「幸福の科学」辞めて良かった 4

成功できない理由は「教え」の中にある

前回の話の中で、ホームレス寸前までいった私が、洗脳から解き放たれ、生活が安定してきたところまでの様子をお伝えしました。
今なら、何が成功しない要因かよくわかります。

成功しない要因は「教え」そのものと、教えにより自ら身につける「考え方の癖」にあるということが、洗脳が取れ、心の癖がとれるといとも簡単に見えてきます。

今から思うと、何故あんな幼稚な考え方に洗脳され、その手法にはまってしまったのか不思議に思えるのほどであるが、当時は、霊界情報などの見えない世界の話されると、「凄い」と勘違いをしてしまったのあったのではないかと思っている。

そこには、現在のスピリッチャルブームにもつながる部分もあり、ここにも警鐘を鳴らしたいという気持ちも私の中にはある。

私に関して言えば、幸福の科学入会前に自身が体験した神秘体験がそうした錯覚を強め、間違った感覚をもってしまった結果になっていたように思う。

幸福科学を辞めても、なかなか成功しない人の特徴は、性格が真面目で、一生懸命な方で、素直な方で、例えば「教え」を強烈に勉強した元職員だったような方に多く見られます。そうした方は辞めてからの苦しみも強く、幸福の科学から離れて経済的に困る状態であるという傾向にあります。

それは、強い洗脳を受けて、強烈に付けたしまった癖が、新しい人生を阻害することになってしまっていることに気付かないでいるだけなのです。

もし、今、そんな苦しみの中にいらっしゃる方が、私の体験を読んでいただいているのなら、もう一度声を大きくしてお伝えしたい。
「あなたは何も悪くはないですよ。努力不足でもないですよ。ただ、学んだ教えがまずかっただけですよ」「その洗脳からいち早く抜け出せば、必ず貴方らしい充実した人生を過ごすことが出来ますよ」「貴方は大丈夫です!経験した私にはそれがわかります」と心から声援を送りたいと思います。

そんな皆さまへ、今日は私が感じた仕事がうまくいかない教えとその弊害について、お話させていただきます

うまくいかない「教え」と「癖」

①「反省」と称する裁き心の癖

幸福の科学にいたころは、なんか言うと「反省」という言葉を使っていた。反省することで心が正せると思っていた。しかし、これが成功しない一番の要因かもしれない。
反省というな名の下に自己否定し、いかに自分が駄目であるかを確認する仕組みになっている。その結果、裁き癖がつき、その裁き癖の矢印が内に向かえば自分を裁き、外に向かえば人を裁くことになる。その結果、本当の意味で自己信頼が出来ず人を信頼することも出来なくなった私は、当然、仕事もうまくいかないのである。

②「正しい心の探求」と称する手法の罠

幸福の科学のなかには「正しさ」を追求するあまり、「悪」を排除しようとする心が芽生えてくる。その教えが心の狭さと人間性の小ささにつながってくる。
この教えとこの教えによって付けてしまう心の癖により、人が人を裁くというような愚かなことを知らない間にしてしまっている。正しさを追及し間違いを排除しようとしてしまうことで、人間関係の中で本当の信頼を築くことが出来ず、孤独感を味わうことになる。
いわゆる、愛と反対の方向へ知らない間に向かっていることなる。

③霊界と言えば許されるという自己中心的な手法

人間は五感をもちこの世で生きるうえで、多くの得がたい体験をするわけですが、幸福の科学の中の常識は、あの世の中にもこの世の中にも序列があり、人間を上下関係で判断していこうとする癖が出来る。
自分は何次元であの人は何次元かなどと、長くそんな霊界感を常識のように疑いなく持ってしまった結果、人間関係を上下感でしか見られなくなり、上から目線にまるか、卑屈さで苦しむかという心の癖が仕事上での大きな弊害となっている。

④問題解決という問題拡大の癖

私自身知らない間についていて、なかなか取れなかったやっかいな癖に「問題解決能力が認識力である」的な考えである。
何が問題なのか問題の原因を突き止め、どのような対策を打ちどう解決に導くか。というようなことが出来ることが能力だと思い込んでいた感がある。
これにはまると、問題の周りをぐるぐる回る羽目になり、問題は一見解決したように思えることもあるが、実際には問題の答えは問題であり、その「問題という枠」から抜け出せなくなってくる。
本当の意味の問題解決なるものが在るとしたら、それは、現在の自分の物の見方感じ方を変化させるしかなく、問題に目を向けるのではなく、そう感じる自分に目を向けたほうが早いのである。

⑤自己変革という自分を否定する癖と自己責任という他人を否定する癖

ゆりがバラになるかのごとく変化することを自己変革と勘違いし、自分を責めて苦しい思いでいた。自分が親からもらった個性を認めることなく、個性を変えようと出来ないことをして自分を責める心が自分を苦しめていた。
他人には自己責任だということで、人を突き放し、人を裁く言い訳にしていた。
いずれにしろ、調和とはかけ離れた心の癖を付けていた。

今か思えば、何故こんな癖をつけてしまったのか。これについては何度も自分自身、精査をしてみた事もある。勿論、自分自身が愚かであった事は否定しないが、そればかりでもないような気がしている。

それは、その後の幸福の科学の動向を見ていると、教祖自身にもはっきりとその傾向が出ているからである。

一般的に離婚も人が離れることもよく在ることです。そのことをとやかく言うつもりはありませんが、その後の態度がちょっとひどすぎるように思えます。離婚も弟子の問題も全部悪いのは相手で、一方的に悪口言い放題。自分は間違っていない・・・。子供の喧嘩ではないのですから、それはちょっといただけないと思います。


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4.体験談集(取材録)
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