ただ「真我の拡散」を唱える

先日「発信者」という言葉に、心が引っかかるという事を言われた方がいました。
また、「真我の拡散」という言葉に、何か、引っかかるという方もいます。

往々にして、過去、宗教活動をしてきた方に多いように思います。

宗教で、自分では良かれと思って、一生懸命大切な人に伝えたのだけれど、手痛い目にあっている。
そんな経験をした方は多くいらっしゃいます。

また、営業などの仕事でも、人に伝えることで、手痛い目にあっているかたもいらっしゃるかと思います。

そして、知らない間に人に伝えるのに苦手意識を持ってしまっているのかも知れません。

しかし、佐藤先生のおっしゃる「発信者になる」とか「真我の拡散」は、そうしたものとは全く次元が違う意味での、「真我の拡散」であり「発信者」だと思います。

 

初めに紹介した「発信者」という言葉に引っ掛かりを持っていたという方に
「すでに、あなたは発信者ですよ」
そう佐藤先生はおっしゃっていました。

佐藤先生はいおっしゃいます。
「ただ『真我の拡散』を唱えるだけでもいいのです」

「真我の拡散」」を唱える。
これなら、どこでも誰でもいつでもできることです。

 

ひょっとしたら、自分が思う「発信者」
自分が思う「真我の拡散」
それで自分が苦しめられているだけなのかもしれません。

 

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