息子の変化(長男編)①

私には息子が二人います。

長男は介護の仕事をしています。長男は幸福の科学には反対で、宗教を厭がっていました。

次男は現在、会社経営をしています。次男は私に言われるがままに、幸福の科学に入会し、本などは読んでいました。

さて、本日はその長男のお話をします。

彼が小学5年生、次男が小学校2年生ころに私は離婚をしています。

離婚後、ひょんなきっかけで商売(ブティック)を始めた私は、当時のバブル景気に乗り、順調な発展をし、あっという間に7店舗20名以上の従業員を抱えることになったのです。とにかく、毎日が忙しく必死でした。

当然、子供たちといられる時間の余裕はなく、子育ては私の両親に任せっぱなしでした。
お店は土日が休めないし、クリスマスやお正月、お盆のバーゲンなど、世間がお休みのときがかき入れ時です。ですから、お正月やクリスマスを一緒に過ごすこともなく、運動会や事業参観も父と母に任せっぱなしでした。
その上、経営者として出張やお付き合いなどで忙しく、子どもと顔を合わせられる時間さえほとんど取ることが出来ませんでした。

たまに、子供といられる休みの時も、悩んでいる従業員を連れて帰ってきて、悩みを聞いたりしていたものですから、さらに、子供との時間は取ることができていなかったのです。

私はまだ若く30歳代前半で、それがどれだけ子供の心に負担をかけていたかなど、考えてもいませんでした。
今、思うと、随分さみしい思いをしたんだろうと、申し訳なさでいっぱいになるのです。
父親と離れたのに、母親まで傍にいてくれない・・・・。そんな環境にしてしまっていたのです。

その後、会社の発展に心が付いて行かなくなった私は、仕事が順調な発展をすればするほど、心が病んだような状態になり、拒食、過食を繰り返すようになり、心が閉じてスタッフとも心の隙間ができ、それらの苦しさからあるセミナーを受講し、そこで臨死体験のような体験の後、幸福の科学に出会い、会社を精算し「幸福の科学」の職員(出家者)となるのですが、その間の細かいお話は既にブログにて既にお話しているかと思います。

幸福の科学の職員だった時代は、転勤に継ぐ転勤で、私がどこに住んでいるのかさえわからない子供たちと、ますます会える時間がなくなっていました。
私が幸福の科学の活動に夢中になっている間に、長男は高校生、次男は中学生になっていました。私は二人を中高のある全寮制の学校へ預け、相変わらず、日々幸福の科学の職員として忙しくしていました。

長男はその後、仙台の大学に進みそこで結婚。そして、介護職員として働いて家庭を持っていました。

長男が高校の全寮制に入ってから結婚をし、仕事を始め、子供に恵まれる・・・。その長男の大切な人生の時間の中、私は多分、数えられる程度しか会っていませんでした。
「お互いに好きな自分の道を歩もう」などと言いながら、ほとんど親子らしい接触もないまま、過ごしてきました。

受講後、たまたま、久しぶりに長男とゆっくり会う機会がありました。
仙台の彼のアパートで、話をしていた時です。

長男が突然、涙を流しながら私にこう言いました。
「自分は情けない。介護の仕事は給料も安く忙しく、家族を養っていくことができるのかどうかさえ不安だ。
毎日、仕事の中で死を見ていると、死に対しても鈍感になり、人が死ぬことを何も感じなくなっている自分がいる。それよりも役職者としての責任ばかりが肩にかかってきていて、売上をあげなければならなく、何をやっているのか分からなくなる時があり、辛い。
時々、駅で電車を待っているとき、ふっと、線路に飛び込んでしまえば楽になるのに・・・と思うこともある。」と言うのです。

私は思いがけない息子の話に、本当に驚いてしましました。

長い間、放りっぱなしにしていた長男との関係。
今の今まで、何も問題も感じず、それなりに幸せにやっているとばかり思っていた息子が、「ふと死にたくなる」とまで苦しんでいるとは・・・・。

母として、親として・・・申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

息子が偶然こうも言ったのです。
「テレビで野球選手が、心を強くするために内観に行っているらしい。昔お母さんと行った時は、嫌々だったけど、今、時間があれば行きたいな。でも、1週間も休めないし・・・」
私が二日間の「未来内観」を受講したばかりの時でしたから、早速、土日を使って息子は受講をしました。

受講が終わり、仙台へ帰った息子から手紙が届きました。

「お母さん、高校いらいの手紙を書きます。
真我を掘り進んでいる時、いろいろなことを思い出したよ。
お父さんと一緒に住んでいた時のころのこと。弟と一緒に学校へ通った時のこと。離婚のこと。(私の実家へ)引越して名前が変わったこと。おかあさんにたばこを吸って叱られたこと。大学の時に野球部のことで相談したこと。妻を初めてお母さんに紹介した時のこと。結婚式のこと。
子供たちが産れたときのこと。
ひとつひとつの思い出に、感謝の心が溢れてきました。本当にたくさんの涙が出ました。
・・・・・・・・・・・・・。(中略)・・・・・・・・・・・・・・・。
今、遠く離れていても、後ろで見守っていてくれている、そんな気がします。
本当に僕を産んでくれて、親になってくれてありがとう。心の底から感謝しています。」

私はその手紙を読んで、有難くてうれしくて涙が止まりませんでした。
息子への感謝と、母として何もしてやれていない申し訳なさで、号泣してしまいました。

本来なら死ぬ間際にこんな会話をするのでしょうが、生きて今こうした気持ちを話せることに、心からありがたいと思いました。

ここから、息子の生活は大変化していくのですが、昨年の3.11の東北地震の時にあった思いがけない奇跡の話も合わせて、次回、お話させていただきます。


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