母の死(母を送る) ③

悲しい出来事を塗りなおした母は、それから徐々に年を取って行き、ついに87歳まで戻っていきました。
人生を塗りなおした母は、全く別人のように輝くような表情になり、母の素晴らしい部分だけが凝縮しているようかのようでした。

通常、認知の人が年齢を遡ることはあっても、もとの年齢までのぼる事は無いそうです。
本当に不思議な出来事です。

母は、まるで、生まれたての赤ちゃんか天使のようでした。
私には感謝の言葉ばかりを言ってくれます。

オムツを替えても「ありがとう。すまないね」と言います。
「何を言うの。娘なんだから遠慮しなくていいから。安気に世話してもらえばいいのに」と言っても、何度も何度も「ありがとう。ありがとう」と言います。

苦しい痰を引いた後でも、苦しみに涙を流しながら「ありがとう・・・」と言います。
そのけなげさに、ついつい私も泣けてきます。

母の口からは感謝の言葉ばかりが出てきます。

許せなかった継母のことも許し、「お母さんも若くてお嫁に来て、苦労したんだね。仕方が無いことばかりだった」「一度お礼が言いたかった」とも言います。

認知のはずで、脳梗塞のはずなのが、時々びっくりするほどはっきりとした口調で、現実がわかる話を話します。

見舞いに来てくれた兄弟や甥、姪も母と二人だけの時間を取ってもらったのですが、みんな母の言葉に泣き崩れます。
母は元気な時には、すっかり誰だかわからなくなっていた、甥や姪もちゃんとわかっているようで、はっきりと愛情を示すようでした。
みんな感動と別れに泣きました。

特に、弟の奥さん(母にとっては長男の嫁)は、母の体にすがって「お母さん、済みませんでした。こんな風に思っていただけてたなんて、もっと、早くに知れば良かったです。ごめんなさい」と、泣き崩れていました。

母は、毎夜11時頃になると、1点を見つめてスーと涙を流しました。
それは毎晩でした。

私が「誰か来てるの?」と尋ねると、母は「お父さん」とか「お母さん」とか、はっきり言います。
会話の内容も教えてくれますが、「なるほど」と、頷けるような内容で、特に父が来た時には、いかにも父だったらそう言うだろうと言う,納得の内容です。

亡くなった母の兄や姉たちも時折来ているようでした。
亡くなった姑(私の祖母)も来てくれている様で、本当に母は嬉しそうに涙を流していました。

本当に不思議な出来事でした。

そして、母が亡くなる二日ほど前に、私にはっきりこういいました。
「そろそろ行くね・・・」

その時、忙しい姉や妹や弟に迷惑を掛けないようにという母の配慮からか、「あなただけ(私のこと)いてくれたらいいからね。」とも言っていました。

死ぬ時は自分で選んで死んでいくと聞いていましたが、まさに、母はその日を選んで、そのときを選んでいたかのように亡くなりました。

それは、自分の父親が亡くなった同月同日。
そして、父が亡くなった同日。
その日を待っていたかのように、夜中の12時を過ぎてすぐに、急に息が荒くなり、私の腕の中で、私と息子の手を握りながら、あの世に旅たって行きました。

目を瞑って、荒い息をしている母の耳もとで「さようなら。おかあさん。本当にお母さんの娘で良かったよ。本当にありがとう。」と、何度も呼びかけました。
母は明らかに聞こえているようで、瞼を動かして答えてくれます。

「お父さんが(私の父のこと)が迎えに来た?」と聞くと、わずかに首を縦に振ります。
「しっかり手を握って、行くのよ。お父さんの手を離さないようにね」と言うと、嬉しそうな表情で頷いたように見えました。

息が止まり、また、息をし、息が止まり・・・・。
そして、最後の息が止まりました。
心臓に当てていた手の中で、心臓も止まりました。
お母さん。旅たっていったんだね。さようなら・・・・。

お母さん。ありがとう。
最後まで私を側に置いてくれてありがとう。
お母さんの娘で本当にありがとう。


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3.佐藤康行の逸話紹介
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