つことを祈ってやみません。



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感謝の心が溢れ出てきた息子は、今までと全く世界が違って見えてきたようで、利用者さんや職場のスタッフにも感謝の心が出てきたと言っていました。

そうすると、職場の人間関係も利用者さんとの関係もどんどんうまくいくようで、仕事に対する思いも劇的に変わってきたようです。
その気持ちで仕事をしていると、毎日のように思わぬ感動的な出来事が起き、感動と感謝の日々を過ごしていたようです。

そんな中の息子から聞いたエピソードをひとつご紹介したいと思います。

90歳代のおじいさんと80歳代後半のおばあさんのご夫婦の話です。

おばあさんは重症の認知症です。
そのおばあさんを介護しながらおじいさんは暮らしていたようですが、ある日、おばあさんの徘徊を追っかけて、おじいさんは転んでしまい、骨折で寝たきりになりました。

やむなく、おばあさんを施設に預け、おじいさんも入院するようお医者さんから言われるのですが、おじいさんは頑として聞き入れず、自宅にいるといいます。

自宅介護が可能かどうかということになり、息子は遠方で暮らしている子供さん3人に来てもらい、今後のことを話し合ってもらったそうです。

事情を説明するやいなや、早速、おじいさんの枕元で三人の子供の口げんかが始まったそうです。
「親父は昔からこうして勝手がいい。自分のやりたいようにやって、人の迷惑を考えない人だ」「そんなことを言っても、家にいたいもの仕方がないでしょう?」「・・・」「・・・。」

要は、このおじいさんは子供たちとはうまくいってなかったおじいさんだったのです。

子供たちはおじいさんの枕元で、子供のころのうっぷんや恨みを話し始め、延々と続く、子供たちの自分への怒りや口げんかをじっと目を瞑って何も言わず、おじいさんは聞いていたようです。

息子は子供たちの話を聞きながら、なぜか、子供さんの口げんかは「おじいさんのことを心配している」「おじいさんを愛している」としか聞こえなくて、思わず「皆さんは、本当にお父さんのことを愛していらして、心配していらっしゃるんですね」と言ったそうです。

すると、三人ともがふっと口をつぐみ、表情が変わり、そこから急におじいさんの望む自宅介護をどうするか?という相談に変わっていったそうです。
三人で相談した結果、おじいさんの望む自宅介護を、三人で交代で当番制にして見守っていこうということに決まったそうです。

交代で子供体が来て、ヘルパーさんとみんなでの自宅介護が始まりました。

その中で、おじいさんが自宅を離れたくなかったのは、施設に預かってもらっているおばあさんの帰りを待っていたからだと判るのです。
「自分がここにいなくなったら、あいつは帰ってくるところがなくなる・・・」と、そう思っていたようです。

寝たきりのおじいさんの寿命が、そろそろ終わりに近づいてきた時、子供たちが相談して、おばあさんを施設から一時帰宅をさせ、おじいさんに会わせたそうです。

おじいさんとおばあさんのこの世での最後の面会です。

おばあさんはおじいさんのことが分からなかったようでしたが、おじいさんはじっとおばあさんを見つめ、心から満足そうだったと聞いています。

そして、12月31日大晦日の日に、その日来ていた娘さんに看取られながら、静かに旅立って行かれ、娘さんの連絡で駆けつけた息子と二人、おじいさんの最後の身を清めたそうです。

大晦日のその日、息子から電話をもらいました。

「おかあさん、ありがとう。本当にご家族も本人も納得できる良い介護ができたよ。俺は本当にこの仕事を選んで良かったよ。自分の一生の仕事だと心から思えるよ」と、泣きながら電話をくれました。

聞いた私も涙が出ました。
数か月前までは死にたいと思っていた息子が、今は生き生きと自分の仕事に遣り甲斐と誇りを持っていることに、心から良かったなと思いました。

おじいさんの葬式の数日後、新幹線に乗った息子は、隣の席に偶然おじいさんと一番葛藤があったご長男が座っていて、お互いびっくりしたそうです。

ご長男の方から、「渡辺さん。本当にありがとうございました。渡辺さんのおかげです。本当に親父の介護をして良かったです。」と、お礼を言われたという、不思議な偶然です。

その後、息子の環境はどんどん変化し、今は、私の実家(息子たちが育った私の両院の家)に、自分の家を建て、家族全員で引越してきています。

仕事は、なんと!
32年前に離婚した夫が、新しく介護の会社を作り、息子を呼び寄せ、息子は父親の新しい会社と仕事を任され、毎日を忙しくしています。

さて、その前に、息子家族は3.11東北大震災を体験してきたのですが、その体験談が以下です

2011年3月11日早朝、新しい会社の立ち上げで、単身岐阜で暮らしていた息子は、たまたまその日、仙台に残してきた家族の元に帰りました。
その時は、何故か新幹線が時間の都合がつかず、予定より一日早く夜行バスで岐阜を出て、11日早朝に仙台へ着きました。

久しぶりに子供たちの顔を見、小学校と保育園へ送り出し、息子夫婦は仙台空港近くの店で試着をしようとしたその時です。
突然、激しい揺れが起こり、店の陳列棚からはバラバラとあらゆるものが落ちてきて、あわてて台の下に潜り込んだそうです。
近くで買い物をしていた知らないおばさんも「ぎゃぁ !!」と叫んで息子にすがり付いてくるので、息子は妻と一緒におばさんも抱えて台の下に潜り込んだそうです。

死を覚悟したほどの強い揺れだったようです。
長く強い揺れが収まり、急いで車に乗って、子供たちを迎えに保育園と小学校に向かいました。

途中、海辺を通る道と山際を通る道とに分かれる所があったそうです。
常日頃は、どちらとも無く使っていた道です。どちらを使っても、目的地にいける道です。
息子夫婦は何も考えず、山側の道を走ったそうです。

しかし、後からわかったのですが、この時の海側の道はその後津波に襲われ、多くの方がなくなたのだそうです。もし、あの時、海側の道を選んでいたら・・・・。
何も考えず、選んだその時のその瞬間で、生死がわかれる・・・・。

このことを後から聞き、生きることも死ぬことも紙一重の中にいるということを身近に実感し、今、生きているということ。生きて残された私たちは、いったい、何をすべきなのかということを、改めて考える良いきっかけとなっています。

テレビもつかず、電気もつかないので、息子たちは自分たちの身近に何が起きているのかさっぱりわからなかったようです。やっと、電話が繋がった私との会話も、なんで、そんない騒ぐのかわからなかったといいます。
しかし、生活は大変だったようで、たまたまあった石油ストーブで暖を取り、飲み水の確保や食べるものの確保に走り回る毎日で、その時の混乱の様子を聞くと、いかに町全体が麻痺していたかがわかります。

しばらくして、落ち着いた時に近くを見に行ったそうです。
15分歩くと、突然、全てのものが完全に無くなっていて、その光景に呆然としたとのことです。
家も車も畑も道も・・・・全てのものが忽然と無くなっていて、全てが瓦礫の山になっていて、声も出ないくらいの衝撃と驚きで涙がほとばしり出たといいます。
そこにたたずむ人は皆、その故郷の姿に、ただただ泣いていたそうです。

ずっと見慣れた町。ずっと過ごしてきた町。多くの活気と多くの声が聞こえてきた町。
その町が一瞬で姿をなくし、声をなくし、ただそこに何も無い状態で残っていたそうです。

瓦礫の下を身内を探し、そこいらにある板切れで掘っている人。泣きながら海を眺めている人。
生き残った人も、死んだ人も、悲しみに包まれた光景は忘れる事は出来ないと思います。

息子の知り合いの利用者さんも多く亡くなったそうです。
誰も彼もが知り合いの誰かは死んでいる・・・という状況だったそうです。

3月11日、私は品川に向かう電車の中にいました。
川崎駅に着いたとたん、大きな揺れで電車が止まり、いつまでたっても収まらない揺れに危険を感じながら、何事が起こったのかわからなくていました。

しばらくして、構内アナウンスの誘導で、改札を出たその目の前のスクリーンに、家や木が流されているシーンが大写しに写っていました。
画面のスーパーの文字に「宮城県仙台市の様子・・」と、書いてあります。
一瞬、心臓が止まりそうになりました。

今朝、息子から「無事、仙台についたよ」と、連絡をもらったばかりです。
その大型スクリーンを見ていると、予想もつかないほどの被害の大きさ。かつて経験したことのない画面の風景。
映画ではないんだ。本当なんだ。

急ぎ、携帯電話で息子に連絡をしてみましたが、勿論、つながりません。
何度、連絡してもつながりません。
「もう、駄目かもしれない。家族みんな駄目かもしれないな。」と思いました。
息子の顔、お嫁さんの顔、可愛い二人の孫の顔・・・。
どうしよう、どうしよう・・・

その瞬間、思い掛けず心に浮かんだ事は、講座受講後、息子から「産んでくれてありがとう」と言う手紙の文字でした。
私も「私の息子に生まれてくれて本当にありがとう。苦労をさせて辛い思いをたくさんさせて、本当にごめんね。」と伝えてあります。
いつかくる別れの時。その時に言うべき事はもう言ってあったな・・・。
だったら、大丈夫だ。
そう思うと、涙がぽとぽと流れ「これが息子の道ならこれで良かったんだ」と思え、不思議に心が落ちついてきました。

数時間後、家族全員無事と聞いた時は、腰がふにゃふにゃと崩れそうになりました。

この経験を通し、私は今でも生かされていることの意味を考えます。
「私は、あの時亡くなった皆さんに、恥ずかしい生き方をしていないだろうか?
皆さんの死を無駄死にさせない生き方をしているのだろうか?」

こう自らに問いながら、日々生きられることが、息子からもらった大きなプレゼントだと思っています。



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