母の死に思う

今朝起きたら、トンボが一匹窓から部屋を見ているようにくっついています。
私は高層マンションに住んでいるので、こんな高いところまでトンボが飛んで来るのは始めてです。というか、基本、あり得ないことのように思います。

母が来てくれたのだと思うと、今朝から幸せな気持ちです。

多くの皆様から母の物語については、暖かいお言葉を頂いています。
紙面を借りまして、心からお礼申し上げます。

しかし「母の死」をお読みいただき、現在同じような境遇におられる方もいらっしゃるかもしれなく、誤解の無いように申し上げたいことが在ります。

確かに4ヶ月という短い間ではありましたが、私は母を自宅で看取りました。
しかし、自宅で看取るのが良いとか、病院で看取るとか、施設に預けるとか・・・。そこが重要なことではないと思います。

親がどこでどんな境遇で亡くなったとしても、それは子供への愛のメッセージであること。そして、そのメッセージをしっかり受け取って、これから生きていけるかどうかということが大切なことのように思うのです。

私はきっと、自宅で母との時間を持たなければならなかったんだと思っています。
それは、ここまでの母との関係にあったと思っています。

私は小さい頃から、母の言うことを聞かず、しょっちゅう叱られてばかりでした。
学生時代には、猛烈に母に反発をし「どうしてこんな親の元に生まれてきたんだろう」とさえ思っていました。
親の反対を押し切って結婚し、好き勝手な人生を送ったあげくに、子供を連れて離婚をし、
心配や子供の世話をしてもらいました。
その上、宗教に狂い(?)、本当に心配を掛けていたと思います。

幸福の科学では、魂の親は教祖であるので、肉体の親を軽視します。
特に、入信しない親の場合には、この本物の教えが解らないということは霊格が低いということを平気で言います。そして、平気で親を見下し裁きます。

親に対してそんな気持ちですから、さらに先祖に対しても尊敬の念を持つことが出来ませんでした。
お墓にいくと浮遊霊がつくということでお墓を忌み嫌い、長い間、お墓参りにもいったことがありませんでした。 
先祖の墓とは違う墓になってしまう「幸福の科学の墓」を平気で大金で売りつける教えでしたから、肉体の先祖などは関係ありません。

母は先祖をないがしろにする私の信じていた宗教を「先祖を敬わない宗教は、変な宗教だ」とよく言っていましたし、私の態度にも心配をしていたと思います。

幸福の科学こそ、教祖こそ正しいと思っていた私は、そんな母の心配など余計なお世話だとばかりに、母に対して「お母さん、それは違うでしょ。死んだらこうなってこうなんだから・・・・お母さんの考えはこうこうで、どうしてそんな考え方しかできないの」などと裁き、まったく母の話など聞く耳を持っていませんでした。

私が母を鋭く裁くその言葉に、母は「あなたの言葉はキリのように、お母さんの心臓を刺す様だ」と言われたこともありました。

幸福の科学で学んだ「正しさの価値観」は、切っ先鋭く、母の胸をえぐっていたのでしょう。そして、その切っ先は自分にも向かい、「なんで自分はこうなんだろう」と、自分の胸を刺し、その痛みに自分自身苦しみ抜いてもおりました。

幸福の科学を辞めても、すっかり洗脳が解けたわけではなかったので、お墓には行くようになりましたが、本当の意味で母や先祖に尊敬の念を持っていたわけではありませんでした。

しかし、「真我開発講座」を受講し、母のことや父のこと、祖母のこと・・・たくさん思い出して、私一人を育てるために、どれ程多くの人が、どれ程の愛と心配を注いで育ててくれたかが解ると、今までの自分の傲慢で尊大な態度に驚愕してしまいました。

簡単な当たり前の事実でした。
私は父と母から生まれ、そしてこの両親の元で長い間をかけて育ててもらったという事実。
そして、この二人の愛がなければ私は存在しなかったという簡単な事実。
先祖からDNAという形で、多くを引き継いで今の私があるという事実。
どれひとつが掛けても私は存在しえなかった。私が存在するには、まるで奇跡のようなことであったと言う事実。
そんな、当たり前のことがやっと解った時には、本当に父や母や先祖に、今までの自分の態度や言動に申し訳なく、号泣しました。
そして、自分が存在できていることに心から感謝が溢れてきました。

もし、あのまま幸福の科学でいたら・・・と思うと、ぞっとします。
多分、全く違う気持ちで母の死を迎えたことでしょうし、明らかに母を自宅で看取ろうな度とは考えても見なかったことでしょう。
母を霊格が低いと思っていた私は、たとえ、母が苦しんでいたとしても、「正しい教えを信じなかったからだ。因果応報だ・・・」くらいに考えていたに違いありません。

たとえ同じ顔を持ち、同じ体を持っていたとしても、どんな心を持っているかによって、私という人間は、全くの別人になってしまい、全く違う判断をし、全く違う人生を歩んでしまうのだということを、母は死を持って教えてくれたような気がします。

私は、母との4ヶ月を通して、ずっと探し続けてきた「本当の愛とはどんなものか?どんな風に心にいっぱい広がるものなのか。」「本当の感謝とはどんなものか。どんな風に溢れ出てくるものなのか」母から教えてもらわなければならなかった気がします。

ですから、自宅で看取らせてどうしても私に伝えて行きたかった母の深い愛の気持ちを思うと、改めて母に感謝で一杯になるのです。
私だったから、きっと自宅で看取らなければならなかったんだと思っています。


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