しばらく前から、研究員の心の深いところで、どうにもならない闇がずーーと居座っていて、心が重い状態です。
それまでは絶好調のように思えていた心が、自分ではどうにもならないほど重く沈みます。

「一体、どうしたんだろう・・・?」
自分の身辺に、思い当たる出来事はりありません。
むしろ、身辺回りは絶好調なのです。

しかし、心はそれとは関係なく、ジーーと思い暗雲が立ち込めています。

 

以前、この感覚と同じようなことに見舞われたことがあります。
もう何年も前のことです。

真我を追究し始めたあるとき、とてつもない闇に見舞われたことがありました。
それは「宗教」というテーマでした。

研究員はかつて、ある新興宗教に入信し、脱会した経験があります。

そのときまで「自分は騙されてきた。教祖に騙されてきた」と、被害者の意識でいました。
しかし、佐藤康行の言葉をきっかけに「自分は被害者ではなく加害者なのだ」と、そう思う瞬間がありました。

 

そのとき、自分が知らずにやってきたことの、自分の魂的な罪深さにドーーン!と落ち込んだことがありました。

もう立ち直れない!
生きるに値しない自分!

そんな時、佐藤康行のこの一言で救われました。
闇も光なのです。
それを真我寂光といいます」

「闇が光・・・?
だとしたら、もう少し生きてみよう」と、その時はそう思い、そして今があります。

 

今回の心の闇も、そのときと似ています。
あのときより、さらに深いところのような気がします。

 

勿論、かなり苦しいのですが、本能的に、簡単に楽にならないほうが良い様に思えています。
じっくり、この闇(?)と向き合い、味わっています。

これほど深く、これほど人類の根本的ともいえるものが浮き上がってきた理由。
それは、佐藤康行の「長崎魂の鐘・講演会」と深く関係があると、研究員はそう推測しています。

 

研究員の魂は、宗教魂です。
研究員の使命・天命は「本当の宗教を極める」です。

まさに、佐藤康行を極めること。とことん真我を極めることです。
それ以外は無いのです。

 

今回の「佐藤康行 長崎 魂の鐘 講演会」は、人類の過去の業・カルマが大きく清算されると、そのように研究員は捉えています。

今日は少し重めの話で申し訳なかったのですが、また、機会があれば、その後、どうなったのか、その続きをお話したいと思っています。



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