先日、佐藤先生のお姉さんから、佐藤先生の幼少期の話、ご家族のお話などをお聞きできる機会がありました。
今日はそんなお話をシェアさせていただきたいと思います。
佐藤先生のお姉さんは、佐藤先生がステーキのお店を開かれたとき、北海道から佐藤先生のお手伝いのために上京され、それ以来ずーと佐藤先生とご一緒です。
そして佐藤先生を、40年以上に渡り見守られてきた方です。
研究員にとっては、姉のような温かい存在であり、愛深く慈悲深く、観音様を彷彿させる方だなーと、いつも思っています。
研究員はつくづく思います。
佐藤先生がなぜ、このご両親のもとに生まれられ、なぜこのご家族のもとに生まれられたのか?
お姉さんから、ご家族のお話しをお聞きすると
「あー-。やっぱり!!」そんな思いがします。
佐藤先生は末っ子という事もあり、家族みんなから可愛がられてらしたようです。
小さい時から、言い出したら自分の意思を通すという「きかん坊」でもあったけれど、とんちが良く回り、一休さんのような子で、ユーモアが溢れていて、いつも家族を笑わせていたとのことです。
ご家族からは、末っ子の佐藤先生は「とんちん坊主」と呼ばれ愛されていたという話です。
佐藤家はいつも笑いに溢れた家でした。
近所人が、佐藤家の家の外を歩くと、いつも笑い声が外まで聞こえていたと、そう言われていたようです。
そんな家族の中で、佐藤先生は幼少期を過ごされました。
佐藤先生が表現される通り、お母さまは直線的な愛が溢れた方で「あんな人は、後にも先にもいない。」と、お姉さんも言われます。
愛を、言葉で、行動で、全身で、表現される方だったようです。
対照的に、お父様は寡黙だけれど、優しい人だったと、お姉さんは言われます。
この全く違う性格のご両親は、しかし、とても仲が良く、時々、お母さまがお父さんに「ねぇ、あんた。そうだよねぇ」と甘えるように言う姿は、子供ながら照れるくらい仲良しだったと、お姉さんは言われます。
そんなお母さまは、佐藤先生が小学校の時、新聞配達をして貯めたお金でテープレコーダーを買ったとき、近所の人に「うちの康行が、テープレコーダーを買った」と見せて回り、一番上のお姉さんが初めての給料で、家族にプレゼントを買った時も、近所の人に見せて回ったという、まさに子供の素晴らしさをそのまま表現する。そんな真っ直ぐの方だったようです。
お姉さんから、お母さまのお話聞いているだけで、いかに佐藤先生のお母さまは、愛の塊そのものの方だたかという事が、よくわかります。
そんなお母様が、突然亡くなられた時、家から灯が消えてしまったような、途轍もない寂しさがあったと、お姉さんは言われました。
まだまだ話は尽きないほどの佐藤家のエピソード。
この佐藤家に、佐藤先生が生まれられたこと。
無茶苦茶、合点が行くお話ばかりでした。
お姉さん。
お話、ありがとうございました!!