※この内容は、研究所が立ち上がる前の研究員個人ブログのアーカイブです
佐藤康行の口から、改めて、「神成瞑想」が生まれた経緯を聞くと、その話は、人間知では理解不能な、とても不思議な話でもあります。
そして、やはり、相当な迫力があります
佐藤の話は始まりました。
ある時、「新しい瞑想を編み出すよ」と、私は言いました。
アセンションセミナーに向けてでしたが、アセンションセミナーの2カ月前にそう言いました。
勿論、その時は影も形もありませんでした。
セミナー前日もなかったです。
セミナー当日の朝方、一つの図が丸い円になって、顕れました。
私は枕元のノートと鉛筆で書きました。
出来たてのホヤホヤを白板に書いて、どのようにやるかも決めていませんでした。
そこから瞑想が、始まりました。
そうして、受けている人が、ものすごい体験をする。
瞬時に使命や、やるべき事が見える人がいる。
何回もやっているうちに、突然、雷が鳴り出し、大雨が降りだしました。
窓のカーテンを開けたら、空は晴れているのに、雨がザーザー降っている。
その瞬間、私は神成瞑想(かみなりめいそう)と、名前を付けました。
雷は止まらず、電気は消え、新聞にも大きく乗りました。
「神成瞑想」は、全国どこでやっても、みんな同じ体験をする。
瞬時に使命が見えるとは、普通ではない。
宇宙全体が、完全に手のひらにのって、そこに溶け出していく。
「仏教書」の万巻の書物が、たった一枚の中にある。
宇宙の全て。
宇宙の未来。
私達の中に、私達の解らない過去の記憶が自分の中に刻み込まれているが、一瞬に顕れてくる。
たった7分。たった白板一枚に書ける。
宇宙の全ての大真理がそこに顕わされている。
私達はどう生きていけばいいか。そこに顕わされている。
この、佐藤の話が、私には「お経」のように聞こえ、その荘厳さと深さと迫力に、感動しながら、
一言ももらすまいと、あわててメモをとりました。
何とも、何とも、なんと表現していいのか解らない位、私は今、感動しています。